9月18日朝、広東省深圳市の日本人学校に通う10歳の児童が登校中に母親の目の前で中国人の男に刺され、翌未明に亡くなった事件は、日中間で大きな波紋を呼んでいる。報道によれば事件直後の現場では、「うちの家の子どもにどんな過ちがあるというの!」と中国語で泣き叫ぶ母親の声が響いていたとされる。

【画像】拡散された父親の「感動の手紙」(日本語訳)


男児が襲撃された現場付近。日本人学校から約200メートル離れていた ©時事通信

 事件当日は、中国で反日感情がひときわ高まる満洲事変の記念日だった。同じく歴史的にセンシティブな日である7月7日(盧溝橋事件の日)を控えた今年6月にも、江蘇省蘇州市で日本人学校のスクールバスが刃物を持つ中年の中国人男性に襲われ、中国人乗務員の女性が死亡した事件があった。短期間に類似の事件が連続した背後に、強い反日感情が関係しているのは間違いない。

 いっぽう、事件は一部の中国人にも波紋を投げかけた。近年、日本には中国の強権的な体制を避けて移住してきたリベラル派の中国人知識人が増えている。彼らのグループは事件を受けて、発生翌日の19日夜に追悼集会を開くなど活発に活動。また、深圳の日本人学校前にも多数の献花が集まった。現地での献花の理由はさまざまなはずだが、近年の体制下での硬直的な愛国主義宣伝に批判的な、リベラル層の中国人たちが行動した面も大きかった模様だ。

 そして翌20日夜、こうした「良心的な」中国人たちのコミュニティで、ある不思議な現象が起きた。被害男児の父親が上司に宛てたとされる、真偽不明の中国語の文書が出回ったのだ。

「心がきれいな中国インテリ」に激賞された名文

 文書は約900華字で、日本語の原文は明らかになっていない(ネットでは日本人向けに自動翻訳された粗雑な日本語文も公開されている)。以下に文書の中国語版と、私の日本語訳を添付しておきたい。

 極めてしっかりした文章だ。私の友人の中国人(文学好き)の論評を借りれば「しっかり読むと不自然な部分もあるが、パッと読んだだけなら、中国人の大学文系出身者が書いていてもおかしくないほど綺麗な読みやすい中国語」とのことである。

 レベルの高い単語を的確に使用した言葉選びはもちろん、被害児童の個性から筆を起こして日中関係に話題を移し、最後は前向きで理想論的な表現で締めくくる論理構造と表現技法は、中国人のインテリの好みと完全に合致する。私の読後感覚では、中国大使館の幹部が国際交流イベントの閉会式でおこなう中国語のスピーチや、共産主義青年団の優秀な中国人大学生のレポートを連想した。

 ゆえにこの文書は「感動的な名文」として中国人の間で広まり、20日深夜から21日にかけて、微信(中国のチャットアプリ)のモーメンツのほか、海外のXやフェイスブック、さらに在外華字紙でも盛んに転載された。中国国内ではなぜか、22日に入ると文章がネットから削除されはじめたが、台湾や在外華人社会では現在もなおシェアされている。

「息子が歩みきれなかった道を最後まで歩む」表現の謎

 答えを先に書けば、この文書は「本物」である可能性が極めて高い。原文では実名で記されていた被害男児と父親、さらにその2人の上司と名前が一致する人物も確認されている。また、男児の父親は大阪に本社を置く専門商社に勤務する日本人で、母親は中国人であったことが最新の週刊誌報道から明らかになっており、こちらも文書の内容と一致する。

 だが、リベラル・インテリ層の中国人たちが揃って内容を称賛したこの文書は、よく読んでみると日本人の感覚では奇妙に感じる部分が多い。

〈・「このたびはご迷惑をお掛けし」「今後とも何卒よろしく」などの、日本の社会人独特の挨拶表現が極めてすくない。文章の構造や語彙、論理展開のパターンなどが日本語文の中国語訳としては不自然であり、原文自体が中国語で書かれた可能性が高いように見える

・仮にそうである場合、被害児童の父親は日本人の上司2人に中国語で書いて送ったとみられる

・いっぽう、文書の冒頭部には「転送するかはお任せする」とあり(実質的には「転送してほしい」という意味だろう)、第三者への公開を前提として書かれている

・「中国を恨まない」とともに「日本を恨まない」という言葉がなぜかみられる(今回の事件について、日本人の父親が日本に恨みを抱くべき事情は通常なら存在しないはずである)

・事件が日中関係に影響を与えることを強く気にかけているいっぽう、目の前で息子を失った妻(被害児童の母)を気にかける言葉はみられない

・「中日貿易」と、中国側を主体とする表現で書いた箇所がある(通常は「日中貿易」と書く)

