ランボルギーニ・ミウラとマルチェッロ・ガンディーニ(写真:Lamborghini)

マルチェッロ・ガンディーニが亡くなった。3月13日、享年85であった。スーパーカーの世界における“神”とも称される彼の死去に、世界中のファンからたくさんのお悔やみのコメントが寄せられている。

なんと言っても、彼はスーパーカーブームの立役者たる1台、ランボルギーニ「カウンタック」のスタイリングを描いた、いわば生みの親である。それだけでない。元祖スーパーカーたる、ランボルギーニ「ミウラ」も彼の作品なのだ。

自動車デザインの経験ゼロで抜擢

ミウラは、1966年に発表された世界初の市販大排気量ミッドマウントエンジン・スポーツカーだ。ミッドマウントエンジンがレースカーに採用され、ル・マン24時間レースを制覇したフォード「GT(40)」が大きく注目される中で、ジャンパオロ・ダラーラ、故パオロ・スタンツァーニという若きエンジニアたちとともに、これまた20代の若きガンディーニが手がけた傑作だ。


ミウラはスーパーカーブームの立役者ともなった傑作のひとつ(写真:Lamborghini)

彼は、カロッツェリア・ベルトーネにジョルジェット・ジウジアーロの後釜として在籍し、オーナーである故・ヌッチオ・ベルトーネと、このランボルギーニのニューモデルを手がけたのだ。

実はガンディーニにとって、ゼロからクルマのスタイリングを手がけたのは、このミウラが初めてのことであった。ヌッチオは彼の才能を見抜いてのことであろうが、そんな若者に社運をかけたモデルの開発を託すというのも、大した度胸だ。

果たして、彼は古典的なスポーツカーの要素に、未来的なベルトーネの要素を加味した美しいミウラのスタイリングが完成させた。

大型エンジンがシートの後ろに位置するミッドマウントエンジンレイアウトであるが、それまで主流であったフロントエンジン・スポーツカーを見慣れた目にも違和感のない、絶妙な筆加減であった。ミウラは大ヒットし、まだ歴史の浅いランボルギーニの名を世界に轟かせる重要な役割を果たした。


大排気量エンジンをミッドマウントするミウラのレイアウトがよくわかるカット(写真:Lamborghini)

不可能を可能に変えたエピソード

ガンディーニは、オーケストラ指揮者の父の元に生まれた。フリーランスのデザイナーとして生計を立てていたが、自動車開発に関する専門的な教育を受けたことはない。しかし、彼はデザインの才能はもちろんであるが、エンジニアとしての深い知識をも持ち合わせていた。

彼とともに、ミウラ、そしてカウンタックの開発をランボルギーニのエンジニアとして行ったパオロ・スタンツァーニはこう語った。

「彼とは何時間でも語り合った。恐ろしいほど新しい技術に関する知識を持ち、アイデアに溢れていた。カウンタックは、シザースドア(上下に“ハサミ”のように開くドア)の採用など、ギミックに溢れていると称されることもあるが、あれはドライバーがクルマの前方に座るというミッドマウントエンジンの特製を生かすためのレイアウトへの必然から生まれたものだった」


筆者のインタビューに答えてくれた生前のパオロ・スタンツァーニ(筆者撮影)

さらにスタンツァーニは、「面白いエピソードがある」と次のように言った。

「あの大きく重いシザースドアを支えるダンパーなど、この世に存在しないから、『そのアイデアは実現不可能だ』という反対意見を述べたエンジニアがいた。すると数時間後に、その“大きなダンパー”を手にガンディーニが戻ってきた。彼曰く『航空機ではフツウに使われるパーツだよ』と。彼の幅広い知識には目をむいたものだ」

1971年のジュネーブモーターショーでデビューを飾ったランボルギーニ「カウンタックLP500」は、ガンディーニの代表作である。フロントからリアにかけて1本の線で描くことのできる「ワンモーション」プロポーションと、ドライバーが限りなく車両の前方に座る「キャブフォワード」のコンセプトは斬新そのものであった。


極めて低いくさび型フォルムのカウンタックLP500(写真:Lamborghini)

多くの方はご存じであろうが、カウンタック(日本語表記には多くの考え方があるが、“伝統的なもの”をここでは使用する)とは、ベルトーネの本社が位置するイタリア・ピエモンテ地方の方言で、「何だこれは!」というような驚きを表すコトバだ。

このクルマのスタイリングを目にした農夫が思わず発した、とされている。農夫にとって、UFOを目にしたようなものだったのであろう。思わず口から出たカウンタックは、まさにこのスタイリングにぴったりの単語ではないか。

現在もランボルギーニのスポーツカーは、ガンディーニがデザインしたこのコンセプトを継承しており、ガンディーニの手によるデザインDNAは今も重要な役割を果たしている。


2022年に登場したNEWカウンタック、LPI 800-4(写真:Lamborghini)

彼のインタビューが難しいワケ

ガンディーニは、ベルトーネを辞したあともフリーランスとして多くの成果を残している。ヘリコプターの開発も行ったし、ガンディーニ・ジャパンが設立され、日産のコンセプトモデルを手がけたこともあった。


