自民党総裁選で河野太郎氏の支持が伸び悩んでいる。ジャーナリストの鮫島浩さんは「『次の首相にふさわしい人』として高い人気を維持してきたが、今回の総裁選では最下位を争うほど低迷している。改革派を自称する河野氏が「派閥」に固執し、世襲政治家の意識を抜け出せなかったことに原因がある」という――。
写真=時事通信フォト
自民党総裁選立候補者討論会で、パネルを手に発言する河野太郎デジタル相=2024年9月14日、東京都千代田区の日本記者クラブ[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■3年前の総裁選では人気1位だったのに…

過去最多の9人が出馬した自民党総裁選(9月23日投開票)で、河野太郎デジタル担当相が総裁レースから早々に脱落した。国会議員にも党員党友にもほとんど支持が広がっておらず、最下位を争う想定外の展開だ。

3年前の総裁選では世論調査で人気1位だった。「改革派」としてならした往年の勢いは見る影もなく、ただ空回りしている。このままでは総裁選で惨敗し、政治生命を絶たれる危機である。

河野氏が入念な準備を経て総裁選に臨んだのは間違いない。麻生太郎副総裁の支持を取り付け、第二派閥・麻生派の候補として出馬した。最大派閥・安倍派の支持は得られないとみて、裏金議員に「裏金返納」を求めると表明して支持拡大を狙った。

年末調整を廃止してすべての納税者にマイナンバーカードを使って確定申告してもらう、東大や一橋大を地方に移転する……次々と繰り出す大胆な提案は、世論の猛反発を受けるどころか、ほとんど相手にされていない。勝つ見込みのない河野氏の言葉に誰も耳を傾けていないのだ。

いったいどこで道を踏み外したのか。河野氏がコケた最大の理由は、世襲政治家特有の既得権意識にあると私はみている。

以下、詳細に解説していこう。まずは総裁選の最新情勢から始める。

■総裁選は、石破氏、小泉氏、高市氏の争いに

総裁レースは「本命」の小泉進次郎元環境相、「対抗」の石破茂元幹事長、「大穴」の高市早苗経済安保担当相の3人に絞られた。小泉氏は国会議員票で優位に立つが、党員党友票で伸び悩んでいる。これに対し、石破氏と高市氏は党員党友票で首位を争うが、国会議員に支持が広がっていない。

上位2人による決選投票に進むのは誰か。決選投票は国会議員票が格段に重みを持ち、小泉氏が勝ち上がれば優勢は揺るがない。しかし、小泉氏が第一回投票で3位に沈む可能性もある。その場合は国会議員に不人気の石破氏と高市氏の激突となり、どちらが勝っても不思議ではない。

上位3人に続く第二集団は、小林鷹之元経済安保担当相、林芳正官房長官、茂木敏充幹事長、上川陽子外相の4人。小林氏は最大派閥・安倍派の中堅若手を中心に国会議員票では小泉氏に次ぐ2位につけているが、知名度不足は否めず、党員党友票で出遅れている。

林氏は第四派閥・岸田派、茂木氏は第三派閥・茂木派の支持を中心に国会議員票は堅調だが、党員党友票で苦戦している。いずれも第一集団の3人に遠く及ばず、決選投票への進出は難しそうだ。

■河野氏は最下位を争う「第三集団」に…

上川氏は推薦人20人の確保に苦しんだが、土壇場で麻生氏に頭を下げ、麻生派から推薦人9人を得て出馬にこぎつけた。「初の女性首相」を売りにしているものの、麻生氏の意向を踏まえて選択的夫婦別姓に賛成は明言できないチグハグぶり。

討論会では具体性を欠いて準備不足は否めず、失速している。総裁選最中にニューヨークで開催される国連総会へ飛び立って選挙戦を一時離脱し、討論会には代役を立てることに。陣営からは「本人不在では勝負にならない」との恨み節が漏れる始末で、第二集団から脱落しつつある。