・父親は商社マンにもかかわらず、商品の営業販売や市場調査ではなく「日中双方の認識の差異を埋め、円滑なコミュニケーションを促進すること」を「主たる職務」と述べている。商業活動や単純な家族関係以外の動機から中国とかかわっている人物に見える〉

 これらに加えて、末尾の「これから粘り強く生きていく」「息子が歩みきれなかった道を最後まで歩む」という決意表明のような表現も、わずか48時間足らず前に息子を亡くした父親の言葉としては、個人的にはやや違和感を覚える。すくなくとも、仮に私が同じ立場に置かれたならば「自分の残りの寿命を全部あげるから、息子には生きていてほしかった」という以外の意見は持てないように思う。

文書は工作ではなく「ホンモノ」の可能性大

 実は在日中国人のリベラル・コミュニティのメンバーにも、私と同じような違和感を覚えた人たちは存在した。だが、そうした場合は他の中国人メンバーが文書の信頼性を主張するのが常で、そのメンバーの友人と、被害者の父親やその会社の同僚との中国語や日本語のチャットのスクリーンショットが提示されたり、確度が高そうな情報ソース(取材力に定評がある中国某大手メディアの記者名)が示されたりした。

 また、日本国駐広州総領事館に文書の真偽を確認した21日付けの『Nikkei Asia』英文記事によれば、総領事館側は「否定も肯定もしなかった」という。総領事館は事件当夜に館員が病院に付き添っており、確実に遺族の事情を知る立場だが、そのうえで「否定」をしていないのだ(ちなみに、今回の文書の冒頭には、男児の父親による情報発信の意向を総領事館側が事前に把握し、反対していたように読める箇所がある)。

 私が他のルートから日本側の主要メディアの取材当事者たち複数に当てた限りでも、文書の出所は父親本人の可能性が高いとする情報がほとんどだった。『週刊文春』や『週刊新潮』など各誌も、直近の記事ではこの文書をひとまず「父親の言葉」として紹介している(ちなみに父親をはじめ男児の遺族、さらに父親と上司の勤務先企業は、24日現在まであらゆる取材を拒否している)。

 いっぽう、9月20日の夜に出現したこの文書の「中国を恨まない」「日中両国の関係が破壊されることを望まない」という主張は、前日の夜に中国外交部が会見で示した「類似の案件はどの国でも起こり得る」「個別の案件は日中交流に影響しないと信じる」という中国側の当局見解とぴったり一致している。

 そのため、中国がニセ情報を流す工作を仕掛けたり、中国籍である被害児童の母親を通じて外部から指示を与えて「書かせた」可能性も、疑うことはできる。

 ただ、中国当局はこの文書が自国内のネットで広がる現象をブロックしている。当局としては、深圳事件が国民の間で話題になること自体を避けたい意向があるようだ。この文書の内容は中国側の政府見解に沿っているとはいえ、現在の当局にとって文書の拡散自体が不都合だとすれば、意図的な工作が仕掛けられた可能性は弱まる。

 そもそも、仮に中国側によるディスインフォメーション工作(意図的な誤情報の流布)なら、日本の総領事館が文書の真実性を「否定」しないとおかしい。やはり被害児童の父親が自分の意思で書き、公開を望んだと考えるのが妥当だろう。

日中友好企業「友好商社」がキーだった

 自分の子どもを失ってから48時間以内に、前日の外交部記者会見と内容が一致した感動的な名文を中国語で発表し、妻に対する心のケアよりも事件が日中関係に与える政治的影響への心配を発信する日本人の商社マンと、その心情をくんで文書の拡散に実質的に協力したであろう日本人上司──。一般の日本人の感覚では、ちょっと理解が難しい存在かもしれない。

 ならば、彼らは果たしてどのような人たちなのか。答えのキーは、彼らの勤務先である専門商社・N社の性質だ。1961年に創業したN社は、かつては「友好商社」と称された存在で、日中間において政治的に極めて特殊なバックグラウンドを持つ会社である(一部の台湾メディアはすでに社名を公表している)。

 往年、日本と中国(中華人民共和国)の国交が存在せず、中国が教条的な社会主義経済を採用していた1960年代、日中両国は民間でごく限られた貿易関係を結んでいた。この際、中国側が「日中友好」の方針に合致する(=中国共産党の政治的方針に従順である)と認めて、独占的な貿易を許した日本側の商社が友好商社だ。

 当時の友好商社には、双日や伊藤忠のように総合商社がその友好的性質を認めてもらう例もあったが、なかには「日中友好」の強い信念を持つ人物が、もっぱら中国との経済を通じた友好関係の構築を目的として専門商社を設立する例もあった。今回の被害児童の父親の勤務先であるN社も、まさにそうした友好商社が現代まで続いた存在だ。

