「こんな人、私の親じゃない!」…実は『退院直後』が一番危険!? 子どもが親を介護施設に入れたくなる瞬間とは

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第6回

『機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること』より続く

子どもが親を介護施設に預ける選択をするとき

私は理学療法士として病院に勤務した後、介護職に転じて特別養護老人ホームで働き、現在の介護老人保健施設に移って10年以上になります。そうして30年以上、医療と介護の現場に身を置いてきました。

その間、実にたくさんのお年寄りと出会いましたが、どの人にも共通して言えることがあります。

皆さんそれぞれに日々の生活を営み、家庭では妻や母、あるいは夫や父として、また地域においてはひとりの社会人として自分の居場所をつくり上げてきました。ところが、年をとって病気にかかると、これまで積み上げてきた暮らしや居場所が壊される危機に直面します。

病気にかかって入院すれば、手術や投薬などの治療や、病気によって不自由になった身体機能を回復するためのリハビリテーション訓練が行われます。そうして一定の治療を終えると晴れて退院の運びになります。

ところが、たとえば脳卒中の危機的な状態は脱したけれど、手足が不自由になったとか、骨折は治癒したけれど歩行が困難になったとか、肺炎は治ったけれど認知症が進んで大事なことを次々に忘れていく、といった状態になる人がいます。

つまり、病気は治ったけれどもとの体には戻れないという現実に直面します。

そんな状態で退院すれば、たちまち生活に支障をきたします。これまでは手足が動いてしっかり歩くことができ、物事をしっかり覚えることができた上で成り立っていた生活です。それができなくなったということは、今まで通りの生活を送ることができなくなるということです。

親に守られてきた子が親を守る立場に変わる

そのとき子どもは、はじめて気がつきます。「退院しても、親はもとの体で戻ってくるのではない」ということに。

そうなると、かつては親に守られ育てられた立場から、今度は自分が親の老いと自立を守っていくというふうに、立場が変わらざるを得なくなります。

こうした事実を受け入れることができないと、たいへんな混乱をきたします。中には「自分で何でもできていた強い立派なお父さん」や「明るくて世話好きだったお母さん」がそうではなくなると、これまでの親子関係が全部否定されたような気になる人もいるでしょう。

その気持ちが特に強くなるのが、親が認知症になった場合です。思いもよらないチグハグな行動や発言を繰り返す親を見ると、「こんな人、私の親じゃない!」と、親の存在までも否定したくなってしまうことさえあります。

そうした状況の中でも、親の老いと自立を守っていく立場として考えなければならないのが、今後の親の生活です。親と同居している場合は、親を含めた家族の生活をどうするかということです。食事、排泄、入浴といった身の回りのことが自分で一通りできた上で成り立っていた、これまでの生活とは変わらざるを得ません。

手足が不自由になったり、物の名前や時間、場所がわからなくなってしまったりした親をひとりにはしておけない。かといって自分たちには仕事もあるし、子育てもある……といった状況の中で、親と一緒に暮らす形がどうしても見えてこない。

この事実に直面したとき、子どもは親を介護施設に預けることを考え始めます。

『親を施設に入居させることに『罪悪感』を覚える必要なし! 円満な介護生活のコツは「サービスの使い分け」と「介護施設への理解」にある』へ続く

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