あまりに異常…アメリカが日本を実質的に支配している現実を石破首相は変えられるのか

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石破政権はうまくいくだろうか

石破首相が誕生した。ひょっとしたらうまくいくかもしれない、それが私の最初の印象だった。もちろん、前途多難である。いきなり核武装について言及するのは、いくら何でも無茶だと思った。世界で唯一の被爆国である日本の立場をどう思っているのだろうか、そう感じた。あっさりと短命に終わる可能性も十分にある。しかし、そうならないかもしれない。

中国と台湾のこと、ロシアとウクライナのこと、イスラエルのこと。昨今の世界情勢を鑑みるに、安全保障がもっとも重要なテーマの一つであることが分かる。心理学的にも、安全や安心への欲求はもっとも根源的なものである。ここが不安定なままで、その上に何を積み上げても、「そのままだと命にかかわる」という環境の変化が生じれば、それまで積み上げたものをすべて捨てて、一から積み上げなおさなければならなくなる、そういう課題だ。大切な自分たちの命を守るために、そうしなければならない。

しかしその安全保障について、日本人はこの数十年、まともに考えることができていない。本来、考える能力がない訳ではない。実際、実務を担当している政府関係者などは、限定された条件の中で必死に作業を進めて日本を支えてくれている。しかし、「与えられた前提の下で」という条件付きである。

アメリカ政府・軍との交渉や具体的な自衛隊の運営・管理など実務を担当する前提となる原理原則としての方針、理念、大まかな戦略などの決定は、民主主義国家においては、国民全体の合意としてなされなければならない。

しかし、自衛隊と憲法九条の関係をどう解釈するかといった点についてすら、国民的合意が達成されているとはいいがたい。そのことが分かっていながら、数十年が経過した。その間に、安全保障をめぐる状況は切迫の度合いを強めていっている。長らく政権を担当した自民党の責任は小さくはない。しかし、憲法で主権在民が定められた民主主義国家の国民でありながら、その重要な課題へのコミットメントを回避していた一般の日本国民の責任も、非常に大きい。実務担当者は、前提がわからないなかで、その場の整合性を保つやりくりを続けることを強いられていたはずで、相当の苦労があったと想像する。そこには、批判されるに値する多くの過誤を含まざるをえなかっただろう。それに甘え切ってきたのは、「安全神話」を信じて、2011年の事故が起きるまで原子力発電に関心を持たなかったのと同じ心理構造だ。電力も安全も、無償で提供されている訳ではない。

私は、憲法九条を、もっとも厳密な一切の軍事へのコミットメントへの拒絶という解釈の下で維持することは、極めて困難だと考える。自衛隊は存在し、活動を続けている。私が考えるだけではなく、実際にそうなっている。近隣にロシア・北朝鮮・中国という国家がある環境で、善意だけに期待する戦略が機能すると信じることは、残念ながら不可能である。

しかしだからといって、勇ましい狭量なナショナリズムを煽るような、極左から極右に展開するような心理的態度の変更が起きてしまうことは、絶対に避けられなければならない。それを強く警戒し、避けるための万全の努力が傾けられる必要がある。

現在の自民党について、統一教会の影響力が除かれることがなければ、国益を守る代表を任せる信用を委託するのに値しない状況にある。安倍元首相が象徴的なのだが、皇室を利用する保守的かのような思想を促進し、太平洋戦争の戦前・戦中に影響力をふるった国体思想のようなものへの共感を示す一方で、統一教会との密接な関係を維持し強化してしまった。しかし、一貫した信念を貫こうとする保守的な人物が、統一教会を許容できるとは思えない。たとえば、統一教会がその儀式の中で、天皇を模した人物を登場させ、統一教会の教祖に拝跪させていたと伝えられるなど、日本に対して明確に侮蔑的な態度を示している。統一教会は、日本人から富を奪い、韓国に本拠地がある団体に移すことを活動の目的の一つとしているように見える。これと、保守的な言動を示す人が結びついているのはどういうことなのか。信念などはどうでもよく、金とその時の影響力が維持されればなんでもよい、そういう本音を持っている人たちだろうと想像してしまう。そういった人々の影響力は、排除されるべきだ。

