港区1LDK中古マンションを7,000万で購入…。2年後、キャリア女子が後悔したワケ
◆これまでのあらすじ
新婚の藤田真弓(38)は夫の雄介と協力し、自宅マンションの売却活動をしている。元カレ・修平が同じマンションの競合する部屋の所有者だと判明。そんなとき、修平から突然「未練がある」と告げられた。その会話を雄介に聞かれていて…。
▶前回:「未練がある」6年交際した元カレから、突然の告白。38歳既婚女の人生は思わぬ展開に…
Vol.13 再内覧
「真弓に未練があるんだよ」
マンションのエレベーターホールで元カレ・修平に腕を掴まれ、そう告げられたとき。いつのまにか背後に、夫の雄介が立っていた。
雄介は何も言わず無表情だが、普段と明らかに様子が違う。無言でエレベーターのボタンを押し、ひとりで乗り込んだ。
私も慌てて、その後に続く。
「おい、真弓。置いていくなよ」
修平が一緒に乗り込んでこようとする。雄介は、それを手で制した。
「すみませんが、お先に失礼します」
感情のない声で雄介がそう告げると、修平もそれ以上は追ってこない。金属音がして、エレベーターの扉が閉まる。
雄介と2人きりになった。
重い沈黙が流れる。
無言のまま家に入ると、雄介はソファに深々と腰を下ろし、大きくため息をついた。
「今の人…この前の内覧の時にいた、10階の所有者だよね。真弓と昔付き合ってたってこと?」
「…うん」
「付き合ってる時から、一緒にこのマンションに住んでたの?真弓は、元カレが住んでるマンションに、俺を呼び寄せたってこと?」
「それは違うよ!」
思わず大きな声が出る。
― 雄介が勘ぐってしまうのも無理ないけれど…。
決して、示し合わせて同じマンションに住んでいたわけじゃない。それだけは、理解してほしかった。
だから私は、雄介に懸命に説明する。
突然彼が内覧に来て驚いたこと。私の部屋を参考にして、自分の部屋を売りに出したらしいこと。つい先日、ゴミ置き場で彼と遭遇し、彼がこのマンションに住んでいるのを初めて知ったこと。
雄介は、無言でうなずきながら、私の話に耳を傾けていた。
「経緯は、わかったよ。真弓にやましいところがないってことも…」
彼が静かにそう言ってくれたので、私はほっと胸をなでおろす。
― よかった。雄介の誤解が解けた…。
「でも…真弓の考えてることがわからない。そんなに色々なことが起きていたのに、どうして相談してくれなかったの?」
「それは…雄介に、変な誤解をしてほしくなかったから…」
「真弓の気持ちもわかるよ。でも結果こうやって、俺は知ることになったよね。元カレは同じマンションに住んでるんだから、隠し通すなんて無謀だって、はじめから考えなかったの?」
雄介はイライラしたように頭を掻く。
「同じ事実なら、こんなふうに知りたくなかった。もっと俺を信用して、腹を割って相談してほしかった。夫婦なんだからさ…」
「雄介…ごめん」
「前から思ってたけど、真弓は自分勝手なところがあるよ。この家の売却のことだって」
「え?」
「たしかに所有者は真弓だし、真弓が好きに決める権利があるけど…。『雄介は文句を言わずに、私に協力してくれて当たり前』みたいな態度が、以前から気になってた」
頭をがつんと殴られたような気分になる。
普段は愚痴も不平も一切言わない雄介だからこそ、彼の言葉は、鋭い刃のように私の心に突き刺さった。
「申し訳ないんだけど…少し、頭を冷やしたい。しばらく1人にさせてくれないかな。今後のこと、考えたいんだ」
私に拒否する権利はなかった。
もともと雄介の荷物は少ない。15分ほどで荷物をキャリーケース1つに詰めると…。
「じゃあ、落ち着いたら連絡するから」
短くそう告げて、彼は出て行ってしまった。
◆
「ええ、雄介さん、それから戻ってこないの」
「そうなんだよね…」
1週間後。雄介からはまだ連絡がない。気が滅入るような毎日に耐えかねてミズホに連絡すると「家まで行くよ」と訪ねてきてくれた。
「マンションの売却のことはどうなってるの?」
「いったん、売りには出し続けてるけど。内覧会とか値下げとか、できることはやったし…今は様子見って感じかな」
内覧会で興味を持ってくれたカップルは完全にマンション購入をやめてしまったようだし、しばらくは動きがなさそうだ。
― 雄介ときちんと話して、関係を立て直さなきゃいけないから…動きがないのは、むしろよかったかもしれない。
「雄介さんから言われたことは、納得してるの?」
「え?」
「『自分勝手だ』って言われたんでしょ?」
“自分勝手”――彼に言われた言葉を、うつむいて噛みしめる。
