群像新人文学賞受賞!21歳の現役大学生が戦争から現代へ、圧巻の「語り」で紡ぐ壮大な沖縄現代史

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今年21歳の現役大学生・豊永浩平さんの『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(ちちぬはいや、うんまぬはい)が第67回群像新人文学賞を受賞しました。

受賞作は戦争末期から現代にいたる沖縄を舞台に、時代も年代も異なる全14人のモノローグを繋いで描かれていきます。戦争中の日本兵から戦後の学生運動家、現代のヤンキー中高生や小学生まで、現在と過去を行きかいながら次々と変化する圧巻の「語り」が特長です。

発表直後からさまざまなメディアで注目され、大きな反響を集めてきた本書より、冒頭部分を抜粋・編集してお届けします。期待の新星が繰りだす濃密にしてダイナミックな「語り」の力を、ぜひ体験してみてください。

『月ぬ走いや、馬ぬ走い』その幕開け

今日(ちゅー)や海んかい行んじてえはならんどお、とオバアからいわれていました。お盆なので道巡礼(ミチジュネー)があるから町はざわざわしていて、でもぼくは町よりずっとざわざわしていて、それはどうしてかっていうと、幼なじみのかなちゃんにこく白しようとおもっていたからです。ぼくはかみが長くてさらさらで、よく女の子みたいだって馬鹿にされます。あと、うんどうおんちなので、体育の授業でいつまでたっても逆上がりができないから、そのたんびにクラスのうるさいやつらからからかわれて、夏休みも、せっかくいっぱい遊べたはずなのに、さいきんは仲良しだったやつらからもハブにされることがおおくなって、あんまり遊べないままもうお盆がきてしまいました。それと、いちばんいやなのはぼくの名前です。ぼくのオジーはアメリカ人だから、ぼくのからだは四分の一がアメリカ人で、つまり【くおーたー】というやつなのです。もともと、なんだかカッコいいからきらいじゃありませんでした。けど、新学期に【くおーたー】のことがたまたま授業にでて、ついうっかりぼくはぼくの名前についてクラス中にはなしてしまったのです。もうおぼえてないけど、ぼくはアメリカのシカゴ? って町で生まれました。だからぼくにはミドルネームがあって、それをはなしたら、クラスからすぐみんなの笑い声がきこえてきました。島尻(しまじり)・“ケンドリック”・浩輔(こうすけ)。それがぼくの名前です。それいらい、ぼくのあだ名は「ケンドリック」だし、すぐハロー! ケンドリック! とかからかわれるので、ほんとうはぼくのほうからからかってくる男の子たちとあそぶのをやめちゃったのでした。からかったりしないで、カッコいいってほめてくれたのは、かなちゃんだけでした。だから、さいきんはずっとかなちゃんと遊んでばかりです。もうお迎え(ウンケー)がおわって、今日は中の日(ナカヌヒー)だから、さいきん学校でならった分数で考えてみると三分の二にいることになります。算数はとくいです。かなちゃんとも仲良くなったのは算数のじゅぎょうで、かなちゃんが、おれ線グラフがわかんなくて、おれ線グラフわかんないー、いまの時代、インターネットで天気予報見れるしこんなのやるひつようなくない? かな、おれ線グラフいらんとおもうー、ってグチってたとき、それを教えて仲良くなりました。ときどき、かなちゃんはこわいです。かなちゃんはよくぼくをなぐったりけったりします。女の子のパンチだから、ぶっちゃけ、あんまいたくはないけど、いらいらしたらすぐ手がでてきます。でも、かなちゃんはぼくとよく遊んでくれるし、この前とかも、ぼくがクラスのやつらに馬鹿にされてたら、ぷるぷるおこってぼくのことを守ってくれたので、こわいのは、ときどきだけです。ぼくはかなちゃんにどきどきします。お母さんに、ぼくが、かなちゃんにどきどきするのは何でだろうって聞いてみたらお母さんは、それはね、恋だな、っていいました。恋! テレビでよく聞きます。お母さんも恋したことある? あるよ、かなーりむかしにね。どうだった? 楽しかった? ううん、ぜんぜん楽しくなかったなあ、だからわたしはお父さんとけっこんしたわけよ(笑)、恋より愛を選んだわけさ。恋、と、愛、って、何がちがうん? お母さんはちゅるちゅるの耳のよこからのびてるかみをいじりながら(かんがえる時のくせです)、恋はきほん一回かぎりだけのもので、愛は、何回でもくりかえしやってくるものよ、一回かぎりの恋がくりかえすと愛になったりもするけどね、愛が一回かぎりということはありえないね、と答えました。よくわかりませんでした。ぼくは、わからないので、じゃ、ぼくが、かなちゃんを好きなのは愛じゃないの? と聞きました、ぼくはかなちゃんに会うたびにかなちゃんを好きになるから。そしたら、お母さんはわらって、ぺーぺーだな、たかが小学生がみじかい間で好きをくりかえしてもまだまだ愛とはよべないよ、もっともっとながれる時間を間にはさんでくりかえして、そこでやっと、愛があるのかどうかっていうとこなんだからさ、というか、そんなむずかしいことひとりでかんがえないでちょくせつ、かなちゃんに好きってこく白したら? 愛はひとりでくりかえしてもいいけれど、恋は行動してナンボよ、恋が一回きりのものなんだから、その恋にまつわるものもかなり一回きりなわけで、かなちゃんが好きならいまのおまえに立ち止まってる時間なんてないぞ。お母さんのいっていることはよくわかりませんでしたが、なんとなく、正しいことだとおもったので、ぼくは夏休みがおわるまえにこく白しよう、と決めました。それで、お盆がおわったら夏はもうすぐおわっちゃうから、ぼくはお盆の内にこく白しようとかんがえました。それで、チャンスをまっています。ですが、今日、かなちゃんは、ねねね、海行かん? とぼくをさそったので、ぼくはこく白できるふんいきではありません。オバアから、えー、今日(ちゅー)や家(やー)んかいゆくいみそーれーするからよ、ニライカナイんかいご先祖さまたちがくるからね、海には行かんよ、あぶないよお! といわれています。海行ったらダメ? うん、かーなーもそんくらい知ってるよ、だから海行くわけさ、そっちのほうがおもろいじゃん? 幽霊とか妖怪(マジムン)でるかも、あ、こわいならこなくていいよ、かーなーだけで行くし。かなちゃんを置いてけぼりにはできません。夕方でした。遠くから、ドン! ドン! ドン! とエイサーのたいこの音がします。ドン! ドン! ドン! 海に行く道の公園に、青年会のにーにーたちがあつまって、トラックのうしろのほうにいっぱいのっていました。三線の音とかもします。白いねこの家族がびっくりしてにげます。ドン! ドン! ドン! がさがさ生えたこい緑色の草のなかを、くっつき虫がひざとか太ももにくっついて刺してくるいたさもぜんぜん気にしないで、ぼくの先をかなちゃんが走っていきます。ぼくはすぐ体力がなくなるので目の前に見える緑色の草のなかをがさがさ進む白くてきれいなかなちゃんの足をおいかけて、ちょっと、まってよお、かなちゃん! とのどが苦しくなりながらいいます。ときどき、かなちゃんがこっちをふりかえって、笑った顔。草のなかからかなちゃんの笑顔がでてくると、そのたびにぼくはじぶんのどきどきを何度も知って、やっぱりぼくはかなちゃんが好きなんだなあとおもいます。しばらく走ったあと、草に砂がまじってきて、島ぞうりのなかがざらっとして、ちくちくしてきて、それからちょっとだけまた先に行くと砂浜になって、海が見えました。ザザーン。夕日はもう見えるぎりぎりまでのところの向こう側に落ちてしまっていたので、光がちょっと見えるだけです。ザザーン。周りから、カチカチカチカチカチカチ、とかにとか虫が鳴いて動いているのが聞こえてきました。夜の海は昼よりずっとにぎやかで、生き物たちが声をたくさんだしているので、この音が聞こえているから、もう少しで夜だとおもいます。おーい、こっち来いよ、こうちゃん! と、ていぼうの上にのぼってかなちゃんがぼくをよびました。かなちゃんはうでをいっぱい広げて風にばたばたかみと服をゆらして、もうどっちも暗くなってわからなくなりそうな空と海の間に立っていて、ちょん切られちゃいそうであぶないとおもいました。もう帰ろうよお、なんもないよお、とぼくはさけびましたが、かなちゃんは言うこと聞きません。お盆の日にさあー、海に来たら足引っぱられちゃうってみんな言うけどさー、本当かなあ? ね、試してみようよ! 海の色はまっくらでいまにもいっぱい手が伸びてきてかなちゃんを引っぱっていきそうで、ぼくは頭のなかで、引きずられて海の下で息ができなくなってくるしむかなちゃんを想像して、こわくなり、かなちゃんを家に帰すために、置いてあるがれきの山をふんでぼくもていぼうにのぼりました。ザザーン。ぼくは、ていぼうの行き止まりまで走っていってかなちゃんの手をつかんで、帰ろう! と言いました。返事がありませんでした。ザザーン。ぼくはかなちゃんの顔を見て青白くなっているのに気づき、かなちゃんが見てる方向をいっしょに見ました。そしたら、そこには、びしょぬれになった兵隊さんが浮かんでいました。兵隊さんは手も足もだらーんとしたまま、ぴちょぴちょ海水をたらして浮かんでいます。ヘルメットみたいなぼうしをかぶってて、顔は見えません。ザザーン。兵隊さんは、私は七十八年前に死んだのだ、と言いました。兵隊さんは低いうめき声で、私は

