石破ショック!日経平均1910円安は「予告された暴落」だった…いま「新総裁」に求められるもの

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「予告された暴落」だった30日の東京市場

2024年9月30日、石破茂氏が自民党新総裁に選出されて初めて開かれた東京市場において、既に先物の動きなどで予期されていたことだが、株式市場は1,910円の大幅下落というカタチで冷や水を浴びせてみせた。

これはいわば、暴力的とも言える歓迎であった訳だが、多くの記事が指摘しているように、総裁選当日から(正確には19日あたりから)、市場は為替市場においても株式市場においても、アベノミクスの継承者たる高市早苗氏の健闘やその勝利の可能性を織り込む動きを見せており、特に、高市氏と石破氏が最終決戦に勝ち上がった(しかも高市氏は予想以上の議員票を集め、1位通過した)ことが判明した27日の午後2時前後から為替は一気に146円台まで円安に振れ、株価は39,829円と8月の日銀・植田暴落から、しばらくは達成が難しいと市場関係者が認識していた4万円の壁にすら、手が届きそうな価格で取引を終えた。

筆者は、仕事柄、毎日の相場をトレーダー程ではないにせよ、眺めているが、この或る意味、分かりやすい動きには驚きも感じた。本音で言えば、まだ、最終的な勝利者は分からないのに、そんなに単純でいいの?という驚きである。

そして、その驚きは場が午後3時に引けて、午後3時20分、石破氏が高市氏を最後に逆転し新総裁に選ばれたその瞬間から、為替は一気に反転し今度は142円台まで円高に振れ、日経平均先物もその日の上昇分が消え、今度は1,000円近くのマイナスに落ちていったことで、倍化されることになった。更にその夜のシカゴCMEで日経平均先物が27日終値から2,467円安の37,425円になっていたことは多くの関係者が知る話だったろう。その意味では30日の東京市場の暴落は「予告された暴落」だった。

「高市トレード」「石破ショック」の背景

最初に「高市トレード」について触れれば、高市氏は総裁選の討論期間においても日銀の金利引上げを批判し、金融緩和の強烈な維持と、財政出動や政治主導とも言える経済の再生を強く主張したいたので、安倍路線の継承という点での安心感から、まずは8月の暴落の主役となったような海外投機筋が、高市氏勝利を織り込むカタチで我先にと動いていたことがその背景と推察される。

だから逆に石破氏勝利以後の動きは、慌ててポジション解消に動いたそうした投機筋の巻き戻しが生み出したものとも考えられるだろう。だが、問題の本質は、市場は石破氏が総裁選で述べていた政策に対して、それでは日本株は買えない、という厳しい評価をくだしていた、そこにこそある。

では、それは何か、と言えば、これも多くの記事が指摘しているように、彼が総裁選の中で触れた「金融所得税課税の強化」や財源としての「法人税の増額可能性」、そしてまた以前から知られている財政健全化に対する姿勢、大きくはその3点に求められる。

このうち、金融所得課税の強化については、彼が総裁選の最後に強調した岸田政権の継承にもかかる或る記憶が呼び起こされる。2021年9月の岸田ショックがそれだ。同じように岸田氏も菅総裁の任期満了に伴う2021年の総裁選で、金融所得課税強化に触れ、株価が大きく反応、やはり2,500円程度、下落したその記憶だ。その際は、当面見直しは考えないとする声明の発表で、市場は落ち着いたが、今回の石破ショックもまた、同じ政策にかかる市場のアレルギーが見て取れる。

彼らが何を主張しているか、それを簡単に説明すれば、所得税には累進制が働き、最高税率は地方税を合わせ55%にまで達するが、金融所得については基本は一律20.315%の課税となるので、累進制が働かず、1億円の壁という言葉があるように富裕層に有利な税制になっている、それを富裕層については見直したい、という主張になる。

法人税強化もまた同様の発想にあると筆者には感じるが、つまりは「富める者」から多くの税を徴収し、国家の財源にあてる、そして国家はその税を様々な回路で公平に、貧しい者にもその恩恵が行き渡るように分配する、そうした思想がある。

政治家も「IR活動」が必要になった時代

もちろん、そこには括弧付ではあるが、正義はあるし、筆者もその全てを否定するものではない。しかし、もう一歩踏み込んで表現の仕方を変えれば、そこに見える思想は、「資本」対「労働者・農民」という世界認識であり、資本や富める者は或る意味で「悪」であり、国家はその「悪」に対峙し、「労働者・農民」の側に立って、著しい格差を是正し、万人がそれぞれの人生を等しく豊かなものにするためにこそ権力を振るうべきだ、という思想だ。20世紀を生きた世代には、なぜか懐かしい、それぞれが程度の問題はあっても、自らの問題としてその思想に触れ、血肉として骨格として、それぞれの解釈と立場で受容したマルキシズム、まさにその系譜に立つ思想だ。

