井川慶がメジャー契約のままマイナー落ちとなった驚きの“契約”。移籍後に直面したボール問題と理解されなかったコンディション

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元メジャーリーガーの井川慶さん。

27歳で当時のポスティングシステムによるメジャー挑戦を目指し、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍する。

「メジャー契約」だけは譲れないこだわりを持っていたが、気負うことなく淡々と、「新しい世界で挑戦する」ためにアメリカへと渡った。

しかし、井川さんは早々に球団に違和感を持つようになったという。

9人の日本人メジャーリーガーの異国の地での挑戦と戦いをまとめた、長谷川晶一さんの著書『海を渡る サムライの球跡(きゅうせき)』(扶桑社)から一部抜粋・再編集して紹介する。

不安だらけでつかんだメジャー初勝利

キャンプを終え、ニューヨークに戻ってきてすぐのことだ。

「このとき、ボールが滑ることに驚きました。キャンプでは平気だったんですけど、ニューヨークはタンパとは湿気も違うし、まだ寒いので汗もかかない。それでボールがすごく滑りました。このとき初めて、“このままではマズい……”と焦りました」

キャンプ期間最初のミーティングの際にピッチングコーチが口にした言葉を思い出した。

このとき彼は、「さぁ、どれにする?」と言った。

「キャンプで最初のセッションのときに、ピッチングコーチがいろいろ持ってきて、“お前はどれにする?”と聞きました。そこにあったのは、ボディクリーム、シェービングクリーム、サンブロック(日焼け止め)やヘアワックスなどでした」

それは、ボールの滑り止めに使うためのものだった。

「サンブロックにしてもヘアワックスにしても、目的はあくまで人体に使うためのものですよね。ただ、それをどこに塗るか、つけるかといった問題なだけで。

指先やボールにつけるのは禁止されているけれど、身体に塗ってあるものに触れた手でボールを握ればいい。あるいはピッチャーではなく、キャッチャーにつければいい。

もしも問題になりそうならば指先を拭けばいい。“それは別にルール違反ではないだろう”、そんな発想でした」

井川はサンブロックを選択した。それでも、まだボールは滑る。

「サンブロックだけでもボールがしっとりとして、かなり投げやすくはなるんですけど、それでもまだ滑る。そこで、ロジンバッグと合わせるとようやくべたつきが出るんです。

でも、慣れていないと今度は逆に引っかかり過ぎてしまう。夏場になると汗をかいて指先が湿ってくるのでいいんですけど、春先は本当に大変でした」

それは、ルールに抵触しないギリギリの決断だった。

初登板は納得いかない結果に

4月7日、メジャー初登板となったボルチモア・オリオールズとの一戦は5回を投げて2本のホームランを喫し、7失点となった。

勝ち負けはつかなかったものの、変化球の制球に苦しみ、まったく納得いかない結果に終わった。

この日を振り返ってもらうと、井川は淡々と答えた。

「この場所を目標にしてきたので、“やっとここに立てたんだ”という思いはありましたけど、試合が始まれば、あとは淡々と投げるだけでしたね。緊張感もなかったです。同じ野球ですから」

さらに井川は続ける。

「オープン戦での起用を見ると、当時の自分は四番手ぐらいの位置にいました。でも、一番手の王建民が故障して、ローテーションが流動的になりました。

それで自分がこの日に投げることになったんですけど、自分はデーゲームがとにかくダメなんです。日本にいた頃からデーゲームは避けていました。

でも、しょっぱなからいきなりデーゲーム。“あぁ、イヤだな……”と思いながらマウンドに上がりました」

5回KOに終わったものの、それでも井川はショックを覚えていなかった。

苦手なデーゲームだったこと、相手打者もよくわからないまま投げたこと、ボールの感覚にまだなじめていなかったこと……。打たれるべき理由はいくつも思いついたからだ。

「結果的に残念な内容にはなったけど、“ナイトゲームであれば……”とか、“相手打者の特徴をつかめれば……”とか、“ボールになじんでくれば……”という思いだったので、特にこの結果を引きずることもなく次の試合に臨めましたね。

マウンドも確かに硬かったけど、それは東京ドームも、ナゴヤドームも一緒だったので、“そのうち慣れるだろう”という感覚でした」

3戦目で訪れた待望の初勝利

続くオークランド・アスレチックス戦は敵地での登板となった。

「前回の反省を踏まえて粘り強いピッチングを心がけた」ものの、5回途中で3失点と、2試合続けて結果を残すことができなかった。

そして、メジャー3戦目、待望の初勝利の瞬間が訪れる。2007年4月18日、本拠地・ヤンキースタジアム。相手はクリーブランド・インディアンスだった。

「この日も別に緊張はなかったですね。ただナイトゲームだったので、その点は少しだけ気楽でした。でも、初見の相手なので、“どうなるのかな?”という感じでした」

3回にチェンジアップが抜けて死球を与えた。ピンチを広げてしまったことで2点を失った。しかし、3回裏に味方打線が一挙5点を奪い井川を援護する。

結局、この日は6回を投げて5安打2失点、三振は5つ奪い、待望のメジャー初勝利を挙げた。

試合後には「初球にストライクがとれてワンストライクから始められたのがよかった」と語ったように、打者23人に対し、19人から初球ストライクを奪ったことが勝因となった。

こだわった契約で起きた「誤解」

井川のグラブには「K Quest」と刺繍されている。「三振(K)を追い求める(Quest)」という意味である。この日はクエストの成果が出たのである。

待望の初勝利となったが、やはり井川は淡々としていた。

「まぁ、この日は勝ちましたけど、“ひと回り、ふた回り対戦してみないとわからないぞ”という思いは変わらなかったです。まぁ、勝つときもあれば、負けるときもある。“1年間投げてみて初めて手応えを得るんだろうな”という思いでした」

23日にはメジャー初黒星を喫したものの、28日にはボストン・レッドソックス戦で2勝目を挙げた。4月の防御率は6.08だったが、それでも2勝1敗で終えた。

初めて対戦する打者、初めての球場、何もかも初めて尽くしではあったが、井川には「慣れてくればきちんと対応できる」という確信めいたものがあった。

日本と同様、春先はベストの状態ではなくとも、夏場にかけてコンディションが上向くとともに結果を出し、年間を通じて帳尻が合うのが井川のスタイルだったからだ。

しかし、5月4日を最後にしばらくの間、登板機会を失ってしまう。マイナー落ちとなったからだ。メジャー契約であるにもかかわらず。

「僕もこのとき初めて知ったんですけど、僕の場合の《メジャー契約》というのは、“故障以外ではマイナーに落とさない”という契約ではなく、“マイナーに落としても、メジャーと同じ給料を支払うよ”という意味だったそうです。それはちょっと自分としても驚きました」