今や、あらゆる肩章を喪失した単なる海の藻屑の一ト片(ひとひら)に過ぎない。私は此の浜辺で永遠に戦火に囚われ、辱められる虜囚と成った。歴史は、或る間隔のもと宙に浮き、永劫に反復するのだ。私は天皇の大御心に反した罪を雪(そそ)ぐためこの浜辺で死の間際の繰り言を口にする、終わりはない、あの御方並びに御國(おくに)は私の許(もと)から去ってしまった! サイパン・レイテでの大敗から、硫黄島の陥落、最早頸の皮一枚、残りうる抵抗は本土決戦の敢行の他にないというのが我々の専(もっぱ)らの心匠であり、率直にいって戦況は苦しかったが、却って最後の最後の一片(いっぺん)まで帝国のため此の身を捧げんと獅子奮迅たる戦闘に向かう活力が、此の身から沸いてきたというのもまた事実なのだ。地の利は我々の側にある。即ち逆転は充分可能であり、否、譬え不可能だとしても、成しうる限りの損壊を米兵に与え此の身を帝国の血の一滴として忠心を尽くすのだ。(……)

※【 】は、本文では傍点。

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豊永浩平(とよなが・こうへうい)

2003年沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部に在学中。2024年、『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で第67回群像新人文学賞を受賞。

21歳現役大学生、衝撃のデビュー作!豊永浩平『月ぬ走いや、馬ぬ走い』の歴史と現在を接続する「声」