「お酒は好きで、酔っ払うのも好きなんですけど、量は飲めません」(撮影=本社 奥西義和 以下すべて/撮影協力=桜商店603)

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坂井希久子さんの『婦人公論.jp』での連載「赤羽せんべろまねき猫」が単行本として発売されました。連載スタート時に赤羽で収録したインタビューを再配信します。***********先ごろ、還暦の女性たちが主人公の『華ざかりの三重奏(テルツェット)』で第6回「文芸エクラ大賞」の大賞を受賞した作家の坂井希久子さん。女性の生き方を描く物語に定評のある坂井さんの文庫最新刊は、祖母と孫娘ふたりの視点で綴られた大河小説『何年、生きても』だ。現在、「婦人公論.jp」で立ち飲み屋を舞台にした「赤羽せんべろ まねき猫」を連載中の坂井さんにお話を聞くため、赤羽の立ち飲み屋「桜商店603」にお招きした。おなじみの着物姿で颯爽と現れた坂井さんが杯を片手に語る、作品にこめた想いとは――。(構成=編集部 撮影=本社 奥西義和)

【写真】ありし日の森村誠一先生と坂井さん

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先入観に縛られた人がもどかしい

住まいが南埼玉なもので、赤羽は近いんです。関西出身なんですが、こちらに移ってきてすぐ、赤羽という飲み屋街が近くにあるそうだ、と知りまして。で、実際に来てみたら、関西っぽかったんですよ。赤提灯が並んでいるところとか、雑多な感じとか。東京なのにホーム感があって(笑)、親しみが持てるので、好きになりました。

赤羽は飲み屋街の中に小学校があったりして、老いも若きも、幅広い年代の人たちが生活している街ですね。

『華ざかりの三重奏』(双葉社)を読んだ方から「なんで60歳の気持ちがわかるんですか?」と訊かれたりもするんですけど、別にその年代の知り合いが特別に多いわけではありません。

私は、国に切り捨てられてきたロスジェネ世代ですから、10年後、20年後に自分自身がどうなっているのかとか、考えがちなんです。社会や制度などがどうなっていくのか、その中で自分がどう生きていくのか、いろいろなパターンをシミュレートしているので、そのせいかもしれません。

女性主人公で書くことが多いのは、結局のところ、自分自身が女なので、彼女たちの生きづらさとか、どういうところでつまずくかとか、悩んでいるかとか、想像しやすいからです。自分が生み出した登場人物なのに、「もうちょっとこう生きたほうが楽なのに」などと、もどかしかったりして。(笑)

おじさん主人公で書くこともあるんですけど。男女問わず、先入観に縛られた人たちがもどかしいんですよね。その感情をベースに、たぶん私は、小説を書いているんだと思います。そう言いながら私も、知らず知らずのうちに自らを先入観で縛っているかもしれないし、自分自身の「解放」も兼ねて。こう生きてもいいんじゃないのかな、という想いを込めて、書いているのかもしれません。

「同性間の精神的な美しい繋がり」を描きたかった

『何年、生きても』(単行本『花は散っても』を文庫化にあたり改題)は、祖母と孫の物語なんですけど。これまた、もどかしいふたりが主人公です。(苦笑)

最初、谷崎潤一郎没後50年・生誕130年メモリアルイヤー(2015〜16年)に向けて依頼された作品でしたから、谷崎を念頭にストーリーを練りました。そもそも、谷崎の精緻な着物の描写が好きだったことも、私が着物好きになったきっかけのひとつだと思うんです。

高校時代に初めて谷崎を読んだときには、作品に出てくる銘仙という着物がどういうものか、よくわかりませんでした。私が15歳のときに亡くなった母が残した着物は、いわゆる「昭和の奥様」が着るものだったので、実家に銘仙はなかったんです。大学生になって初めて手に取った銘仙にときめいたのを思い出し、谷崎へのオマージュ作品ならと、銘仙が物語の軸となる「謎解き」モチーフになるものを書いてみよう、と考えました。


『何年、生きても』(坂井希久子:著・中公文庫)

そして、銘仙といえばやっぱり女学生だろうと(笑)、祖母である咲子の手記パートでは、女学校のシーンを思いっ切り書かせていただきました! 戦前の女学生の〈百合〉、女性同士の恋愛を書きたかったんです。当時は『乙女の港』(川端康成と中里恒子の合作と言われる少女小説)が人気を集め、作中に描かれた〈エス〉と呼ばれる女学生同士の友情とも恋愛とも違う関係が、実際に流行りました。

