画廊と美術館での学芸員経験をもち、美術エッセイストとして活躍中の小笠原洋子さんは、高齢者向けの3DK団地でひとり暮らし。年金暮らしで倹約家の小笠原さんはお金を使わずに、暮らしを楽しんでおり、著作もあります。そんな小笠原さんの趣味の工夫から、お金への考え方を紹介します。

お金をかけなくてもコレクションは楽しめます

私の住まいは、郊外にある団地の、低所得者向け賃貸住居で、3DKの間取りです。ひとり暮らしに3部屋では広すぎるということもあり、そのうちのひと部屋を『ワタシ・ギャラリー』としました。そこには、私の大好きな“展示品"が満載です。かつて働いていた画廊で、私はショーケースや坪庭に作品をディスプレイするのが好きだったからです。頻繁に、展示品の配置や飾り方を調整しながら、楽しんでいます。

【写真】使わないものをセンスよく展示

そんな私は、たとえば旅先で、記念にと置き物などを買うことはありません。『ワタシ・ギャラリー』の展示品も、コレクションするために買ったものではなく、すでに持っていたアイテムばかり。いたって安上がりなコレクションです。

コレクションすることには、探しあてたときの喜びや、買うときのうれしさがつきものですよね。でも、節約家であり、年金暮らしの私は、なるべく買う以外の喜びを探らなくてはなりません。

片づけなどで発掘された身近なものを展示してみる

そんなわけで、わざわざ買い集めなくても、案外周辺から出てくるものです。それは、自分が昔から持っているアクセサリーや香水瓶などでも作品のように展示できます。また、たとえば使わない食器や、押し入れで眠っているマスコットなどありませんか? そういうものを展示してみるのもおもしろいのです。

私は、家の中を片づけながら、しまい込んで忘れていたきれいな物を見出すのが好きです。たとえばテーブルクロスになりそうなストールや、小窓に掛けられそうな風呂敷。またカーテンレールを利用して、カーテンの上のほうに、使わなくなった長い首飾りや鎖ベルトなどをあしらってみたり、重くて使いにくい扇子を壁に掛けたりして楽しんでいます。ただしその部屋は、家具や調度品が多くて、雑然としたお部屋より、シンプルで片づいている部屋のほうが、展示物が活かされます。

お金がないことに嘆くのではなく、喜びへ昇華させる

でも、自分の持ち物の中から飾るものを探すなんて、ずいぶんケチなことだと思うかもしれません。たしかに、私は幸か不幸か幼い頃から倹約家の貯金好きです。預金は、安心して暮らすためには心強いものでしょう。

とはいえ、貯金好きなのに、金額を細かく計算することはありません。場合によっては、通帳で金額を確認したとしても、翌日には忘れてしまうほど数字に弱いのです。どうにも、どんぶり勘定で気分だけ安心させてしまうところがあります。それでも定期預金が満期になったりすると、もう大変! 舞い上がってしまい、急激にお金持ちになった気がしてしまうのです。満期がきたとて倍になって戻るわけではないのに、ひどい勘違いによる浮き立つ思いを、むしろ生きる喜びにしているところもあります。

人と比べず、自分なりの生き方があると思えばいい

長年、私は「一日1000円暮らし」でした。財布から、一日に1000円札一枚きりと決めて、食費に当てます。生活用品も買いたいところですが、食べることが優先ですので、ほかはよほどのことがない限り後回しです。

しかし現状を明かせば、家賃や光熱費や特別な医療費などは1000円を超えてしまうことも多く、この物価高ですから、今や1000円の旗印を掲げているだけで、実際は大いなる赤字なのです。「ああ…あと何年生きるのかしら」と他人事のようにつぶやきながらも、預金が満額になったときには、喜びを十二分味わうために、長年かなわなかった旅行などをしてみることで、自分を鼓舞しています。

また、年齢を重ねてもの忘れた昨今の対処のため、金融機関を一か所にしています。単にA銀行とB銀行の預金を、C銀行へと移しただけなのに、まとめ先のC銀行の預金が増えたような錯覚をうまく利用して、自分を奮い立たせていたりします。もちろん、「ごまかし」に過ぎないですが、預金高の少なさに萎えてしまうことだけは避けたいと思っています。

私は65歳まで働いてきましたが、『ワタシ・ギャラリー』の展示を楽しむように、好きなことだけをする老後がしたかったのです。私にとって、大事なのは貧しさを辛さにしない事です。それには、他人の生活と比べないことが肝心です。自分には自分なりの「簡素な」生き方がある! と思うことなのだと思っています。