妊活と、それに先立つ自宅の売却。
雄介が積極的に協力してくれるから「2人の未来のために頑張ろう」と思ってきたけれど…元はと言えば私が「やりたい」と言って始めたことだ。
― 『手伝ってもらって当たり前』なんて、思ってるつもりはなかったけど…。
無意識にそう考えてしまっていたのだろうか。目的だけが先走り、気づかぬうちに雄介を振り回していたのかもしれない。
「まあ、40歳近くまで1人で生きてきた女が結婚したら、そりゃ色々あるだろうけどさ」
ミズホの言葉に、ふと気づかされる。社会人になってから38歳で結婚するまで、自分はかれこれ15年以上も一人暮らしをしていたことに。
― 私って…実はかなり“我”が強いのかも。
今になって、人と人生を共にすることの難しさを改めて感じた。
◆
「ごめんなさいねえ、お休みの日に何度も。やっぱり素敵なお宅だわ!」
「いえいえ。ゆっくりご覧になってください。何かお聞きしたいことがあれば、なんでもおっしゃてくださいね」
雄介が家を出て、2週間が経った頃。
マンションの売却に動きがあった。新堂さんから「お客様から、再内覧の要望をいただきました」と電話が入ったのだ。
相変わらず、雄介からは連絡がない。もしかしたら、雄介はこのまま私のもとに帰って来ないかもしれない。
― もしかしたら、雄介と別れてしまうかもしれない。それでも、このまま家を売る選択をしていいのかな。
悩んだけれど…やはり、売却活動は続けることにした。
― 雄介との思い出の詰まったこの家で、また1人で暮らす生活に戻るのはツラいから。
「ここ、お風呂はリフォームして拡張できたりするのかしら?この前見た時はあまり気にならなかったけど…せっかくだから、一回り大きなバスタブに変えたいの」
「専門業者に見てもらわないとなんとも言えないですが…この壁は構造壁ではないと思うので、見た感じはイケそうですね」
バスルームから、検討客――内覧会の日に来ていた女性の弾んだ声と、彼女の担当営業のコメントが聞こえてくる。新堂さんの直接のお客さんではないので、別の不動産業者が間に入っているのだ。
50代くらいに見える女性は、本日も華やかな装いだ。
シャネルのココハンドルから、プロの不動産業者が使うようなデジタル測定器を取り出し、あらゆるところを細かく測っている。
「うん、うん。本当に良い感じ。お風呂を取り換えて、フロアタイルを私の好みに敷かせてもらったら、他はそんなに手を入れなくてもいいわね」
― もしかして、これはイケる?
付き添っている新堂さんも同じことを思ったのか、心なしか明るい表情だ。
一通り部屋をチェックすると、女性は朗らかな笑顔で私たちに向き直った。
「度々申し訳ないのだけれど、来週中にもう一度内覧がしたいの。専門業者を手配するから、お風呂のリフォームの見積もりだけ取らせてくれないかしら。購入の申し込みは今のところ入っていないのよね?」
「ええ、幸い申込みはまだです。ただ、検討されている若いカップルのお客様がいらっしゃるのと…資料のお問い合わせは毎日のようにいただいております」
新堂さんの目がキラリと光る。嘘ではない範囲で情報を若干盛って、人気物件であるとアピールしてくれているのだ。
「あら、あら。そうなのね。じゃあ大急ぎで進めていかなくちゃね」
女性はどこか楽しそうに、大様に微笑んだ。まるで新堂さんの軽いブラフを見抜きながら、あえて調子を合わせているかのようだ。
「それじゃあ、来週またお邪魔するわね。何度もごめんなさいね」
歌うような口調で女性が去っていってから、10日後。
女性が呼んだリフォーム業者の現地調査も無事に終わり、新堂さんから連絡が入った。
「先日ご検討いただいたお客様から、正式に購入意向をいただきました」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
思わず声を上げてしまった。
― 正直、期待してたから、うれしい。本当に購入意向があったんだ!
「ただ…ちょっとご相談がございまして。与信も問題ない方なのですが、実は」
新堂さんの声が少し硬くなる。
「お客様から、指値のご相談を伺っています」
▶前回:「未練がある」6年交際した元カレから、突然の告白。38歳既婚女の人生は思わぬ展開に…
▶1話目はこちら:「一生独身だし」36歳女が7,000万の家を買ったら…
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やっと購入意向のある検討客に出会えた真弓。しかし、指値に悩み…。