それ以上に低迷して最下位を争う第三集団に属しているのが、河野氏と加藤勝信元官房長官だ。加藤氏は、小泉氏を担ぐ菅義偉前首相に近い。小泉氏が第一回投票で過半数を獲得するのを阻むため、麻生氏が河野氏、上川氏、小林氏らを大量擁立したのに対抗して、菅氏が加藤氏の出馬を容認した経緯がある。加藤氏は「菅氏の別働隊」といえ、最下位は織り込み済みだった。

けれども河野氏が最下位争いに甘んじるのは想定外の事態だった。本人も想像だにしていなかっただろう。マスコミ各社の党員党友調査では茂木氏や加藤氏と1〜3%の水準で最下位レースを競い、国会議員票も推薦人20人から数人しか上積みできていない。加藤氏は辛うじて上回るだろうが、8位にとどまるのではないか。二度と総裁レースに出馬できないほどの大惨敗である。政治家として完全失脚だ。

いったい何が起きたのか。

デジタル庁の政務三役就任式に臨む河野太郎氏(写真=デジタル庁/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

■3年前はダントツ人気の最強候補だった

3年前の総裁選、河野氏は派閥の親分である麻生氏の反対を振り切り、麻生氏の政敵である菅氏(当時は首相)に担がれて出馬した。当時は世論調査で人気トップだった。菅氏は当時から小泉氏と石破氏も総裁候補カードとして握っていたが、河野氏が最強候補とみて擁立した。

世論調査で河野氏に続く2〜3位だった小泉氏と石破氏は菅氏に従って河野氏支持に回り「小石河連合」と呼ばれた。麻生氏はこれに対抗して岸田文雄氏を擁立。高市氏を担いだ安倍晋三元首相と決選投票で手を結んで河野氏を倒した経緯がある。菅氏はこの総裁選で麻生氏に敗れ、岸田政権では非主流派に転落した。

河野氏は党員党友票で首位に立ったが、国会議員票で岸田首相に大きく負け越し高市氏にも抜かれる惨敗だった。独断専行の政治姿勢が敬遠されたうえ、脱原発の持論にも警戒感が広がった。国会議員には極めて不人気であることが可視化されたのである。

国会議員に支持を広げることが河野氏の大きな課題となった。ところが河野氏はそれどころか、この3年間で国民人気も失ってしまったのだ。

■「ブロック太郎」の負の連鎖

つまずきのはじまりは、マイナンバーカード問題だろう。担当大臣としてマイナンバーカードの取得を強要する姿勢に国民世論は猛反発した。コロナワクチン接種による健康被害が広がると、ワクチン担当相として旗を振った河野氏への風当たりはさらに強まった。

SNSで自らの批判するアカウントを次々にブロックし、批判されても開き直る様子は「ブロック太郎」と揶揄され、さらに印象を悪くした。河野氏とともに再生エネルギー普及の旗を振ってきた最側近の秋本真利衆院議員が風力発電事業をめぐる汚職事件で東京地検特捜部に逮捕された事件も、河野氏の人気急落に拍車をかけた。河野氏は世論調査で石破氏や小泉氏に大きく先を越されることになったのである。

河野氏が総裁選で「これまで私はコロナのワクチンだったり、マイナンバーカードだったり、様々な批判を受けたが、前面に立ってこの改革をやり遂げてきた」と訴える姿は痛々しい。国民人気がなぜ凋落したのか、本人は理解していないのかもしれない。批判に耳を傾けない「ブロック太郎」の振る舞いが負の連鎖を招いている。

X(旧Twitter)では河野氏にブロックされた人たちの投稿が目立つ

極めつきは自民党の派閥裏金事件後、岸田首相が「派閥解消」を打ち上げた際に派閥存続を宣言した麻生派から離脱せず、残留したことだった。小渕優子選対委員長ら次世代が相次いで派閥離脱を表明するなか、河野氏は麻生派に残留し、「改革派」の印象はすっかり色あせた。

