禁断の肉体関係…姪を妊娠させ小説で公開してしまった、明治時代の文豪「島崎藤村」のヤバすぎる人物像

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島崎藤村(しまざきとうそん)は、明治時代に活躍した日本の文豪・小説家です。中学校や高校の教科書に登場する偉人であり、現代映画にもリメイクされるほど人気の作品も少なくありません。

「破戒」や「初恋」といった代表作はもちろん、家政婦として島崎藤村のもとにやってきた姪・島崎こま子とのイケナイ肉体関係を中心とした「新生」という衝撃的な作品もあります。

詳しく見ていきましょう。

島崎藤村(Wikipediaより)

島崎藤村の人生

明治時代の文豪として有名な「島崎藤村」ですが、最初の長編小説「破戒」の執筆中は貧乏生活を送っていました。そんな彼の生活を金銭的に支えたのが、妻や妻の実父、友人たちです。

それでも裕福な生活とは程遠く、3人の娘が栄養失調で相次いで死亡。葬儀の費用すら用意できず、本を管理していた木箱に娘の遺体を詰めて火葬場に送り届けたというエピソードも存在します。

その後、新たに四女を身ごもった妻も出産時に死亡。島崎藤村と生き残った娘は、家政婦として姪・島崎こま子(以下、こま子)を迎え入れます。

このことが「新生」の物語へと続くのでした。

新生の物語

小説「新生」の物語がはじまるのは1912年。当時のこま子が19歳のときでした。
島崎藤村とこま子は禁断の肉体関係を結び、妊娠が判明したのです。

しかし、島崎藤村は妊娠発覚後にもかかわらず、翌年の1913年にフランス・パリへ留学。日本に残されたこま子は、同年8月に島崎藤村との子を出産しました。

島崎藤村が意図的に留学(逃亡)したのかはわかりませんが、妊娠発覚後というあたり確信犯でしょうか。しかし、まだまだ幼い少女だったこま子は、島崎藤村の本心を知る由もなく、彼の帰国を健気に待っているのでした。

それから3年後に島崎藤村が帰国し、離れていた期間が恋のスパイスとなって2人の関係は今まで以上に燃えたぎります。そんな幸せは束の間で、2年後の1918年には離縁のときが訪れるのです。

それは、こま子の実家の判断で台湾へ渡るというもの。日本で文豪活動している島崎藤村についていくという選択肢はありませんでした。この後に島崎藤村は、こま子との関係性を小説にした「新生」を完成させて、彼女との関係を精算することにしたそうです。

才能のある人物というのは、ときに周囲の人間を巻き込み身勝手な行動をとっても慕われる魅力があるかもしれません。もし興味が湧いた方は、島崎藤村の描いたノンフィクション小説「新生」を読んでみてくださいね。