「ドラフト上位候補」富士大・麦谷祐介の驚異の「天分」と恩師との号泣「ナイスガイ大作戦」

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骨盤の位置が高いランニングフォームの秘密

24日のドラフトで上位指名も期待される富士大の麦谷祐介外野手。高校2年の4月に転校した大崎中央高校で本気で向き合い、プロ入りへの道を後押ししてくれたのが平石朋浩監督だ。その平石監督が目の当たりにした麦谷の野球選手としての驚異の天分、最後の夏を終えて伝えられた麦谷の言葉を回想する。

前回記事「『ドラフト注目』富士大・麦谷祐介が一度は失った『野球』と『自信』を取り戻して、『夢』を叶える日」から続く。

大崎中央高校に移ってきて初めて参加した練習での麦谷の身のこなしを見て、平石監督はすぐにプロへと繋がる道筋を頭にイメージした。

「走り方とスローイングを見たとき、この子はプロに行くと思いました。それくらい足と肩は抜群に良かった。走る方であればフォームが理にかなっていて骨盤の位置がとても高い。なのでストライドがすごく伸びる。私も小学、中学では陸上をやっていたのですが、陸上競技をやってきた子の走り方なんです。加えて体のバネもすごいものがある。

ランニングから目を引きましたが、ダッシュする姿を見て衝撃を覚えました。大学に行って、今は50m5秒8と紹介されていますが、手動計測とはいえ高校のときも5秒9を出していたほどです」

実は麦谷は小学生のとき、宮城県が県内の運動能力が優れた4〜6年生を集めて各競技のトップアスリートによる指導などを受けることでその可能性を広げるプロジェクト「みやぎジュニアトップアスリートアカデミー」に選出されて手ほどきを受けている。それによる下地もあったのだろう。

平石監督が描いた麦谷の将来像

「投球フォームも全体のバランスがよくてきれいな投げ方をしていました。ただ、押し出すように投げる癖があって、本当は胸を張って肘の外旋動作が入ってくると強い球を投げることに繋がるのですが、その動作があまりない状態でした。それにもかかわらず、とんでもないボールを投げていた。地肩の強さもレベルが違いました。

あとから聞いたらお父さんは中央大でやり投げの選手をしていたそうです。高校在学中もマウンドから計測して 最速で142km/hとか出していました」

その点を修正すれば投手として活躍する可能性も考えられたのかもしれない。しかし、平石監督の描いた将来設計図は別のところに重きを置いていた。

「中学までは身長も小さかったようですし、あれだけ足が速いので流し打ちで三遊間に転がして内野安打を取るようなバッティングが体に染みついていたんです。上の世界で続けることを考えた場合、そこは直しておいたほうがいいと思いました。

ただ、3年生の夏までの期間ではどうにも時間が足りない。大きくスイングして、大きく打てるようになるための土台を作って、次のカテゴリーにお渡ししようと。投げることも大学とか、自分の時間をうまく作れるときに行った方がいいと思い、打つ方をメインに練習させました」

麦谷が進学を希望した富士大学は平石監督の母校でもあり、そうした意思の疎通もスムーズに進んだ。高校3年生のときもプロ志望届を提出すればドラフトで名前を呼ばれる可能性は大きかったようだが、育成ドラフトでの指名が見込まれていた。

「スタンドにぶち込みます」

「本人もまだ自分を信じ切れていなかったし、高校野球をまっとうできたわけではない。大学で最初から最後までやり切って自信をつけてからプロに行きたいという気持ちの方が強かったと思います。私も大学で4年間、指導していただいて、経験を積んでいけば絶対にものになると考えていました。

富士大はドラフト候補や社会人野球に進む選手も多くて、そういう先輩がどういう意識でやっているかというのも目で見て学ぶことができたと感謝していました。麦谷が前の高校にいた頃を知る富士大のコーチも『当時は生意気なところもありましたけど、謙虚にひたむきにやっています』と成長を認めてくれています。

とても律儀な子で大学に行ってからもリーグ戦の始まりと終わりだったり、全国大会に出ているときは『頑張ってきます』とか、1試合、1試合、こういう結果でしたと連絡を欠かさずにくれます。

年末も必ず挨拶に来てくれて『次は成長したところを見せるためにスタンドにぶち込みます』なんて威勢のいいこと言うんですけど、実際に去年は全国大会で青山学院大の下村海翔君(現阪神)や常廣羽也斗君(現広島)からレフト方向にホームランを打ってみせたし、今秋のリーグ戦では3本塁打。よく相談に乗ったりもしてきましたけど、今の姿はやっぱり本人が頑張ったからです」

野球部をやめたときには想像すらできなくなっていた教え子の夢が実現しようとしていることに、平石監督も日に日に感慨は深まっている。

社会人野球からの誘いはすべて断る

「先日も連絡を取りましたが、本人は指名していただけるかかどうか不安の方が大きいと思います。それでも『両親や先生、今までいろいろな人の支えがあって今の自分がいます。自分を応援してくれている人いると思うと、その想いを背負っていると思うと安心します』と言っていました。おもしろい感性を持っているし、自分を思ってくれる人の気持ちに応えたいというところが強いと改めて感じました。

3年生の終わりに『社会人野球からのお誘いはすべて断りました』という話を聞かされたときは麦谷らしいなと思いました。相当な覚悟を持ってここまできた。小学、中学、大学では華々しく活躍していますけど、高校の3年間は転校やコロナ禍など苦しかったのかなと思います。それでもめげずに最後まで頑張ったことで夢は繋がった」

3年生の夏の代替大会後の麦谷の言葉を思い返すと、胸が熱くなってしまう。

「うちは最後の夏の大会を終えると寮に戻って食堂で3年生、1人、1人から後輩にメッセージをもらうんです。あの年はコロナで甲子園がなくなってしまい、気持ち的に難しいところがあったので、私のほうから格好いい男になろうということで『ナイスガイ大作戦』というキャッチフレーズを作って大会に臨んでいたんですが、麦谷は後輩に想いを伝えた後、私に向き直って号泣しながら『今までありがとうございました。ナイスガイ大作戦を目標にやってきましたけど、先生が1番のナイスガイでした!』と言ってくれたんです。

悔しい思い、葛藤も抱えながらの1年半だったと思いますし、私も叱ることがありましたけど、その言葉をもらって報われた気がしました。もし指名していただけたら、笑顔で、元気に長いプロ生活を送ってほしいです」

ドラフト会議で名前を読み上げられれば大崎中央高校にとって初のプロ野球選手誕生の快挙となるが、麦谷の恩返しは、ここから始まる。

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