岸田派、二階派、安倍派、森山派に続いて、当初は存続を宣言していた茂木派も解散に追い込まれ、麻生派は孤立した。その麻生派に踏みとどまり、派閥に担がれて総裁選に出馬したる河野氏は、いつのまにか「派閥政治家」の象徴になっていたのである。

■菅氏に見切られ、麻生氏のもとへ

菅氏が今回の総裁選で、河野氏擁立を早々に選択肢から外したのは、頼みの国民人気が凋落したことに加え、麻生派に残留したことが決定打だった。菅氏はかつて宏池会(現岸田派)に所属していたが、岸田氏が派閥会長に就任するのを嫌って離脱。無派閥の立場で清和会(現安倍派)の安倍晋三氏を支え、安倍政権で官房長官として君臨し、安倍氏の後継首相となった。

岸田政権発足後は岸田首相が宏池会会長に留まっていることを激しく批判し、裏金事件後は麻生派だけが存続していることにも強く反発した。総裁選の旗印に「脱派閥」を掲げるつもりなのに、麻生派に残留する河野氏を担ぐわけにはいかない。菅氏は、河野氏は麻生氏との関係を断ち切れないと判断した。河野氏を見切り、小泉氏擁立に突き進んだのだ。

河野氏はこれを受け、麻生氏と関係修復に動いた。菅氏に突き放された以上、国会議員の不人気な自分が推薦人20人を自力で集めるのは難しく、派閥の親分である麻生氏の力を借りるしかない。だがそれ以上に、河野氏自身にも「麻生派」にこだわる理由があった。実は世襲政治家特有の既得権意識が潜んでいたのだ。

■なぜ「麻生派」にこだわるのか

麻生派の源流は、河野氏の父・洋平氏が1999年に立ち上げた「大勇会」という十数人の小グループである。洋平氏は宏池会に属し、加藤紘一元幹事長と派閥会長の座を争っていた。洋平氏も加藤氏も宏池会の大御所である宮沢喜一首相のもとで官房長官を務めたライバルだった。

父の河野洋平・元衆院議長(写真=Cluster Munition Coalition/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

宮沢氏が宏池会会長を加藤氏に譲ったことに反発し、洋平氏は宏池会を離脱して大勇会を旗揚げした。この時、麻生氏も加藤氏を嫌って洋平氏とともに宏池会を飛び出し、大勇会結成に名を連ねたのである。

大勇会は総裁選出馬に必要な20人に達しなかった。新聞には「派閥」と表記してもらえず、「河野グループ」と呼ばれた(1996年衆院選で洋平氏の地盤の一部を継承して初当選した河野氏も父が率いる大勇会に加わった)。この弱小グループを洋平氏から受け継ぎ、第二派閥に育て上げたのが麻生氏である。

麻生氏にとって幸運だったのは、加藤氏が2000年、清和会(現安倍派)の森喜朗政権に反旗を翻して野党提出の内閣不信任案に同調する「加藤の乱」を仕掛けて失敗し、宏池会が分裂・弱体化したことだ。

■父親が立ち上げた「河野グループ」という自負

森内閣を受け継いだ清和会の小泉純一郎政権下で、麻生氏は政調会長、総務相、外相に次々と抜擢され、同じ清和会の福田康夫政権では幹事長に就任。清和会支配のもとで麻生氏は宏池会の没落を横目にメキメキと実力を蓄え、2008年にはついに首相の座を射止めた。

2009年の衆院選に惨敗して下野したものの、2012年に自民党が政権復帰した安倍晋三政権では副総理兼財務相として君臨し、最大派閥・清和会に続く第二派閥の地位を確立したのである。