1993年に発表されたガンディーニの手による日産のコンセプトモデル、AP-X(写真:日産自動車)

時代を造った天才の足跡を記録し、次世代へ伝えることをライフワークとしている筆者にとっても、彼の仕事をフォローすることは重要なテーマだ。一方で、それはなかなか難しい案件でもある。

彼は決して無愛想なワケでもなく、とても細かい気遣いをしてくれるジェントルマンなのだが、いかんせん過去の仕事に関しての興味がまったくない。そしてとてもシャイだ。

だから、インタビューをしてもおよそ盛り上がらないし、興味深いエピソードを意気揚々と語ってくれることなどあり得ないのだ。もっとも、これは多くの天才たちも同様で、昔を振り返るより未来の仕事に集中したいということは、私のような凡人でも想像がつく。


2019年のヴィラ・デステに姿を見せたガンディーニ(筆者撮影)

そんな矢先、トリノ工科大学にてマルチェッロ・ガンディーニの機械工学名誉学位授与式が開催され、彼のデザインした歴代のクルマたちが大学の中庭に並ぶというニュースが届いた。そうなれば、彼もスピーチせざるを得ないであろう。

これは逃すワケにはいかないと、参加のご招待を受けていたのだが、のっぴきならぬ事情でキャンセルせざるを得なくなった。これが2024年1月12日のことであった。

仕事の哲学、そして次世代への提言

ランボルギーニ・ミウラ、カウンタック、フェラーリ「ディーノ308GT4」、マセラティ「カムシン」「シャマル」、ランチア「ストラトス」など、そうそうたるラインナップがトリノ工科大学のキャンパスに並び、彼をひと目見ようと学生をはじめ、多くの人々が会場に集まった。


トリノ工科大学にならぶガンディーニデザインの名車たち(写真:Stola family)

彼の授与式に参列したのは、このイベントをサポートした古くからの仕事仲間であるストーラ夫妻や、ASI(イタリアクラシックカー協会)のメンバー、そしてベルトーネ&ガンディーニの偉業の記録に注力したジャーナリストたちだった。

おおよそ多数の人前で話すことなど得意であるワケのない彼が、今回の授与式に続く講演で一体どんなことを話すのかは、大いに興味があった。そして、それは結論から言うとまさに「見事な出来の自伝」であり、彼の仕事に関わる哲学、そして次世代への提言が濃縮された素晴らしいものであったのだ。


この講演が結果的にわれわれの前に姿を現した最後の機会となった(写真:Stola family)

「自分は反抗的であったし、親の決めたルールには従わなかった。私が絵を描き始めたのは、イタリアに "デザイナー"という言葉が存在しなかった時代だ。建築家やエンジニアになるための勉強はできたが、私のやりたいことのための学位コースはなかった。広告のスケッチ、漫画、家具、そして少しずつ、カロッツェリアのためのクルマの図面など、何でも描いた。まだ仕事というには少なすぎたが、自分の方向性を感じるには十分だった」

そして、「若者よ、決して人の意見に惑わされず、人と同じことをするな」と彼は力強くアジテートした。


ガンディーニの講演を聴くために集まった人で会場は満員となった(写真:Stola family)

一方で「新しいものをデザインするためには、その分野で過去に行われたことをすべて知る必要がある。デザインの歴史、そしてイノベーションの歴史全般を知ること。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ以降を知ることは、これからのデザイナーにとって必須条件なのだ」とも諭しており、彼が常に身をもって示してくれた彼の仕事への取り組みに言及し、次のように締めている。

「テクノロジーを『アイデアを実現するための手段』として使うことだ。しかし、書くこと、描くこと、計算すること、紙にスケッチを描くことをやめてはいけない。鉛筆は、アイデアという脳と現実をつなぐ特別な手段だ。紙と鉛筆からプロジェクトを始められるのは、アイデアがあるということ。オリジナルのアイデアがなければ、どんなテクノロジーもそれを生み出すことはできない」


こうして写真撮影に応じるのも貴重な出来事であった(写真:Stola family)

偉大なるガンディーニの魂を後世に

このコトバには、彼のデザインセオリーが詰まっている。彼の魂から沸き出したような素晴らしい講演の記録を読んだとき、筆者は震える気持ちを抑えることができなかった。そして思った。


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彼の目の前には、まだまだたくさんのプロジェクトが待ち構えているのは間違いないだろう。彼にしてみれば、「私は忙しいから、今のうちに自分の遺言たるものをしたためておいたよ。だから、私の仕事を邪魔しないでくれよ」と言うつもりなんだろう、と。

運命はわからない。この彼のコトバがまさしく遺言となってしまうとは……。筆者のような凡人の役割として、彼についての偉業を引き続き世に伝えていくことが餞(はなむけ)となるのではないかと考えている。

資料提供:Lectio Magistralis, Marcello Gandini - Cerimonia conferimento Laurea honoris causa in ingegneria meccanica - Politecnico di Torino

(越湖 信一 : PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表)