藤井聡太はなぜあんなに強いのか…伊藤忠商事元会長が語る「勝者のメンタリティー」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

63歳下の友人は「日本一の天才」だった

仕事をしていた頃は若い世代と交流していた人でも、リタイア後は会う機会が少なくなり、同年代の人とばかり話をするようになりがちです。同じような歳の人と語り合うのも楽しいとは思いますが、相手から出てくる話が「病気自慢」と「孫自慢」ばかりでは、そのうちに飽きてしまいます。刺激が足りないのです。相手が本や新聞もほとんど読まなくなっていたら、なおさらでしょう。その点、現役でバリバリ仕事をしている世代は情報も豊富だし、本を読んで勉強もしているので、いろいろな議論もできる。その意味でも、会社にいる頃に若い人たちとの関係をしっかり築いておくことは大事です。

退職後は、たまに若い人たちを誘って話をし、刺激をたくさんもらう。自分は若い人たちを応援し、必要なら相談にものる。そういう付き合いは、歳をとったからこそできるものだと思います。私も、若い人たちとたまに会って話をし、よい刺激をもらっています。

私にとって「最も歳の離れた友人」は、棋士の藤井聡太さんです。初めてお会いしたのは二〇一八年。藤井さんは高校に入学したばかりの一六歳、私は七九歳でした。二〇〇二年生まれの藤井さんは、生まれたときからインターネット環境があったデジタルネイティブです。一九三九年生まれの私にとって孫のような年齢ですが、話してみると年齢の差は感じず、打てば響くような彼の思考に大いに刺激を受けました。同じ愛知県出身ということで、どこか気脈が通じるようなところもあります。

その後も藤井さんとは何度か対話を続けました。その間に、彼は将棋界に次々と記録を打ち立てていき、二〇二三年六月には史上最年少(二〇歳一〇ヵ月)で名人、そして同年一〇月には、前人未踏の八冠全冠制覇を達成しました。

藤井聡太の真髄とは

私には「努力では人に負けないぞ」という自負がいささかありますが、藤井さんは人並み外れた努力家です。そして、彼はいかなるときでも落ち着いている。八冠を達成した王座戦五番勝負の第四局では、一時は劣勢になったものの、なんとか局面を複雑にしようと考えて指していたといいます。最終盤では一手一手に時間をぎりぎりまで使い、永瀬拓矢王座を追い詰めていきました。形勢や勝敗に一喜一憂することなく、真摯に将棋と向き合っている姿勢が、彼の強さの本質だと思います。

負けたときでもしおれるのではなく、「あの局面ではこうすればよかった」という後悔や負けた悔しさをいかにして今後の対局へ活かしていくかを考え、「次は絶対に負けないぞ」と自分を奮い立たせている。その気力、自分自身の力で敗戦を乗り越えて前に進んでいく気持ちの強さは、なかなか他の人が真似できるものではないと思います。

将棋は、年齢や経験の量とは関係のない人間対人間の戦いです。八冠制覇の翌日の会見で藤井さんは、全タイトルで追われる立場になったことについて、「盤を挟んでしまえば立場の違いはまったくない」と語っていました。彼のなかには、対戦相手が何十歳年上でも年齢差を忘れ、「それがどうだというんだ」という気持ちがあるはずです。

藤井さんは、まだ二二歳の若さです。将棋という仕事を離れれば、彼も二〇代の青年として、年齢や経験の異なる人たちからさまざまなことを学び、経験を積んでいかなければなりません。これからは私生活でいろいろな変化があるでしょうし、タイトルの防衛をはじめとする大きな試練も待ち構えていますが、今以上の生き方ができるよう経験をさらに積み、試練に負けることなく世界に目を開き、さまざまな国々の人々とともに活躍をしていただきたいと、長い目で期待しています。

六三歳年上の友人として、心から応援しています。

※年齢は2023年当時

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