しかし既に我々は21世紀を生きていて、そうした「モノの見方」や図式化とは、だいぶ違う世界を生きている。市場が、岸田氏や石破氏が「金融所得課税の強化」に触れた際、激しくそうした政策に拒否反応を示したのは、「悪」である資本が、単純に抵抗しているという図式ではなく、もうそうした発想では我々は豊かさや豊かさをベースとした公平さには辿り着けない、と市場が伝えているのだ、そう理解すべきではないか、と筆者は思う。特に、資産運用立国を標榜し、「新しい資本主義」を掲げた岸田氏や、その岸田氏を継承する、という石破氏には、そこを理解してもらいたく思う。

それは何か、と言われれば、象徴的な言い方にはなるが、資本を「悪」として見ずに、いかに資本を飼い慣らし、その持つ巨大な資本増殖に向かうエネルギーを引き出して、豊かさを実現させ、一方で市民社会といかに共生させるか、を試行錯誤しながら考えていく、資本をそうした対象として位置付ける、そうした思想であり、姿勢だ。

そのために何をするか、は簡単で、まずは謙虚に市場の声に耳を傾けること、そして市場参加者との、投資家との対話を試みること、それに尽きる。なぜ、自分の登場で株価は下がったのか、「いや、それは知らない、それは例の<あの株>の話しだろ」ではなく、株価が何を語っているのか、を真摯に理解し、そこに自分の政策に対する誤解があるのであれば、誤解を解くための説得を試み、誤解ではなくそこにむしろ自分が謙虚に受け止めるべき何か、があるのであれば、自身の認識を改め、政策を修正する、そうした取り組みが必要なのだ。そして、それはまさに東証要請などを経て、やっと日本企業も正確にその意味を理解し始めた「IR活動」そのものだ。

そこで間違ってはいけないのは、市場に阿るのではない、という点だ。株価もまた世論であり、その世論に阿るのは、ポピュリズム以外何物でもない。必要なのは、対話を通じ、本当の均衡点を互いに探ることで、株価が未来を灯すシグナルとして、選挙結果と同様、天意を推し量るモノとして機能するようにさせる、まさにそのことだ。

言うまでもないが、9月27日の後場の動きを見る限り、投資家もまた浅い理解や断片的な情報で動いていて、本当にそこに示された価格が天意を示すというようなモノなのか、そこには疑問がある。しかし、であればこそ誠実に政策の意図を投資家に伝えない限り、また、市場にかかわる関係者が、極力、正確な事実や、その事実を解釈する様々な視角・視点を論評のようなカタチで投資家に伝えない限り、株価に天意は宿らない。(特に日本株について、相場に参加する殆どが海外機関投資家という状況では、情報を媒介する業者の役割は重い。)

その意味では、政治もまた市場が価格付けし、政治家もIR活動(投資家との対話や情報媒介者の育成)を重視せねばならない、21世紀とはそうした世界なのだと思う。

搾取される「労働者」という図式を捨てよ

さて、ここからはやや脱線だが、岸田氏といい石破氏といい、共に政治家の家系に生まれ、「資本家」と「労働者」という2項対立の図式に嵌めれば、資本家サイドの側に生まれたその二人が、なぜ「資本家」から収奪し、「労働者」に還元する政策を掲げるのだろうか。

ここで連想するのは、唐突だが、太宰治になる。太宰が津島家という現在になお繋がる津軽の名家に生まれ、その後ろめたさから共産主義に傾倒したように、やや好意的な解釈だが、岸田氏にせよ、石破氏にせよ、その種の後ろめたさを感じるナイーブさや正義感を持った青年であり、その青年を宿したまま現在に至っているのではないか、と感じる。もちろん、彼らはその課題を資本主義のなかで、どう修正すべきか、と捉えていったろうが。

また、立憲民主党の代表選で新しく代表に選ばれた同世代(石破氏とは同級生)の野田氏が演説で触れ、私はその言葉が嫌いだ、と言った「親ガチャ」になるが、野田氏や石破氏、岸田氏の世代では(ほぼ最後の世代にはなるが)、「親ガチャ」とは言わず「階級」とその現実を表現した筈だ。だからこそ階級闘争が必要なのだ、と同じ時期に青春を生きた「労働者」サイドに生まれた者は思っていた筈だ。何も持たず、自らの労働力を資本に提供するだけのこの俺は、搾取の鎖に繋がれている、だから同じような仲間と連帯しよう、革命だ、鎖を断ち切ろう、そんな安っぽい芝居のセリフが思い浮かぶし、白土三平の「カムイ伝」の農民一揆のシーンが蘇ったりする。

しかし、そうした図式を語る者はほぼいなくなり、その図式の有効性すら怪しげな21世紀を我々は生きている。資本はリスキリングに力を入れ、自らが囲う労働者を次の職場が得られるように教育し、次の職場を世話すべきだ、という時代を我々は生きている。もちろん、そんな綺麗事、どこの世界か、という現場もたくさんある。だが、大きな流れとして、資本は人的資本としての労働者を尊重し、その可能性を花開かせる努力をすべき、という思潮が徐々に力を持ち始めてもいる。

だからこそ、そこに内実があるのであれば石破氏は、継承する、と言った「新しい資本主義」をこそ、まずは投資家に、市場に、「昔の図式」ではなく語るべきだろう。

そこで、問われるのは、本当に彼が「昔の図式」ではなく、21世紀の現実を捉えているのかどうか、でもあるが。

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