IMALUが奄美の祭りに参加して抱いた後悔…35歳を迎えていま思うこと

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2022年8月、東京と奄美大島の二拠点生活をスタートしたタレントのIMALUさん。コロナ禍でリモートワークが進み、サラリーマンであっても勤務地に縛られずに住みたい場所に住むことが夢ではなくなってきた昨今。実際に都会から拠点を移したIMALUさんの離島ライフを、ご本人に綴っていただきます。(以下、IMALUさんによる寄稿です。毎月1回更新予定)

400年以上もの歴史あるお祭り「アラセツ行事」

10月になりましたが奄美大島はまだまだお祭りシーズン真っ只中。以前この連載『都会っ子のデュアルライフ』でも紹介した「八月踊り」や近所の大人たちも参加する学校の運動会など、毎週末何かしらのイベントが行われています(以前の記事はこちら)。

そして今年も、私は新しいお祭りを体験してきました。奄美ではあまり見かけない田園風景がのどかな秋名集落で行われる「アラセツ行事」というもの。琉球王国が奄美群島を統治していた400年以上前から行われている豊作祈願だそうで、なんと国の重要無形民俗文化財にも指定されているそうです。

そんな歴史あるお祭り「アラセツ行事」は早朝に「ショチョガマ」、夕方に「平瀬マンカイ」という2部制になってるということで、当日私は朝5時に起床し、まだ日も出ていない海沿いの道を車で走らせ、まずは「ショチョガマ」の会場へ向かいました……。到着した時には早朝にも関わらず既にたくさんの人が集まっており、住宅が並ぶ集落から上を見上げると山の上に大勢の男性が立っていて、ちょうど始まる準備をしていました。

「ショチョガマ」とは山に建てられた片屋根のわらぶき小屋のことで、その上に男性たちが立ち、みんなで歌を歌い、「ユラ! メラ!」という掛け声と共に足で屋根を思い切り揺らし屋根を壊していきます。ショチョガマが倒れた方向で農作物の運勢を占うそうで、南向きに倒れると“豊作”と言われているそうです。

6時15分頃、チヂンと呼ばれる太鼓の音と共に歌が始まりました。歌っては屋根を足で揺らす。これを何度も何度も繰り返し、6時40分頃に屋根がドーンと南向きに倒れ、大きな歓声が起きました! 勢いよく倒れたため転んでいる人も何名がいましたが、すぐに立ち上がり、そのまま崩れた屋根の上で円になり八月踊りがスタート。早朝とは思えないほどの盛り上がりでした。

実はこの日、前の晩からずっと激しい雨が降っていたので豪雨を浴びる覚悟で大きなポンチョを着ての参戦だったのですが、歌が始まるや否やピタッと雨が止んだのです。地元の方曰く「毎年始まるとなぜか雨が止むんだよね〜」とのこと……! 何とも不思議な現象……!

海の神様を呼ぶ「平瀬マンカイ」へ

無事に「ショチョガマ」が終わり私は一度家に戻ってちょっとだけ仮眠。そして夕方「平瀬マンカイ」が行われる海へ向かいました。お天気は相変わらず雨が降ったり止んだりの中、予定開始時間が近づくと海にポツンと立つ2つの岩にお婆ちゃんやお爺ちゃんたちが登って行きました。

「平瀬マンカイ」は1つの岩に女性5人、もう1つの岩には男女7人が登り、お互い向かい合い交互に歌を歌い海の神様へ豊作を祈願することらしく、朝の「ショチョガマ」山の神様で、この「平瀬マンカイ」は海の神様を呼んでいるとのことでした。

雨の影響でツルツルと滑ってしまいそうな岩を登っていくのでヒヤヒヤしながら見ていたものの、みんな無事に登りきり「平瀬マンカイ」がスタート。

チヂン(太鼓)がまた「ドン……ドン……」と鳴り男性チームが歌い始めると見に来ていたお客さんや記者の人たちの話し声がピタッと静まりました。そこから聞こえる音は太鼓と歌声、そして波の音だけ。これもまた一瞬で不思議な空間に……。一通り終わった後は岩から降り、砂浜の上でまた八月踊りでシメとなりました。

