意外すぎる事実…優秀だった人が「仕事のできない人」になってしまう「構造的理由」

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わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

人は無能になる職階にまで出世する

〈新人に対して社会人の自覚を持たせるための叱咤激励は必要だ。

だがそれは「三手目」でいい。一手目はとにかく顧客の信頼を回復する策を練ることだ。二手目はこうした事態が起こった要因の分析と、営業活動が上手い課員の成功要素を抽出して他の課員(特に新人)と共有することである。

そうした対策を練らないと何度も同じ失敗を繰り返すだけだ。たとえば、自動車の運転においても、「事故を起こすな」という標語は何の意味もない。「飲んだら乗るな」「スピード出しすぎ注意」といった事故原因の分析に基づいた対策標語こそが必要となる。仕事もこれと同じことだ。

それどころか、変えられない過去を責め続けると、次から失敗は巧妙に隠されるようになる。失敗は上司が気付いたときには取り返しがつかないほどに肥大化するようになる。

ここまで読んで、自分もこれまで仕事ではない何かを作りだしてきたかもしれないと気まずさを覚える人もいるだろう。その何倍もこうした何かに苦しめられてきた苦い記憶を思い出した方も多いだろう。

残念なことに、むしろ無意味な何かを生み出すことを仕事だと思っていたり、恐ろしいことにこれこそが経営だと思っていたりする人もいる。〉(『世界は経営でできている』より)

ご存じだろうか、「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるという実感を裏付ける法則が存在することを。

〈なぜここまで会社には真の意味での仕事/価値を創り出す「経営」をおこなっている上司がいないのだろうか。その一つの理由は、次に示すような「人は無能になる職階にまで出世する」という数理的に証明できる法則があるためである。

条件1:組織はピラミッド状であり複数の階層(職階)が存在すると仮定する。

条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く(成績が悪い場合にも降格・解雇はされない)と仮定する。

条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なると仮定する。

条件4:個々人が持つ能力値はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はないと仮定する。

これらは特に現代の官僚制組織ではありそうな状況だろう。

さてこの四つの仮定が揃うとどうなるか。

まず特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。

彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。

数理的にいっても職階の数が多い組織ほどこうなる。〉(『世界は経営でできている』より)

この状況をどう脱すればいいのか、打開策はあるのか。

『世界は経営でできている』では、回避する手についても解説している。

無意味な仕事が生まれ続けてしまう不幸を、ぜひ変えていただきたい。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い