稲盛和夫の「側近」が、”28年間”書き留めた「秘蔵ノート60冊」の”スゴすぎる中身”を公開…!

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京セラ・KDDIを世界的企業に発展させるとともに、倒産したJALを短期間で再建するなど、卓越した手腕を発揮した稲盛和夫氏。今年8月に三回忌を迎えたが、いまなお多くの人に影響を与え続けている。

このたび稲盛氏の側近として、約30年間、薫陶を受けた大田嘉仁氏が、新著『運命をひらく生き方ノート』を刊行し、大きな話題を呼んでいる。担当編集者が紹介してくれた本の中身には、稲盛氏の貴重な肉声が詰まっていた。

28年間に及び記されたノートの数は、実に60冊に…!

戦後最大の負債を抱えて2010年に倒産したJAL。その再建計画を巡って連日、喧(かまびす)しく報道がなされていたが、最終的にその火中の栗を拾うことになったのは、当時78歳を迎えていた稲盛和夫氏だった。

その年齢もさることながら、航空業界についてはまったくの門外漢だった稲盛氏が、長らく固辞していた会長就任を受理された時には驚いたが、さらに驚いたのは、稲盛氏が京セラから連れて行った社員が、たった二人だけだったことである。そのうちの一人が、稲盛氏の秘書を務めるなど、側近として長年仕えてきた大田嘉仁氏だった。

このたび、その大田氏が一冊の本を書き上げた。タイトルは『運命をひらく生き方ノート』(致知出版社刊)。氏は37歳で特命秘書になった時から、稲盛氏が折々に発した言葉や教え、自らの気づきなどを自前のノートに書き留めていた。1991年から2018年までの28年間に及び記されたノートの数は、実に60冊にも及ぶ。

ある時は共に昼食のうどんを啜りながら、ある時は幹部との会話の中で、またある時は会議の進行がうまくできず助言を求めた時に、稲盛氏がどのように答え、社員を鼓舞し、組織を導いてきたかが、その時、本人の発した“生”の言葉で綴られているのが特長だ。そこには一人の人間として苦悶し、葛藤する中で、その経験や実践を哲学にまで昇華させた名経営者の知られざる一面、著者でしか知り得なかった実像が克明に記されている。

総数2,000近くにも及ぶ語録の中から、気になった言葉をピックアップし、整理、分類、その上でさらに言葉を選び抜くには途方もない地道な作業を必要としたというが、まる3年の歳月を経て磨き上げられた原稿と、そこに収められた稲盛氏の生の言葉は、まばゆく光り輝いている。まさに読む人の運命をひらくノートと言えるだろう。本書の中から一部を紹介したい。

自分で考えるからいい仕事ができる

私が自分で会議を開くことが増えてきたとき、なかなかうまく進行できないことがありました。そこで、稲盛さんにどのように進めたらいいのかと聞きました。

すると、まず「進行は思いつきじゃダメだ。事前の準備が大切で、議論すべきテーマの優先順位と時間割を決めて進行しなさい」と実務的に大切なアドバイスをしていただき、そのあとに「大事なのは、出席者全員によく考えてもらうことなんだ。たとえば、『こういう問題が起こって困っています』というような質問が出たとき、お前が答えを知っていても、ヒントは与えてもいいけれど、答えを教えてはダメなんだ」と言われました。このことが強く印象に残っています。

確かに、学校の先生が黒板に問題を書いてすぐに答えを教えていたら、子供の考える力は身につかず、育たないでしょう。それは会社も同じで、稲盛さんが「会議は教育の場でもある」と話していた理由もそこにあるのだと気が付いたのです。稲盛さんは常々、「指示待ち族ではダメだ。自分で考えなさい。自分で考えるからいい仕事ができる」と教えていました。それは「自分で考えたアイデアは、自然と責任を持って実行しようと思うもの」だからです。

ですから、上司は部下に指示を出すことよりも、「全員にまず考えてもらう」こと、「知恵を出してもらう」ことが大切になります。稲盛さん自身、常に私に「お前はどう思う」と聞いていました。報告書を提出する際も、「どうしましょう」と稲盛さんに判断をゆだねるようなことをしたら叱られ、「私はこう思います」と自分の判断を書くように注意されました。