ちなみに〈エス〉は、Sisterの頭文字です。『華ざかりの三重奏』でも、少女漫画好きの還暦女性たちを描きましたけど。昭和の頃からずっと、少女漫画が好きな女性たちがいて。そういう方たちは、少女漫画的な〈百合〉要素を好きなんじゃないでしょうか。例えば『エースをねらえ!』(1973〜75、78〜80年に『週刊マーガレット』で連載された山本鈴美香のテニス漫画。アニメ化、テレビドラマ化もされた)だって、主人公の岡ひろみと先輩であるお蝶夫人の関係は〈エス〉だし〈百合〉の要素満載じゃないですか。

大人からしたら、本当の恋愛を経験する前の予行演習、「おままごと」に見えるかもしれませんが、女の子たちはその瞬間、本気でSisterとの関係に悩んだり、胸をときめかせたりしてたんだろうと思います。

実際、後輩や同級生に〈エス〉的な関係を迫られたら、私としては重たい……。でも、その儚さには憧れがあります。単行本刊行時のインタビューでは「初めて〈百合〉を書きました!」とアピールしました。世間はあまりそこに食いついてくれませんでしたけど(苦笑)。咲子が何十年も抱き続けた大切な人への想いを綴る手記パートで、私の憧れである、同性間の精神的な美しい繋がりは描けたように思います。

長く生きても変わらないこと

一方で私が書く男性は、「見事に〈ダメ男〉ばっかりですね」って言われるんですけど(苦笑)。自分で分析してみると、私の描く〈ダメ男〉にはふたつの方向性がありまして。モラハラと優柔不断。『何年、生きても』の登場人物だと、英雄兄さま(咲子の養家・川端家の分家筋)は優柔不断系のダメ男です。彼の行動が、物語の軸となる「謎」を生みます。そういう意味では、咲子の「想い人」である龍子姉さま(川端家の娘)とともに、物語のキーパーソンですね。


赤羽「桜商店603」にて

私の『妻の終活』(祥伝社文庫)という作品の主人公・一之瀬廉太郎(定年後に嘱託として働く69歳。妻が末期がんで余命1年と宣告される)は、家庭を顧みず仕事に邁進して生きてきた、典型的なモラハラ系ダメ男。妻に対する言動も無神経極まりない。こういう前時代的な人物像には、少なからず自分の父親のイメージが反映されているかもしれません。

父は私の『泣いたらアカンで通天閣』(祥伝社文庫)という作品の、父親のモデルでもあるんですよ。『じゃりン子チエ』(1978〜97年に『漫画アクション』で連載されたはるき悦巳の漫画。アニメ化、舞台化もされた)と同じように、大阪の新世界あたりを舞台にした父娘のお話なんですけど。だからか、自分のこと「テツ(主人公・チエの父。ホルモン屋を営んでいたが、店を11歳のチエに奪われる)に似てるやろ」なんて自慢げに言ってきたりするんですけど。テツのような男気は、残念ながらないんですよね。

うちの父、前時代的にいばってるくせに、自分では物事をちゃんと決められない優柔不断要素もありまして。考えが古い祖母に育てられた長男ですから、小さな頃から大事に大事にされてきたんですね。そうすると、大人になってもなかなか変われないんでしょう。

『何年、生きても』では、変わらないことの尊さと困難さを書きました。自分としては、作家として目指すところは特になくて、変わらずただ書き続けていくことが目標です。先ごろ亡くなられた森村誠一先生(2023年7月24日永眠。享年90)のように、ずっと書き続けていきたい。森村先生は、私がデビューする2009年まで5年ほど在籍していた「山村正夫記念小説講座」の塾長を、長らく務めていらっしゃいました。

私が在籍時に提出した習作、ちょっと卑猥なラストだったんですけど。意外にも森村先生、その短編を気に入ってくださって。「君は絶対にデビューできる。頑張れ」って背中を押してくださったんです。それで、デビューを信じて書き続けることができました。これからも、あとどれだけ生きられるかわかりませんが、もどかしい人たちが解放される物語を書いていきたいと思います。