世界は数式で表されるのか? 「残留応力場」の破壊シミュレーションから断層や北極の氷の破壊予測に挑む!

写真拡大 (全8枚)

スマホを落とすとバキバキに割れてしまうことがあります。これは画面に使われる素材「化学強化ガラス」の内部に「残留応力」があるためです。この残留応力を持つ材料のシミュレーションに世界で初めて成功したのが海洋研究開発機構(JAMSTEC) 数理科学・先端技術研究開発センター(MAT)の廣部紗也子研究員です。実はこの「残留応力場」の破壊シミュレーションは、強化ガラスだけでなく、断層の破壊や北極や南極の氷の破壊過程の予測にも応用できるのだそうです!(取材・文:岡田仁志)

干潟のひび割れから化学強化ガラスへ

──廣部先生は、残留応力場の破壊過程を再現する数値解析を世界で初めて成功させるにあたって、粒子離散化有限要素法(PDS-FEM)という手法を使ったわけですが、その手法そのものは以前から知られていたわけですよね。なぜ、これまで残留応力場の数値解析ができていなかったのでしょうか?

そもそも破壊のシミュレーション自体がとても難しいんです。その上さらに残留応力場が加わるとなれば、どう解析していいかこれまでまったく分かっておらず、チャレンジする研究者はいなかったのかもしれません(笑)。破壊力学の分野では、ほかにも取り組むべきテーマがたくさんありますしね。

でも私自身は、残留応力場の破壊をやりたかったんです。残留応力のない物体の破壊シミュレーションそのものについてはずっと研究されていて、新しい解析手法が開発され続けています。

しかし、残留応力場の破壊をシミュレーションするためには、PDS-FEFをベースにするしか理論的に方法はないと思います。たまたま指導教員だった先生がPDS-FEMの研究をされていたおかげで、この手法が身近にあったのがラッキーでしたね。

──どうして残留応力場をやりたかったんですか? 難しいから、これまで誰もチャレンジしなかったんですよね?

最初に取り組んだ研究テーマに、残留応力が関係していました。田んぼや干潟が乾燥すると、網目状の亀裂ができる「乾燥破壊」という現象です。その解析に、PDS-FEMを使いました。写真の左が実験結果で、右が数値解析の結果です。

──シミュレーションでも、ちゃんと網目状に割れていますね。

試料の層が厚くなると、網目で囲まれたセルのサイズが大きくなるんです。それも再現できました。

一瞬のうちに亀裂が進む強化ガラスの破壊(動的破壊)と違って、こちらは1時間に1センチも進まないぐらいゆっくりした現象(準静的破壊進展)です。その分、残留応力があっても、考えなければならないことが少なくなってモデルが少し簡単になるんですね。その経験があったので、次は強化ガラスの破壊に取り組もうと思いました。

破壊シミュレーションを志した理由は?

──もともと破壊という現象に興味があったんですか?

いいえ、大学に入ったときは建築をやりたかったので、ある意味で破壊とは方向が逆ですね(笑)。でも自分には芸術的センスがないし、自然現象を数学で探る計算力学の分野にロマンを感じたので、この道に進みました。

それで入った研究室の研究トピックの一つに、たまたま破壊解析があったんですね。乾燥亀裂もそうですが、自然界に現れるパターンを数学で再現できるのは面白いと思いました。

福井県の東尋坊などで見られる「柱状節理」も不思議ですよね。溶岩が冷えて固まったときに、必ず六角形の柱状になるように亀裂が入るんです。

この現象はいまだに解明されていない謎なので、いつか研究したいと思っていますが。

世界は数式で表せるのか?

──うかがっていると、ガリレオ・ガリレイの「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」という名言を思い出します。

自然界の形をどこまで数学でシンプルに説明できるのか、すごく興味がありますね。ですから数値解析をやるときは、計算のための恣意的なパラメータをできるかぎり少なくして、最小限のモデルでリアルなシミュレーションをしたいんです。

実際、化学強化ガラスの破壊シミュレーションでも、実験結果に寄せてチューニングするようなパラメータは入れていません。入れたのは、材料の性質を表す材料定数だけで、全て実験で計測できるパラメータでした。もちろんパラメータを操作するような計算手法も間違いではないのですが、個人的なポリシーとしては、それをせずにやりたいんです。

ちなみに強化ガラスの後に手がけた「ハマ欠け」の再現も、パラメータチューニングなしでうまくいきました。よく、ガラスや陶磁器などの脆性材料の角に硬い物体がコツンと当たると欠けますよね。その形がハマグリの貝殻に似ているので、日本では「ハマ欠け」と呼んでいます。英語では「エッジ・チッピング」といいます。これは衝突速度や衝突が起こる位置によって少しずつ形が変わるんですね。