全てが終わった後、集落の方に「これ、海の神様に! はい!」と突然渡されたものは珊瑚に挟まれた赤飯。先ほどまで人が立っていた岩にこれをお供えすると教えていただき、これもまた面白い体験ができました。

私が小さい頃のお祭りの定義は「出店がいっぱい並んでいること」でした。チョコバナナ、焼きそば、水あめなど、お小遣いを握り締めて友達とちょっとした非日常を味わいながら“いっぱいお菓子を食べれる日”でしたが、奄美の「太鼓・歌・踊り」だけのお祭りに参加してみると、代々受け継がれた文化を肌で感じ、大昔の人も同じことをしていたと思うとお祭りがすごく神秘的なイベントなんだと気づきました。

そういえば私の地元・桜新町の歴史って全然知らないし、地元の文化って何だろう〜? と疑問に持ち、お祭りや地域のイベントにもっともっと参加しておけばよかったな〜と今になって思い始めています。

20代より30代の方が楽しいと感じるワケ

そして私事ではありますが、9月に誕生日を迎えまして無事に35歳になりました。本当に時の流れが早すぎて自分でも35歳になったことが信じられません……。20代の頃、先輩のお姉様方に「30代は早いわよ〜」と言われていたこと、今は身に染みてよ〜く分かります。ただ1つ言えるのが20代の頃より30代の方が100倍、いや200倍楽しいということ。

「何でですか?」と聞かれるとパッと一言では言えないのですが、1つは何事にも自分なりの対処法が分かってきた気がします。毎日生きていると当然ですが色んなことが起きますよね。出会いや別れ、仕事の失敗やちょっと恥ずかしかったこと、予測できないハプニングなんてよくあることですが、そこのハンドリングの仕方が20代の時より少しだけ上手になってきたのかな〜なんて思います。

そしてもう1つは「仕事で成功すること」を目指さなくなったことだと思います。芸能界という両親と同じ世界に入り、20代の頃を振り返ると“失敗しちゃいけない”という気持ちがとても強かったと思います。この仕事で成功することって一体なんなのか……。CMを沢山やること? テレビでブレイクすること? お金持ちになること……? 具体的な例が分からないまま“何か結果を残さなきゃいけない”という思いが常にあり、お仕事がないお休みの日がとても怖かったのです。そんな風に仕事を続けてくうちに「あれ? これって全然幸せじゃないかも?」と気付けたことが私にとっていいターニングポイントになったと思います。

もちろん仕事の成功を目指すことは悪いことではありません。目標にすることや幸せの定義は人それぞれ。ただ今の私は一旦、お仕事の事だけを考えることを休憩中という感じでしょうか。「今日は海が綺麗だ」「愛犬が楽しそうだ」「友達といっぱい笑ったわ」これだけで十分な幸せだと感じれるようになった自分を今は噛み締めているところです。実は幸せってすごく身近なところにある。これは奄美の自然を感じて心が豊かになったことで思えたことだとも思っています。

仕事をバリバリしてる人からすると「生ぬるくやってるな〜」って思われるかもしれませんが(笑)、奄美という新しい場所に住んで新しい文化に触れて、たまに東京という戦場に顔を出して(笑)、なかなか刺激的な毎日は過ごせているなと思っています。さぁ、35歳はどんな面白いことがあるでしょうか……。今は小さな幸せを噛み締めながら、新しい経験をどんどん増やしていき、奄美に住んでいるからこそお伝えできる島の魅力を発信できたらと思います! これからも懲りずにこの連載も読んでいただけたら嬉しいです〜。どうぞこれからも皆さんよろしくお願いします〜!

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