『人らしさ』を守る”最後の砦”…病院ではなく、介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由

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2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。

介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。

『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第2回

『「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”』より続く

介護の現場で人の死を看取るとはどういうことか

介護保険が導入されて以降、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)、グループホームといった介護施設で人を看取ることが、公的にも法的にも認められるようになりました。

こうした施設は、入居者の「生活支援の場」です。

身体機能が衰えて体を自由に動かすことが困難になったり認知症を発症したりして、食事、入浴、排泄、その他の日常生活にさまざまな支障をきたすようになったお年寄りが、できるだけあるがままにその人らしく暮らしていけるように手助けをする役割を担っています。

ですから介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります。

その人らしい生活を最後まで支え抜く

では、施設という生活支援の場で人の最期を見届けるとはどういうことなのでしょうか。

一口に言えば、現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです。

その人らしい生活のベースには、まず、あたりまえの生活というものがあります。読者の皆さんに「昨日どのようにして過ごしましたか?」と尋ねたら、おそらく全員から違う答えが返ってくるはずです。

ただし、ほとんどの人に共通していることもあります。たとえば朝目覚めること、今日これから起きるであろう出来事を思い浮かべながら着替えや洗面などの身繕いをすること、おなかを空かせてごはんを食べること、おしっこやうんこをしたいと感じたときに排泄すること、ゆっくりとお風呂に入ること、親しい人と語り合うこと、そして夜になったら「ああ、寝るのがいちばん」と言って床に就くこと……。

これらがあたりまえの生活の具体的な中身です。それに加えて、人それぞれにさまざまなこだわりをもっています。

「朝目が覚めたらすぐに歯を磨きたい」というおじいさんもいれば、「歯磨きは必ずごはんを食べた後で」というおばあさんもいます。「お風呂に入ったら、湯ぶねに浸けたタオルで耳の後ろをこすりたい」というおばあさんもいれば、「湯ぶねにタオルを浸けるなんてもってのほかだ!」と思っているおじいさんもいます。

これらはどちらがいいか悪いかという問題ではありません。その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。

そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています。

『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』へ続く

「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは