宮崎宣子さん

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約2年に及んだ治療

 元日本テレビアナウンサー宮崎宣子さん(44)。現在は経営者、フリーアナウンサーとして活躍中だ。半年前に第1子となる長男を出産。44歳という高齢出産が話題になった。2年間の不妊治療の経緯や思いを聞いた。(インタビュー第1回・全4回)

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 現在、育児中心の生活を送っているという宮崎さん。生後7カ月の息子を語る表情はすっかりママの顔だ。

「今はちょうど寝返りを頑張っているところです。出産直後は、子どもを産んだという実感が湧かなかったのですが、3カ月くらいから笑うようになったりして表情が出てきて、本当にかわいいんですよね」

宮崎宣子さん

 子どもが寝るのは午後6時から午前1時頃までと、午前2時から午前4、5時頃まで。夜中に一度起きるので、1時間ほど寝かしつけをするという。

「毎日、“分眠”みたいな感じです。夫も夜中に起きてくれて、手伝ってくれています」

 再婚となる宮崎さんが現在の夫と付き合い始めたのは、コロナ禍が始まった2020年ごろ。当初は結婚も出産もするつもりはなかったという。

「最初に離婚した時から、そういう未来は全然考えていなかったですね。『結婚=幸せ』とは限らないということを痛感しているので(笑)。結婚しなくても楽しい人生があるのでは、と思っていました」

 出産のことを考えるきっかけを作ってくれたのが、10歳下の夫だった。

「将来、もしいつか子供が欲しいということになったら、タイムリミットがきているかもしれないという話になったんです。夫からは『手遅れにならないように、宣子さんが後悔しないようにしたい』と言われました」

いくつもの「関門」が連続

 夫と話すうちに、だんだんと出産のことを意識し始めた。ただ、迷いもあったという。

「当時、私は41歳。年齢的に、ちょっと厳しいんじゃないかと思っていました。もうダメかもしれないけど、ダメ元でやってみようという感じで不妊治療を始めたんです」

 高齢出産の経験がある友人から病院を紹介してもらい、通い始めた。「すべてが初めての経験でした。何をやるか全然知らないまま行ったので、医師からの説明で知るような状況でした」

 治療は約2年に及んだ。

「治療は毎月することができるんですが、休み休みやっていました。1回やったら、1カ月間あけて、もう1回やる感じです。精神的にも肉体的にも辛い時は、2カ月ぐらい空けた時もありました。休憩しながらやったので、2年間の治療を乗り越えられたのだと思います。ダメ元で通っていたとはいえ、もしかしたらと期待してしまうこともありました。ダメだった時は結構ショックでしたね。妊娠していますと言われた時は、嬉しい気持ちよりも本当に? という疑いの気持ちの方が強かったですね」

 最終的に出産するまで、いくつもの「関門」が連続している感じだったという。そうした辛い時期を乗り越えられたのは、夫の存在が大きかった。

「夫は期待する言葉を1度も言いませんでした。ダメだった時も『次、頑張ればいいじゃん』みたいな感じで、楽観的だったんです。『子どもができなくても、2人で旅行したりとか、美味しいものを食べたりして、過ごそうよ』と言ってくれて、変なプレッシャーは全くなかったです」

 2年間の不妊治療を経て、妊娠・出産した宮崎さん。途中、大きなターニングポイントがあったという。インタビュー第2回に続く。

デイリー新潮編集部