──たしかに、画像を拝見すると、ハマグリの研究をしているのかと勘違いするくらい似ていますね(笑)。

材料を削って物をつくる切削加工の分野では、この「ハマ欠け」を避けることがとても重要なんです。これまではそのメカニズムや過程を解析することができなかったので、勘と経験を頼りにするしかありませんでした。数値解析によるシミュレーションが可能になったことで、こうした加工技術の進歩にもつながるのではないかと思っています。

断層の破壊と残留応力場の関係

──自然現象を数式で説明できるようになると、サイエンスとしての意義があるだけではなく、私たちの暮らしにもさまざまな恩恵があるわけですね。残留応力場の数値解析も、強化ガラスの技術にフィードバックされるというお話でした。それに加えて、将来的には地震の研究にも応用することを考えておられるんですよね?

はい。地震発生そのものである断層の破壊過程に残留応力が関係しているのではないかという考え方は以前からありますが、まだ議論の残るところではあります。土や岩盤はまわりから常にいろいろな力を受けていて「塑性変形」を起こしています。ただし全体が同じように塑性変形するわけではありません。そこにはさまざまな材料が含まれていて、それぞれ力のかかり方や変形のプロセスが異なります。

ですから、違う形の塑性変形が、あちこちで島のように起きていると思うんですよ。そういう塑性変形のムラがあると、必ず残留応力が発生します。一方では大きく塑性変形した領域があって、もう一方では少ししか塑性変形していない領域があれば、両者をつなぐための変形が起きて、そこに残留応力が生じるんですね。

断層での破壊(地震)が起きた場合、そこに引張応力が残留していれば、スマホ画面がグチャグチャに割れるように、一気に亀裂が広がるでしょう。逆に、そこに圧縮応力が残留していれば、亀裂はそこで止まるはずです。

理屈としてはそうなのですが、残留応力が断層の破壊過程にどのような影響を与えているのかは、まだわかっていません。そもそも、残留応力をどうやって測ればいいのかもわかっていないのが実情です。

ただ、強化ガラスのシミュレーションが可能になったことで、残留応力場と断層の破壊過程の関係を探るツールを作ることができました。これまでは「どんな関係があるのか」もわかっていなかったので、その意味では一歩前進したと思います。

断層の残留応力を測ることさえできれば、地震時の破壊がどれぐらい進んで、いつ止まるかを予測できるようになる可能性がありますね。

地震は自分の終わりを知っているか?

私自身は地震の専門家ではありませんが、それを研究する分野には「地震は自分の終わりを知っているか?」という大きな謎があります。「知らない」と考える研究者も少なくありません。

──「終わりを知らない」ということは、始まった地震がいつ止まるかは予測できないということですか?

地震発生後、断層の破壊が進んでいった先で硬いところにたまたま当たれば止まり、当たらなければ断層に溜まっていたひずみが全て解放されるまで進む、という考え方ですね。そうだとすれば、断層の破壊がどこまで進むのかは、破壊が実際に進んでいってみない限りわかりません。

しかし強化ガラスの実験やシミュレーションでも、残留応力のレベルによって破壊の進み具合が最初から決められていることは明らかです。ですから、実は残留応力の分布や断層を構成する材料の強度などがわかれば、どの程度の破壊が生じるか実際に破壊が進んでいく前から予測できるのではないかと。

──たしかに強化ガラスの場合、残留応力レベルがいちばん低いものは亀裂が1本しかできませんが、いちばんレベルの高いものはたくさんの亀裂が生じていました。

強化ガラスの研究は、傷のないところに新しい亀裂がつくられる現象を扱ったので、もともと断層の破壊現象である地震とは異質な部分もあるでしょう。でも「残留応力場での動的破壊の進展」という意味では同じなので、シミュレーションによって「地震の終わりを知る」ことができる可能性は十分にあると思います。

南極や北極の氷の崩壊はモデル化できるのか?

──ほかにも、数値解析してみたい破壊現象はありますか?

いま興味があるのは、氷ですね。南極や北極の氷山が崩れるとき、柱状に落ちていくじゃないですか。あれは不思議ですよ。

──氷にも残留応力はあるんですか?

あるかもしれませんが、氷のことは私自身まだよくわかっていないんです。ちょっと溶けただけでも性質が変わってしまうので、扱いが難しいんですよね。たぶん結晶構造も等方的ではないので、モデル化するにはいろいろ工夫しなければいけないと思っています。

──やはり自然現象を数学の言葉で説明したいんですね。

そうですね。その現象のすべてを説明するための必要十分な式を探すのが、私にとってはとても楽しいことなんです。

取材・文:岡田仁志

撮影:松井雄希(講談社写真部)

取材協力・図版提供:海洋研究開発機構

スマホの画面はなぜバキバキに割れる?その割れ方をシミュレーションで再現してみた。じつはこれ世界初の快挙なんです!