エイピアの共同創業者であるチハン・ユーCEO。AI研究を始めたきっかけは、国立台湾大の学生時代にさかのぼる(記者撮影)

AIで本当に儲かるのか、社会が変わるのか――。

AIビジネスの将来像を占う「バロメーター」として、市場関係者から密かに注目される企業がある。アメリカ・ハーバード大の博士号を持つ台湾人のAI研究者らが2012年に創業した、「Appier Group(エイピアグループ)」だ。

AIを使った販促ツールを手がけ、アメリカのフォーチュン誌から「AI革命をリードする50社」にも選ばれている同社は、2021年3月に東証マザーズ(現グロース)に上場。その後も倍々ゲームで業績を伸ばし続け、2022年12月には東証プライムへと鞍替えした。

OpenAIが2022年秋にChatGPTを公開して一気に火がついたAIブーム。AI向け半導体を手がけるエヌビディア株の急騰も話題を集める一方、AIが実際のビジネスにどう結びつくか見通しにくい面もある。そんな中、小規模ながらもAIサービスに特化した事業で手堅く成長する企業として注目されているわけだ。

研究開発の主要拠点は台湾

「AIに対する興味や関心の高まりが、顧客と取引を始めるうえで役立っている。AIが適用できる領域が広がると、AIによってあらゆる事業が変化していく。AI革命が起きている中で、トップリーダー、パイオニアとして業界を引っ張っていきたい」。共同創業者のチハン・ユーCEO(44)は、そんな野心を隠さない。

エイピアがミッションに掲げるのは、AIを活用して顧客企業のROI(投下資本利益率)を高めること。企業サイトなどを閲覧する消費者の特性をAIで分析し、顧客になる可能性を予測したり、購入をためらう消費者に取引を促したりする販促ツールを複数展開する。

現在、アジアや欧米など15の国と地域に拠点を設け、顧客企業は1600社超に上る。経営や研究開発の拠点は台湾に置く一方で、上場先でもある日本のオフィスでは主に、財務や営業の機能を担う。

前2023年12月期決算は、売上収益が前期比36%増の264億円、営業利益が同16倍の8億円に拡大した。

主力製品「Cross X」は、優良顧客になりそうな消費者を見極めたうえで最適なネット広告を出すもので、Chat GPTを組み込んだサービスもある。

例えばスキー用のゴーグルを欲しい人がいたとして、属性情報や検索内容からAIが消費者の意図を予測し、「プロ仕様のゴーグル」というタイトルを生成した広告を表示する、といった具合だ。このサービスを使えば、7〜10%、消費者が広告をクリックする比率が高まるという。

消費者の「迷い」をAIで分析するサービスもある。消費者がどの内容を見て手を止めたのか、どんなスクロールをしたのかなどをAIが分析し、購入を悩んでいると判断した消費者には「割引クーポン」などを表示して購入を促す仕組みだ。


日本向けの顧客はEC(ネット通販)、ゲーム事業者が中心だ。有価証券報告書によると、販売代理店としてサイバーエージェントを介して導入する企業が多いとみられる。近年は、アメリカなどアジア以外でも事業を広げている。2023年12月期は、アメリカやEMEA(ヨーロッパ、中東、アフリカ)の売上収益が前期比84%増と急伸した。

エイピアがアメリカに進出したのは4年前。ユー氏は「AIやデジタルマーケティングの分野で成熟するアメリカ市場への進出は実験的な位置づけだったが、非常に販売活動がうまくいっている」と手応えを口にする。

AI技術に魅了された学生時代

ユー氏はそのアメリカで2000年代に、機械学習や自律制御の分野でアルゴリズムを研究するAI科学者として実績を積んだ経歴を持つ。なぜ、起業家に転向し、マーケティングを事業領域に選んだのか。

ユー氏がAIの研究を始めたのは、国立台湾大の学生時代に、AIで人間の顔を認識する技術に魅了されたのがきっかけだった。

兵役期間も暇を見つけては大量の論文を読み漁るほど熱中し、さらなる学びを求めて渡米を決める。スタンフォード大でAI研究の権威であるアンドリュー・エン氏に従事し、AIを使った四足歩行ロボットや車の自動運転の研究を進めていった。エン氏はOpenAIのサム・アルトマンCEOの師としても知られている。

博士課程を過ごしたハーバード大では理論を深め、研究を成功に導くパターンもわかってきた。周囲から研究者として評価が高まる一方、ユー氏はAI技術を実用化に結びつける限界も感じていた。自分の仕事は、実際に社会に役立つものではなく、「博物館に飾られるようなもの」だと。