伝えられている石破首相の動きを見ると、自民党内の統一教会の勢力を維持しようとする人々と対決し、それによって猛反発受けている。

次の衆議院選挙に向けて、「裏金」を受け取ったとされる自民党議員にも党の公認を与える決定を、石破首相が一旦は支持したことが批判された。しかし私は、石破首相のこの決定については許容した方がよいだろうと考えた。選挙民がしっかりとした判断を行い、いわゆる「裏金」と深く癒着しているような議員を落選させればよいだけの話だ。他にも首相が、就任前の約束と違うことを発言するようになったと批判する声が大きい。確かにそれは望ましくないことだ。しかし、このタイミングであっさりと石破首相が退任するような事態になれば、自民党の党内政治において、「統一教会の影響力に挑戦するものは、石破首相のように実績と地位のある人であっても、排除されて辱めを受ける」という前例を作り、統一教会の影響力を排除することを困難にしてしまう。現在の石破首相については、「自組織内の腐敗と対決して、組織内のさまざまな勢力から反発や嫌がらせを受けている」立場にあるリーダーだと理解するべきだ。もちろん、石破首相が信念を失い、金と影響力に媚びるだけのような行動を示すようになった場合には、それを擁護し続けることはない。

大きな問題そのものにコミットしない

翻って野党である。自民党が統一教会のような勢力の影響下にあり、本当に日本の国益を守るという責任が果たせるのか否か問われる状況ならば、別の政党が政権を担うようになるのが、当然の流れである。

しかし、国民が安心して政権をゆだねられるような野党は存在しない。

口先では自民党を批判するが、そこまでである。たとえば安全保障について、自民党が現在進めている日米安全保障条約にもとづく方法以外の、実効性のある政策を提言できているかと言えば、寡聞にしてそれを知らない。これは、野党・一部マスコミ・大多数の日本国民に共通する問題である。大きな問題そのものにコミットしない。「上」が何をやっているのかは知らない。しかし、結果に気に入らないところがあれば、過剰なほどに文句を言って溜飲を下げて、一瞬良い気分になる。それだけである。石破首相の服装の乱れなどを指摘して笑うようなことばかりを愛好する。

「裏金」疑惑の議員について、石破首相はその後に公認の範囲を狭くすることを決めた。そうすると今度は、味方になろうとした議員も切り捨てる悪い決断だと批判する人々がいる。大事で難しい論点はスルーして、権力者が何か動くのを待って「甘過ぎる」か「厳し過ぎる」のどちらかを言っていれば、権力者と戦っているポーズが示せるのだから、簡単なものだ。そのような安易な仕事ばかりが許容され続け、それを国民が喜んで受け入れることが続けば、どうなるだろう。それぞれの組織の人事権に介入するような権力を用いて、マスコミの発言を統制しようとする政治家が有利な状況が出現してしまうのではないかと、不安になる。

「対米従属」を現実的に改善していく姿勢

さて、石破首相のことを考えると、その場の見かけにこだわる人ではなく、一貫した信念があるのは、確かなようだ(多分、それでも見かけのことはもっと気にした方がよいのだろう)。

それを現実の政治で実践し、どのような成果を上げるか、あるいは上げないのかは、これからの実績によって判断される。

どうしても「見かけ」ばかりで、踏み込んだ理念や戦略を欠いているような政治ばかりをみせられてきた経緯があり、少し期待したい気持ちになっている。特に、日米安保にかんして、「基地協定」に関する見直しをアメリカ側に求める姿勢を見せるなど、「対米従属」と形容される状況を、現実的に改善していこうとする姿勢を好ましく思う。

現在の日米安保条約は、アメリカによる軍事戦略に日本がほぼ無条件に組み込まれる内容となってしまっている。その対米従属という前提条件に従うだけではなく、今後の日米安全保障条約の内容とアメリカの世界戦略の中に、被爆国としての日本の主張を反映させるところにまで、日本の立場をつくっていくことができるか否かは、これからのことのようだ。イスラエルとアメリカとの関係について、現在の石破首相の態度はアメリカに追従する内容のように伝えられている。しかし、それがこれからの国際環境の中で、本当に日本の国益にかなうことであるのか否かは、国民全体がよく考えて見極めていかねばならない。現状のイスラエルは批難され、何らかの制裁を受けるのに値するような行動を示してしまっているが、アメリカがそれを容認している。西洋近代の原理原則を、アメリカが損なっている。しかし一方で、日米安保条約を破棄して、BRICSに乗り換えるべきであるかのような暴論に与する気持ちは一切ない。

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