稲盛さんは「自分で考えるからいい仕事ができる」ことがよく分かっていたので、誰にでも「自分で考え、自分で判断する」よう指導していたのです。しかし、自分で考えて判断する際、それぞれが自分勝手な基準で判断すれば組織は混乱してしまいます。したがって、組織が混乱しないような判断のガイドラインとなるものが必要になりますが、それがフィロソフィなのです。アメーバ経営も、稲盛さんは、「全社員がフィロソフィをベースに主体的に考え、判断し、行動できる経営システムだ」と説明していました。

なぜ、これほど「自分で考える」ことにこだわるのか、それは、稲盛さんが人間の無限の可能性を信じていたにもかかわらず、ほとんどの人はそのスタートとなる「自分で考えること」が得意ではなく、過去と同じことをしたほうが安心だとか、指示に従ったほうが楽だとか、マニュアル通りしたほうが効率的だと思っていることをよく知っていたからでしょう。

自分で何も考えないとすれば、主体性も積極性も、自分の無限の可能性に挑戦しようとする熱意も生まれてきません。自分で考えることさえ厭うような社員ばかりでは、会社が発展するはずはないのです。それゆえに、会議の進行であれ、経営システムであれ、全員が積極的に自分で考えられるように稲盛さんは工夫してきたのです。

応援は出さない。自分で考え、実行しなさい

私自身、稲盛さんから常に「お前はどう思うか」と問われ、多少自分で考える習慣が身についていました。しかし、自分で徹底的に考え、判断し、行動せざるを得なかったのは、JAL再建で会長補佐として意識改革を担当するようになったときです。

稲盛さんがJAL会長に着任した際、私は突然稲盛さんからJALで意識改革を担当してほしいと言われました。京セラで教育の経験もなく、当然航空業界のことは何も知りません。どうしていいか分からず、ただうろたえ、戸惑いました。そんな私を稲盛さんは「自分で考える」ように突き放していたようにも思います。

2010年1月19日、JALの会社更生法適用と稲盛さんの会長就任の記者会見が開催されることになったのですが、実は、その日、稲盛さんには既に別の予定が入っていました。私は、当然、その予定を変更して記者会見を優先すると思っていたのですが、稲盛さんは「先約を優先するのが当然だから、お前が代理で出席しなさい」と言うのです。私にとっては青天の霹靂でしたが、そのとき、自分の置かれた立場が少し分かるようになった気がしました。

JALでの仕事が始まり、私が「意識改革を進めるため、京セラから応援を出してほしい」と稲盛さんにお願いすると、「応援は出さない。自分で考え、実行しなさい」と当たり前のように言います。私はそのとき、逃げ場はない、自分で考え実行するしかないと覚悟を決めることができました。

その後、私は自分で考えた意識改革の進め方をメモにまとめ、稲盛さんに渡しました。するとすぐに、「この通り進めてください」と返事がきました。稲盛さんは私が考えた案をすべて受け入れ、任そうとしている。その本気度が伝わってきました。私は、自分で考え提案したのだから自分で実行して成功させるしかないと決意しました。

稲盛さんは「自らを追い込んで仕事をしなければ、困難な局面は打開できないし、自分の殻を破り成長することもできない。もうあとがないという『絶壁』に立たされて初めて人は真価を発揮する」と教えています。私も断崖絶壁に立たされて、自分で納得できるまで本気で徹底的に考えることができました。そのとき、稲盛さんの言葉の意味が初めて分かったような気がしたのです。稲盛さんは、人を成長させるためには「自ら考えさせることで、やる気を拡大するような導き方」が必要だと教えていましたが、まさにその通りでした。私の例に限らず、稲盛さんは、誰にでも無限の可能性があることを信じ、主体的に考えさせ、実践

させ、成長を促してきたのです。

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『論語』を著したのは、孔子本人ではなく、孔子の門人たちであったように、偉大な人物の真の偉大さは、その身近にいた人によって伝えられるものなのかもしれない。稲盛氏を師と仰ぐニデック代表取締役グローバルグループ代表・永守重信氏の推薦の辞にあるように、稲盛氏の生の言葉がいまここに聞こえてくるかのような一冊である。

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