芥川賞受賞『バリ山行』、「タイトルどう読めばいいのかわからない」問題を、担当編集に直撃した
「これなんて読むの……?」
みなさんこんにちは。非文芸編集者のM(34歳・男)です。この記事は、文芸の編集者ではない私が、文芸編集者にヒット作品のウラ話を聞くコーナー。
今回取り上げるのは、今年7月に芥川賞を受賞した、松永K三蔵さんの『バリ山行』(講談社)です。
じつは私、恥ずかしながら、芥川賞ノミネート作品が発表されるまで同作についてよく知らず、スマホのニュース速報通知で作品を見たとき、最初に抱いたのは「これなんて読むの……?」という感想でした。
「バリさんぎょう」「バリやまぎょう」「バリやまいき」……? バリ島の山で修行をする僧侶の話なのかなあ。あるいは、「バリバリ」というポップな日本語で、山での修行という古風な日本語を修飾する、前衛的で実験的な作品なのか……。
著者の名前もちょっとイカついし(「K」とは!?)、その風貌もややヒップホップな感じだし、どこか気圧されるところがあるなあ、本に手を伸ばせるかなあというのが正直な感想でした。
しかし、その後、実際に手に取って読んでみると、タイトルのとっつきにくさとは裏腹に、すごく読みやすい。しかも、会社員の悩みや、そうした悩みと登山の関係などが描かれた話で、会社員として悩みを抱える私にはピッタリの作品でした。
そして、タイトルに用いられている「バリ山行(さんこう)」というのは、「バリエーション山行」=「正規の登山道以外のルートを使って山を登ること」の略称であるということも、もちろん本書を読み進めるうちに判明します。
そればかりか、満足感をもって本書を読み終えたあとに思ったのは、「この本のタイトルは、たしかに『バリ山行』だ!」ということでした。うん、たしかにこの本は「バリ山行」という名前がピッタリな作品であるな、と。
しかし一方で、本書のタイトルに当初とっつきづらさを感じてしまった身としては、頭の片隅で「ほんとうに『バリ山行』でよかったのか……?」という疑念も捨て置けないところがあります。
そこで、担当編集の須田さん、中野さんにこの疑問をぶつけてみることにしました。
パリ五輪に引っ張られて……
--『バリ山行』について、「読み方がわからない」という声は届いたりしましたか?
須田「はい、SNSでは『なんて読むんだろう』という声をけっこう見かけますね。
タイトルを間違えて書いている方もいらっしゃいました。SNSを見ると、おもしろい間違いも多くて。ちょうどパリ五輪をやっていた時期に本が刊行されたからか、『パリ山行』と間違えている方もいたり。著者の松永さんもネタにしているくらいです。
あとは、著者の名前が混じってしまったのか、『バリ三蔵』なんていうのもありました(笑)。著者のペンネームもちょっと変わっているので、混乱を生んでいるのかもしれません」
--「読み方がわからないんじゃないか」という懸念はありましたか?
中野「ちょっとありましたね。この作品は最初、「群像」2024年3月号に掲載されたのですが、校了の直前に編集部で「読めないかもね……」という話になって、目次にだけルビをふりました」
--タイトルはどんなふうに決まったんですか?
須田「2021年6月に松永さんから第一稿をお送りいただいたんですが、そのときからタイトルは『バリ山行』でした。ワードの原稿の冒頭に『バリ山行』とあったんです。
私も最初は読み方がわからなくて、松永さんに「なんて読むんですか?」と聞いた記憶があります。山行という言葉は、登山をする人たちの中では割と一般的な言葉らしく、興味深かったですね」
--最初からタイトルが変わっていないんですね。
須田「そうですね。ただ、タイトルこそ変わっていないものの、内容は最初のものから大きく変わっています。
完成版の『バリ山行』では、会社員としての悩みや会社の経営危機がかなり前面に出ていますが、その前には、家族を中心に据えたバージョンの原稿などもありました。主人公の波多はいまの会社に転職してきているのですが、そうした設定も、松永さんと打ち合わせで話し合う中で出てきたものです。大きく4〜5回は改稿していただいています」
--内容がそれだけ変わっているのに、最初からタイトルが変わっていないのはすごいですね。
須田「そうですね、珍しいかもしれません。内容は大きく変わっても、バリエーション山行というモチーフが揺らがずに残ったのは、作品が持つ力だったように思います」
--なるほど。「バリ山行」というモチーフが、それだけの強度がある題材というか、現代の社会とがっぷり組み合うような題材だったということなのかなと感じました。そう考えると、少し読みづらいかもしれないという懸念があっても、タイトルは『バリ山行』であることに必然性を感じます。奥深い……。
*
さらに【つづき】「編集者は「芥川賞作家」をどうやって発掘するのか? その「意外なプロセス」がめちゃおもしろかった…!」(10月1日公開)では、この作品がどのようにかたちづくられてきたのか、そのプロセスを追います。