にしおかすみこ、認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父との暮らしは不幸か、幸せか

写真拡大 (全9枚)

「母…81歳、認知症と糖尿病。元看護師。

姉…48歳、ダウン症。平日は作業所に通う。

父…82歳、酔っ払い。耳が遠い。元サラリーマン。家ではパパクソorパクソ呼ばわり。

私…47歳、元SMの女王様キャラの一発屋の女芸人。独身、行き遅れ」

にしおかすみこさんの著書『ポンコツ一家2年目』の冒頭「家族紹介」はこの文章で始まる。

いまやすべての人にとって他人事ではない認知症や介護と家族の物語を、書評家の藤田香織さんが読んで感じたことは。

かつて父が「最期は自宅で」となったとき

これがいつまで続くんだろう。

かつて父がいわゆる「最期は自宅で」過ごすことになったとき、わずか10日ほどで、私は頭の片隅でそう考えていた。

憎んだことも嫌ったこともない実の父親で、寝たきりになった後もおむつ換えは母と訪問看護師さん任せ。自分は文字通り見守る程度のことしかしていなかったのにそう思ったのだ。

7月半ばの暑さが続く時期で、担当医からは、余命を「夏を越えるのは難しい」と聞いてきた。つまり、そう長くはないと分かっていたのに、いつまで、いつまで、という思いが消えなかった。

一緒にくらしてはっきり見えた「家族」

前作『ポンコツ一家』で「元SMの女王様キャラの一発屋」である、芸人・にしおかすみこさんが書いたのは、コロナ禍で」仕事が減り、家賃を払い続けることが厳しくなったこともあり、出戻った実家で同居することになった家族の姿だった。

認知症の症状が出始めた母。老化が早いといわれるダウン症の姉。家族から「パパクソ」と呼ばれ疎まれる酔っ払いの父。

それまで、都会でひとり暮らしをしていた著者にとって、離れて暮らす家族の現実は、いってみれば薄目でぼんやりとしか見えていなかった。おそらく、なるべく直視しないようにしてきた部分もあっただろう。

ところがいざ一緒に暮らしてみると、あらゆる物事がくっきりはっきり見えてくる。『ポンコツ一家』には、その衝撃、驚き、嘆きや足掻きが笑いに包まれ記されていた。

年を重ね、家電もポンコツ化

それから一年。家族全員がひとつずつ歳を重ねた。

けれど家族の状態は変わらない。母の認知症も姉のダウン症も治るというものではないし、父はやっぱり酔っ払いで、著者は変わらず<独身。行き遅れ>だ。

回復も改善もしない。人も家も古くなる一方で、そこにある家電までポンコツ化が進む。力尽きたエアコン買い換えに24万円。居間の照明取り換えに2万円。水漏れし、洗うと白い衣服がかえって薄汚れる洗濯機の買い替え6万円。

出費がかさむだけでなく、使用の限界を見極め、買い換えよう!と決断し、代金をやりくりして工事の日程を決め、見守る。そのひとつひとつが「すみちゃん」以外の家族の手には負えない。母は、古い洗濯機のホースから水漏れしているのを見て、「可哀想に、働かせすぎだよ。洗濯機が泣いてるよう」と微妙に詩的なことを言うけれど、取説を読んで使い方を覚えることはもう難しい。

口座からギリギリで代金を下してATMの前で「お金、お金って、いっつも考えちゃうよ」と著者は泣く。<お金はすっからかんだ。生活はできるよ、今のところはね。でも貯金がないって怖いよ。助けたいときにお金がなくて助けられないことが怖いんだ。私、不甲斐ないから、任せとけって言えないから>。

まったく他人事ながら、これがいつまで……と思ってしまう。

すみちゃんが壊れちゃうよ?

一月の朝、あったかいがない、ぬすまれた、ドロボー!と泣き喚く姉(エアコンの暖房スイッチを入れて解決)。プラスチックのゴミ箱を破壊し、作り置きしていった料理を流しにぶちまける父。雛人形の話から「人形だって相手がいるよ。あんた結婚できないねぇ。ずっと独身? 一生かい? 天涯孤独? 孤独死かい? ママが死んだらどうするんだい?」とたたみかけてくる母。そして本書のなかで、ついに著者は「パパクソ」に対して「てめぇぇぇ! 何しやがる! クソがああ! 警察呼ぶぞ!」とぶちキレて怒鳴り、「一線を越えた」行動に出てしまう。

面倒臭い。どこをどう読んでも自分だったら投げ出したくなる。いやもうこれは、誰かの手を借りないと正直無理じゃない? 公的な支援を受けたらどうだろう。家電どころか、すみちゃんが壊れちゃうよ? とさえ思う。

でもだけど、それくらいのことは、当然すみちゃん自身も思っているのだ。面倒くさい、うんざりする、泣きたくなるっていうかわりとよく泣きもする。衝動的にグリーン車に乗って1泊2日のひとり旅に出たりもする。壊れないように、決定的なことが起きないように、自分ファーストを心がけて、少しだけ家族との距離を取ることもある。

お金の不安、今日の不満、明日のことも分からない、将来なんてまったく見えていない。

でも、それでも。すみちゃんは家族の待つ家に帰る。「ただいま」と言い、「おかえり」を言うために。

歯医者に行くのも大冒険

たかが歯医者に行くのも大冒険になる。認知症とは思えぬ痛快な会話の返し。言われてみれば正しい気がするトウモロコシの「醍醐味」。マイナンバーカードを取得する道のりは険しく、思い出は思わぬドキドキを連れてくる。花好きで活けるのも上手な母が、季節感まる無視で庭にぶっ刺すチューリップとほおずきの造花。波乱しかない外食。

ママはいつでも、ずっとお姉ちゃんの心配をしている。お姉ちゃんのために、せめてあと5年は生きたい。生きられなくてもせめて息はしていたい、と言い「何が違うの?」と問うすみちゃんにこう返す。

「バカ。生きるはさ、どっかしら動いてて意思がある感じがするだろう? 息するはさ、小指一本さえ動かせなくても、頭がなーんもわかんなくなっても吸って吐いてをする感じ。息さえしていれば安心だろう?」

「ママが死んだってわかったらお姉ちゃんぶっ壊れるだろ。バカなりに情緒がおかしくなるんだよ。すみもパパクソも手に負えないさ。でも息を聞かせてやるだけでも、お姉ちゃんはお姉ちゃんでいられるだろ。ママ80歳まではなんとかがんばりたい」

いい話だ。いい話すぎて泣きそうになる。でも、すみちゃんは、ホロリとすることもなく、すかさず「今81だよ」と突っ込む。

過ぎてるんかい!

そうしてママとすみちゃんはふたりして笑う。うちはバカばっかりだなあと笑うのだ。

果たして不幸なのか、幸せなのか。

読みながら、これは果たして、と何度も思った。いつまで続くかわからないこの状況は、果たして不幸なのか、幸せなのか。

綺麗ごとじゃない。笑いごとじゃない。「一家」が一家であるために奮闘する著者は満身創痍だ。ヒリヒリとした痛みも叫びも伝わってくる。

けれど、そこでぐっと歯を食いしばり、笑う。笑いの種を拾い集めてまく。ポンコツでカツカツでパツパツな日々のなかで、種が芽を出し花開き読者を和ませる。そして誰よりも芸人・にしおかすみこの救いになっているのではないかと感じた。

だからあえて言い切りたい。

面白かった! 3年目も楽しみにしています。

認知症の母・ダウン症の姉・酔っ払いの父と同居するにしおかすみこの前で涙を流す人が続出した理由