バッタを倒しにアフリカに行った、前野ウルド浩太郎氏の《本には書かなかった》七転八起のウラ話…不器用すぎて、諦められない
今、異例の快進撃を続けている昆虫学者がいる。アフリカの砂漠の中でバッタの研究に邁進する姿が、多くの人々の共感を得ているのだ。
その戦いの日々を綴ったのが前野ウルド浩太郎著の『バッタを倒すぜ アフリカで』だ。書名の示す通り、長年にわたり食料危機の原因となるサバクトビバッタ大発生の対策のため、アフリカでフィールド研究を続ける昆虫学者のノンフィクションである。
『孤独なバッタが群れるとき』『バッタを倒しにアフリカへ』に続く本作で、シリーズ累計33万部を超え、その勢いは止まらない。
しかし、世の中にバッタ好きがそれほどたくさんいるとは到底思えない。ではバッタ嫌いの人まで巻き込む魅力が、いったいどこにあるのか?――現実を舞台にした異世界転生ストーリーのヒミツに迫るには、本人に会うのがてっとり早かろうということで、前野ウルド浩太郎さんにお話を伺った。
昆虫学者への道はブレなかった
――小学2〜3年頃に『ファーブル昆虫記』を読んだことから、「なんだか楽しそう」といううっすい動機で昆虫学者を目指したと書かれています。とはいっても、受験や就職などを経験する途中で夢を諦めてしまう人が多いのですが、なぜ夢を手放さなかったのでしょう。
前野ウルド浩太郎さん(以下、前野):ものを知らなかったので、他の進路への誘惑がありませんでした。人生の出だしに「昆虫学者がいいな」と思ってしまって、その後に出会った情報にも惑わされなかったので昆虫学者になる夢に固執したのだと思います。
小学校と高校の卒業文集に「将来は昆虫学者になる」と決意を書きました。途中で諦めると恥ずかしいし、その道に進んでいこうという思いがありました。
卒業文集に書いた夢の通りに進む人は少ないかもしれませんが、私は不器用だったので、他にあれこれ手を出さず、「自分にはこれしかない」と早めに決めてしまったのがよかったのかなぁ、と思います。
――器用にすぐできる人は、あっさりやめてしまうことも多いといいますね。
前野:そうですね。頭がいい人は、すぐ先が見えてしまうみたいで、「自分ごときがこのままやっていてもうまくいかないだろう」と思ってやめてしまうという話も耳にします。
私の場合は学生時代の研究室で学生が自分一人だったので、まわりにライバルがいませんでした。比較する対象がいないので、自分ができるのかできないのかまったく分からず、とりあえず全力を出して研究したんです。まわりに振り回されずにずっとやってこられたのもよかったですね。
――ポスドク(任期付きの研究職)のころには、とにかくお金がなくて危機的情況を迎えていらっしゃいました。そこで踏ん張れたのはなぜですか?
前野:まずは研究が好きだし、楽しかった。お金儲けよりは、新発見を論文で発表するやり応えの方が価値観としては大きかったので、そちらにシフトしていきました。
――大学1〜2年生のころにはキャンパスライフを謳歌して誘惑にふれたそうですが、そのときもブレなかったのですか。
前野:3年生になったら研究室に配属になって忙しくなるので、遊べるのは今のうちと思い、毎週のように合コンや飲み会をしていました。思いっきり遊んだので、やりきったといいますか、未練なく研究の道にどっぷり入れました。
「若い時にお金がなくて欲しいモノが買えなかった。遊べなかった」という未練を持っている人がいますが、幸い私はそういった後悔があまりないんです。
「やり切るまでは諦めない」
――サバクトビバッタを研究テーマに選び、31歳でアフリカ・モーリタニアにフィールド研究をするために渡られましたね。手探りでつてを頼って就職先を探していくところも身につまされました。いつもお金の不安をたくさん抱えていましたが、そこでも諦めなかったのはなぜでしょう。
前野:学生時代に白木屋という飲み屋で厨房のアルバイトをしていて、1カ月で20万円の給料をもらえたという経験がありました。ほんとうに困ったら、何かしら働けばお金がもらえて、飯は食っていけるだろう、と。
まだ私はいろいろなアイデアを思いつく。健康だし、貯金もある。できることをすべてやって、それでもどうしてもダメだというところまで行かない限り、諦めるのは早い。まだやりきっていない、と思っていました。
その反面、「これだけ頑張っても研究者になれないなら、それは自分のせいではなく社会に問題があるのではないか?」という呆れた思いもありました。私の定義する「職業・昆虫学者」とは、昆虫の研究ができる仕事に、任期付きではなく任期なし(パーマネント)で就職することです。もう少し、頑張る人が報われる社会であってほしいですよね。
――研究者が働くシステムが、あまりにも狭き門ですよね。前作『バッタを倒しにアフリカへ』の中のエピソードですが、無収入になったときに、京都大学の白眉プロジェクトに応募されました。
白眉プロジェクトは、若手研究者の育成を目的とし、5年間の任期で安定して給料を得られ、年間の研究費も支給される制度です。書類審査が通り、松本紘(ひろし)京都大学総長(当時)じきじきの面接で、胸に迫る言葉をいただきましたね。
前野:はい。自分の中で、無収入はもはや武器になっていました。無収入になってまでアフリカに残って研究しようとする博士がどれほどいるか。無収入は、研究に賭ける情熱と本気さを相手に訴える最強の武器になっていました。
松本総長との面接は、英語で行われました。松本総長から「前野さんは、モーリタニアは何年目ですか?」と質問され、「今年が3年目です」と答えると、総長はメモを取る手を止め、はっと顔を上げて私を見つめてきたんです。そして、こうおっしゃいました。
「過酷な環境で生活し、研究するのはほんとうに困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します」
私はあやうく泣きそうになりました。
…つづく<バッタを倒しにアフリカに行った、前野ウルド浩太郎氏が「現地での大ピンチ」を乗り切った《意外な作戦》…こうしてキツさも越えた>では、現地でサバイブする技やウルド氏が新発見したバッタの生態などについて明かしています。
インタビュー:高木香織
バッタを倒しにアフリカに行った、前野ウルド浩太郎氏が「現地での大ピンチ」を乗り切った《意外な作戦》…こうしてキツさも越えた