その後の麻生氏は河野氏が台頭して派閥の世代交代の歯車が回ることを恐れ、河野氏の総裁選出馬に反対してきた。

一方、河野氏には麻生派の源流は父親が立ち上げた「河野グループ」であるという自負がある。

私は朝日新聞政治部の駆け出し記者時代、河野洋平外相の番記者として、旗揚げしたばかりの大勇会(河野グループ)を担当した。ハト派として鳴らした洋平氏とタカ派として知られた麻生氏が政治行動をともにすることに当初は違和感を抱いたが、取材しているうちに二人を結びつけているのは「アンチ加藤紘一」の立場であり、自分たちを冷遇した宏池会へのルサンチマンであると理解した。政治家は政治信条よりも好き嫌いで動くことを目の当たりにしたのである。

■政治信条を超える世襲政治家の連帯感

さらに取材していくうちに、洋平氏と麻生氏の間には、私たち一般庶民には窺い知れない絆があるように感じ始めた。それは世襲政治家、それも煌びやかな政治名門一族が共有する「エスタブリッシュメント志向」というほかない独特の連帯感のようなものだった。

麻生氏は明治国家の基礎をつくった大久保利通や戦後日本の礎をつくった吉田茂の子孫である。洋平氏も大物政治家・河野一郎元副総理を父に持ち、叔父も参院議長を務めた政治名門一族だ。

彼らは叩き上げの政治家に対する強い警戒感を隠し持っている。今の政界でいうと、政治家秘書から国会議員の座をつかみ取り、ライバルたちを蹴落として実力者に這い上がった菅氏や二階俊博元幹事長のような豪腕政治家たちだ。麻生氏と安倍氏が心を許し合っていたのも、政治名門一族同士がお互いに抱く安心感を共有していたからだろう。右や左、ハトやタカといった政治信条よりも政治家同士を結びつける強固な連帯感である。

■改革派から守旧派へ瞬く間に転落した

洋平氏が麻生氏に派閥を引き渡す際、将来は息子(河野太郎氏)に再び派閥を引き戻す裏約束をしたかどうかはわからない。明示的な約束はおそらく交わされていないだろうが、暗黙の合意はあったかもしれない。そこには政治名門一族同士でなければ窺い知れない世界がある。

麻生氏が河野氏の台頭を警戒しつつも派閥から放り出さず、河野氏も麻生氏を煙たく感じながらも派閥から飛び出さなかった背景には、いずれは麻生派は河野派として継承され、そこに再び麻生氏の息子が加わるという世代を超えた連帯意識が横たわっていたのではないか。

河野氏が麻生派代表として出馬するに至るまで、麻生氏と河野氏はふたりだけの会食を重ねた。その場では目前に迫る総裁選の情勢分析だけではなく、麻生派をこれからどうしていくのかという、麻生家と河野家の世代を超えた話し合いも行われたに違いない。

今回の総裁選では、それが河野氏の致命傷となった。裏金事件で派閥解消が大きな流れになっているのに、河野氏は派閥のしがらみから抜け出すことができなかった。その結果、河野氏は改革派から守旧派へ瞬く間に転落した。そして今、総裁レースの最下位を争っている。もやは派閥を継承するどころの騒ぎではない。政治生命を絶たれる危機に陥ったのである。

河野氏の首相就任は、河野家三代(一郎氏、洋平氏、太郎氏)の悲願である。けれども政治家として恵まれた環境に生まれたことが必ずしも優位に働くとは限らない。政界の奥深い断面である。

記者会見に臨む河野デジタル大臣(写真=デジタル庁/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

----------
鮫島 浩(さめじま・ひろし)
ジャーナリスト
1994年京都大学を卒業し朝日新聞に入社。政治記者として菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝らを担当。政治部や特別報道部でデスクを歴任。数多くの調査報道を指揮し、福島原発の「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。2021年5月に49歳で新聞社を退社し、ウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』創刊。2022年5月、福島原発事故「吉田調書報道」取り消し事件で巨大新聞社中枢が崩壊する過程を克明に描いた『朝日新聞政治部』(講談社)を上梓。YouTubeで政治解説も配信している。
----------

(ジャーナリスト 鮫島 浩)