 すなわち、文化大革命や天安門事件が起きても、単なるビジネス上の利害関係をこえて中国政府に寄り添うという「日中友好」の方針を堅持してきた組織である。N社は専門商社としての顔があるいっぽうで、本来の組織風土としては日中友好協会や日中友好議員連盟、国際貿易促進協会などの、伝統的な日中友好7団体と近しい性質を持っている(なお、N社の名誉会長は国際貿易促進協会の現在の常任理事だ)。

高い文章力を獲得するのは不可能ではない

 当該の文書のなかで、被害児童の父親は自身の「主たる職務」を「日中双方の認識の差異を埋め、円滑なコミュニケーションを促進すること」と述べていた。通常の商業活動よりも日中交流を重視しているようにも読める言説は、商社マンの言葉としては奇妙なのだが、日中友好団体のなかば職員のような立場からの言葉とすれば自然だ。

 文書が外交官のスピーチや優秀な中国人学生のレポートのような雰囲気を漂わせていることや、内容が中国外交部の記者会見内容にぴったりと一致したものであることも、こうした背景を踏まえて考えれば納得がいく。

 直近の『週刊文春』記事によれば、被害男児の父親は兵庫県尼崎市出身の1986年生まれ。龍谷大学在学中、交換留学生に選ばれて上海師範大学に留学したとみられ、現地で後に男児の母となる中国人女性と交際、大学卒業後に再び上海大学で3年間学んでいる(私が在日中国人筋から聞いた未確認情報では上海師範大学の修士課程に在籍したともいう)。その後、語学力を見込まれてN社の幹部から直接スカウトされた模様だ。

 過去には、被害男児の父親とほぼ同世代で同じく中国留学歴を持つ加藤嘉一氏が、中国の『人民日報』にコラムを寄稿するほどハイレベルな中国語力を獲得した例がある。学習意欲が高いまじめな人物であれば、この世代の長期留学経験者が中国語の極めて高いレポート作成能力を持つことはあり得ない話ではない。現在はAIがあるので、もともと一定以上の語学力を持つ人であれば、ネイティブが読んでも違和感がない完璧な中国語文書を作ることはいっそう容易だ。

 現代中国語の文章能力を得る過程では、中国社会を覆う「政治的に正しい」コンテクストを内面化させることも必要になる。今回の事件の被害児童は日本人と中国人のハーフだったが、日本側の父親についても、他の一般的な日本人駐在員とは異なるバックグラウンドを持つ男性だと考えたほうがいいだろう。

中国当局が愛国主義キャンペーンをおこないすぎた結果

 今回の事件について、日本の報道では中国の「反日教育」に原因を求める主張が目立つ。ただ、反日教育自体は過去30年も続いており、いまに始まった話ではない。2010年前後に中国で反日デモが頻発した際、デモの現場やネット上には日本人への加害を直接的に示す過激な文言も大量に出現していたが、過去に政治的動機からその言葉を実行した中国人はほとんどいない。

 それが今年に入り、6月の蘇州事件、今回の深圳事件と、短期間に2回にわたって「日本人」の子どもに刃物を向ける事件が連続した。これは近年の中国に、慢性的な反日教育とは別の、人間をより具体的な凶行に駆り立てる要因が存在するためだ。

 コロナ禍以降の中国では西側諸国を敵視する傾向が強まり、中国政府は福島原発の処理水排出問題をめぐって国内向けに大規模な反日キャンペーンをおこなった。こうした風潮のなかで、近年になり流行したショート動画アプリでは、インプレッションを稼ぐために情緒的な反日動画が大量に投稿されている。特に日本人学校については「スパイの拠点」「軍国主義者の治外法権」といった陰謀論が、近年に入って大量に流されてきた。

 この風潮に昨今の中国経済の低迷と社会の閉塞感が加わり、いわゆる「無敵の人」(失うものが何もない人)が暴発しやすくなっていることが、蘇州事件や深圳事件の要因として大きく関係していると考えられる。

 近年の中国では、通り魔的な無差別殺傷事件が多く起きており、ネットでは「献忠」という俗称もある(「献忠」は明代末期の四川省で大虐殺をおこなった武将の名前が由来だ)。そして、どうせ「献忠」をやるならば、ネットでバズっている日本人学校の子どもを狙おうという変質者の動機づけが生まれやすい社会になっている。

 今回の事件は、中国当局が愛国主義キャンペーンをおこないすぎた結果、暴発して日本人学校児童に「献忠」の矛先を向けた人物が、こともあろうに中国共産党の「日本側協力者」に近い価値観を持つ人物の子どもの生命を奪ったという構図がある。あらゆる意味で中国側の完全な失策だ。

 複雑なイデオロギーの狭間で将来を絶たれた男児の冥福を祈るとともに、再発防止に向けた日本政府の毅然とした姿勢を心から望みたい。

(安田 峰俊)