起業を思い立つきっかけになったのは、ある日、車のハンドルを握って運転している時のことだった。長く自動運転を研究してきたのに、「まだこうして自分で車を運転しているじゃないかと、ふと気がついた。AIを使って実際に世の中にインパクトを与える仕事がしたいと考えるようになった」(ユー氏)。


Chih-Han Yu(チハン・ユー)/1979年生まれ。国立台湾大学を卒業後に渡米。AIの研究者として、四足歩行ロボットや自動運転車の開発に携わる。スタンフォード大で修士号、ハーバード大で博士号を取得。2012年にエイピアを創業。世界経済フォーラムが選出する2016年度の「ヤング・グローバル・リーダー」の1人に選ばれる(記者撮影)

アメリカで研究生活を送っていた台湾出身の仲間とともに、2010年頃からビジネスを始めた。もっとも、AIで起業するといっても、当時は今のようなAIブームが訪れるはるか前。「AIは技術としてはあっても、それをどこにどう使っていいかわからなかった」という。

当初ユー氏が考えたのは、今でいう仮想空間メタバースでの活用だった。AIで利用者本人と同じような動きをするアバターを作り、コミュニケーションを取れるサービスを構想した。しかし、ゲーム会社に売り込んでもまったく関心を持たれず、月給は1人約10万円という悲惨な状態に陥る。

ゲーム会社からの提案が転機に

途方に暮れる中、あるゲーム会社からの提案が、大きな転機をもたらすこととなる。「そんなにみんな頭が良いのに、なんでワケのわからないものを作っているの。それなら顧客の好みに応じてゲームをおすすめするような、レコメンデーションエンジンを作ってくれないか」。

「メタバースで新しい世界を作ろう」と息巻く研究者からすれば、地味な仕事だが、お金もない。言われるがまま要望のエンジンを作ると、たった1日かけただけで、顧客が使っていたサービスに比べて広告のクリック率を2倍に向上させることができた。

相手も驚いたが、それはユー氏にも天啓を授けた。「あっ、ここにハマるんだ」。AIが、どうビジネスに結びつくかについて気づいた瞬間だった。

そこから始まったマーケティング領域の事業が、現在まで続くことになる。2012年に台湾でエイピアを立ち上げると、日本や韓国などアジアを中心にビジネスを拡大させていった。

現在日本のトップを務める橘浩二氏は、野村証券やDeNAを経て2020年にエイピアに入社した。橘氏は、参画した当時を「日本のスタートアップは、グローバル展開にはどこも非常に苦労しているのに、当時はアジア圏全域での展開に成功していた。面白い会社だと思った」と振り返る。

上場先として日本を選んだ理由について、ユー氏は「科学的に、客観的な要素を考慮して決めた」と淡々と話す。

アジアを拠点に海外展開を進める同社にとって、台湾の5倍以上となる人口規模を擁し、デジタルマーケティングも盛んな日本市場は魅力的に映った。「世界的にも大きな市場なので、たくさん投資家がいる。(上場の)ルールも明確でクリアだ」(ユー氏)。

他の事業アイデアも「いろいろある」

エイピアは今後、さらなる着実な成長路線を描いている。

2024年12月期は、主力製品以外の拡販やAIのアルゴリズム強化などに向けて約40億円を先行投資しつつ、売上収益は344億円(前期比30.6%増)、営業利益は20.9億円(同2.6倍)を見込む。ユー氏は「われわれはまだまだ成長フェーズなので、リソースを集中して1つ(マーケティング)にフォーカスする」と強調する。

科学者としてのユー氏は、将来的なAIの可能性についても熱弁する。

「私が今AIを使っているのはモバイルとインターネットだが、今後(AIの)計算にかかるコストが安くなると、AIがあらゆるものに組み込まれる時代がやってくる。例えば、AIを組み合わせることで、自分の体勢を変えるだけで、(上に置かれている)ボトルやペンが適切な場所に移動する賢い机のようなものを考えてほしい。業界全体にとっても、会社にとっても、人間の想像をはるかに超えるような非常に大きな事業の機会が広がっている」

ユー氏が描くAIが汎用的に広がる未来。具体的には明かさなかったが、マーケティング以外の事業アイデアも「頭の中につねにいろいろある」。

もう一段の成長を達成し、そのアイデアを実現する日はやってくるのか。科学者の今後の挑戦は、AIビジネスの将来を占う試金石になりそうだ。

(茶山 瞭 : 東洋経済 記者)