生活保護を受け日雇い労働者の町に身を落とした”伝説のストリッパー”が「冷蔵庫」を買った衝撃の理由
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。
「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。
『踊る菩薩』連載第115回
『部屋の窓から顔を出し大声で叫ぶ…記者を驚愕させた、“伝説のストリッパー”が取った衝撃の「行動」』より続く
初夏の大阪にて
96年、大阪は初夏である。気温も上がってきた。
この日も新今宮駅で降りて一条を訪ねると、道端で男性が2人、寝ていた。暑くなってきたためか、通りに漂う小便の臭いが強くなっている。
解放会館の階段を上がっていくと、頭の上から「サッ、サッ」と、コンクリートを小刻みに擦るような音が聞こえた。見上げると3階付近の階段で、ほうきをかける一条の後ろ姿があった。足音に気付いた彼女が振り向いた。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
私はいつも掃除しているのかと聞いた。
「気が付けばね。(医者から)身体動かさなあかんって言われるし。それに、あなたが来るんやから、ちょっとでもきれいにしておこうと思って」
彼女は以前、地下鉄で清掃の仕事をしていた。
「掃除は好きですよ。さあ、入ってください」
生活保護の家に“白い冷蔵庫”
一条に続いて部屋に入る。白い冷蔵庫が目に入った。独身者用の小さな冷蔵庫である。
「どうしたんですか?」
「あなたが来るでしょう。冷たいお茶を飲んでもらおうと思ったんよ」
彼女はさっそく扉を開け、よく冷えた麦茶とソーメンを出してくれた。
「ちょっと待ってね」
玄関脇の台所に立った一条の手元から包丁の音が響く。薬味のネギを刻んでいるのだ。
「食べてください。暑いからおいしいでしょう」
私はソーメンをいただく。汗が引いていく。
「冷蔵庫、どうしたんですか」
「おとつい買ったんよ。朝5時に起きて見て回った。この辺は安くていいのがある。おっちゃんに『これいくら』言うと、『1万円』やって。『1万円は高いな』って言うたら、8000円でいいって。それで買った。冷やソーメン食べてもらおうと思って」
体調がいいのだろう。楽しそうにしゃべっている。
「ここまで上げるのが重かった。詩ちゃんと2人で上げた。みんなびっくりしとった。手伝うたるのにと言われたけど、そしたら小遣いもやらないかんし」
一条の言う「詩ちゃん」とは加藤詩子である。この時期、一条を世話しながら、彼女のインタビューを続ける女性だった。一条は私が当然、加藤を知っていると思い、語っている。
一条を支えた“あるカメラマン”
加藤はフリーランスのカメラマンとしてストリップの踊り子を撮っていた。その過程で一条に興味を持ち、「炊き出しの会」の稲垣を通じて、一条を紹介してもらっている。
彼女が書いた『一条さゆりの真実 虚実のはざまを生きた女』によると、最初に一条を訪ねたのは95年5月、大阪市阿倍野区内にある総合病院の6人部屋だった。一条が解放会館に入る1ヵ月前である。
「詩ちゃんって?」と私が尋ねると、一条はこう説明した。
「付き合い出したのは去年(95年)11月ごろかな。その前に詩ちゃんが病院に訪ねてきたことがあった。あたしのこと探してたみたい。会うてみたら、若いのに何やしらんけど気が合うて。じっくり話すようになったのは秋ごろからやったと思うわ。ちょくちょくここ(解放会館のアパート)に訪ねてくるようになったんよ」
加藤は自分の電話を、一条のアパートに移そうかとも言ってくれたらしい。
「ここに電話がないから、詩ちゃんも不便なんやて。あの子は携帯電話を持っているからね」