私に自分の存在価値を確認させてくれるのは誰? 蓋をしていた感情と記憶が溢れだす短編集

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さまざまな年代や立場から〈恋愛〉の側面を描いて話題の、高瀬隼子さんの短編集『新しい恋愛』。ライター羽佐田瑶子さんは自らを投影してどう読んだのか。書評エッセイをお送りします。

「まだ、私のこと好きだし」が私を支えてくれる

主人公・かな子の視点で、彼女に何年も想いを寄せる狛村くんの恋愛模様が描かれる「あしたの待ち合わせ」。狛村くんはかな子にはっきり気持ちを伝えず、SNSで彼女の行動を把握して、気配だけ嗅ぐような薄気味悪い距離感でかな子の生活に居続ける。かな子が「メダカが死んじゃった」とつぶやけば、「メダカは元気?」とメールをしてくる。近所のコンビニで会ったこともあった。

大学時代、周りとうまくやりたいからと必死で、誰からでも好かれるような態度を心がけていたかな子。そんな自分を好きになった狛村くんに「好かれてしまって当然だ」とうんざりしながらも、しつこく燃え続ける一方的な恋の炎を吹き消そうとしないのは「まだ、私のことを好きだし」という事実が、彼女の自己肯定に結びついているからだろう。たとえ傷つくような恋愛を繰り返していたとしても、私を好きな狛村くんがいる。中身はどうであれ、その事実が私を生存させる。

一挙手一投足に目を向けてくれる人がいることで、かな子は自分が存在する価値を何度も確認しているのだと思うと、私自身わからなくもない感情に苦しくなった。

自分で自分の価値を認めることができて、他者の視線を内面化しない人がうらやましい。そっちが正しくて健全だとわかっている。だけど、誰でもいいから好意的な視線を向けてもらえることの安心感を知っているかな子と、そう遠くない感情を知っている人はきっと多いはずだ。私はここに居ていいのだろうかと、ふと考えてしまうたび、他者の熱が私の存在価値を証明してくれる。かな子の気持ちがわかってしまう、そんな自分に打ちひしがれながら、私の恋愛観といちばん近い短編だと感じた。

もう一つ印象的だった短編が「いくつも数える」だ。仕事ができて、見た目も清潔で、同僚から尊敬されている50歳の独身課長が、26歳年下の女性と結婚を決めたことによる社内のざわめきを描いた本作。人を年齢や見た目でカテゴライズしないと決めていても、心のどこかで「結局若い女性が好きなのか‥‥?」と一度疑問に思ってしまったらなかなか元に戻れない、20代である部下の花村さんの葛藤に気持ちを重ねた。

上司としては尊敬していますけど、ふとした時にどうしても、気持ち悪いと思ってしまって。でも、普段は忘れて過ごしているんです。(中略)で、ふっと気持ち悪くなるのは自分のことでもあって。ダブルスタンダードさというか、鈍さというか。(「いくつも数える」より)

頭では、尊敬する上司が決めたこと、と理解しているけれど気持ちが追いつかない。安心材料を探して無理やり納得しようとするのは、結局自分に都合のいいように解釈するだけの、いかにも社会人的な振る舞いをしているだけだと突きつけられたような読後感で、自分自身にため息をつきながら「そんなことばっかりしてきたな」と思った。

作者の高瀬隼子さんが正しさから逸脱した矛盾ばかりの感情を懇切丁寧に書くものだから、蓋をしていた気持ち悪いものが自分から表出してくる。目を逸らしていたこと、だけれどほんとうは許せなかった感情と記憶が分解されて、読みながら、自分の気持ちの揺れも見つめ続けることになった。

恋愛を考えるための私の2冊

何十年も、『恋愛ってなんだろう?』と考えてきた。誰かを好きになる、それは同世代の話題に乗っかるためだったり憧れだったり、恋愛の枠組みに自分から形を合わせにいって、擬態するような違和感があった。

昨年、中学生向けの恋愛本の構成にたずさわることになり、これは距離を置いてきたものに向き合うチャンスだと、約1年かけてたくさんの恋愛作品を読んだ。好き/嫌いだけの大きな構図で恋愛を語ることを暴力的に感じていたけれど、もっと手前にある枠組みを解体しながら、人間の気持ち悪さがもっとも露出しやすい場として恋愛を語る作品や、恋愛を入り口に人間の本質を描く作品が少しずつ登場してきていると知った。その中から、いくつか作品を紹介したい。

『新しい恋愛』を読み終えたとき、真っ先に思い出したのが大前粟生さんの『きみだからさびしい』(文藝春秋)だった。複数の人と合意の上で交際するポリアモリーの女性を好きになった青年が、彼女のすべてを受け入れたいと思いやりながらも、嫉妬に苛まれてしまう葛藤を描く。 一般的とされる恋愛観とは異なる考え方を軸に、恋愛も含む様々な“こうあるべき”を解体しながら、繊細な感情がはぐらかされることなく書き切られる。大切な人が大事にしている価値観を理解したい、けれど別の人と濃密な時間を過ごしていることを想像すると嫉妬でどうにかなりそう。尊重しているフリをして、自分が傷つかないように都合よく解釈しているだけではないか。相手との距離感に悩みながら、一歩の歩幅を慎重にたしかめる青年の姿から、言葉にしたくなかった嫉妬心や結局のところ社会通念に縛られている自分の固定観念に気づき、胸ぐらを掴まれるようだった。そうした読後感は『新しい恋愛』とも共通するところではないだろうか。

また、温度感は違うけれど、綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』(文春文庫)も、読んでいると、蓋をしていた部分が溢れ出てくるようだった。片思い以外経験ナシの26歳OLが、積年の脳内片思いと突然思いを寄せられたリアルな恋愛との狭間で揺れ動くのだが、ひたすら自分の中のわがままな感情を吐露する。好意を向けてくれている相手には、ときに暴力的な態度を取ってしまって傷つけるし、憧れの相手には都合よく使われて傷つく。人間関係の中にある、憎悪や嫉妬といった気づきたくないほどドロドロとした感情が言語化され、自分にも思い当たるところがあると知ってしまい苦しいけれど、人間の本質に触れているとも感じられた。

綺麗な言葉でおさまりよくせず、恋愛をはじまりに表出する人間の気持ち悪さをまなざす。そんな書きぶりを誠実に思うし、そこで露呈した人間の本質こそ、私は読みたいと思う。

『新しい恋愛』高瀬隼子みんなの恋愛を私は知らない。モヤモヤがゾワゾワになり、読み始めたらとまらない5つの〈恋〉のかたち。芥川賞受賞作のベストセラー『おいしいごはんが食べられますように』著者がはなつ、最高の〈恋愛〉小説集。

最も高いことないな、恋愛が自分の人生で。芥川賞受賞作『おいしいごはんが食べられますように』の著者が綴る、恋愛に関する率直な気持ち