大谷翔平の価値は「プレー」「集客力」だけではない…ドジャースが1000億円の超大型契約を決断した背景
■「大谷翔平ドジャース移籍」を的中できたワケ
――大谷選手の移籍先をめぐる報道は過熱していましたが、五十嵐さんは早い段階から「ドジャースに移籍するのではないか」と語っていましたね。
【五十嵐】エンゼルス時代の6年間、大谷選手は一度もポストシーズンを戦えなかった。選手なら誰もが、勝ちたい、優勝したい、という思いを抱いています。そんな大谷選手の願いを叶えられる球団が11年連続でポストシーズンに進出しているドジャースだった。
加えて大谷選手ほどのトッププレーヤーを獲得するには莫大な資金が必要になる。また温暖で住み慣れた西海岸の球団がいいのではないか。そうした条件にドジャースが当てはまった……。ここまでが、一般的に言われている大谷選手がドジャース移籍を決断した理由です。
ぼくはそれ以外にも大谷選手がドジャースを選ぶポイントがあると考えていました。それがアスリートとしての彼の姿勢です。
花巻東高校卒業後、日本ハムファイターズに入団した大谷選手は、球団の勧めで二刀流にチャレンジしました。当時、評論家やプロ野球のOBからも否定的な意見が少なくなかった。ほとんどの人が、投手か野手のどちらかに専念すべきだと考えていました。プロ野球の長い歴史のなかでも前代未聞の挑戦で、投打両方で一流の成績を残せるとは思いもしていなかった。でも、ご存じのように、大谷選手は投打ともに日本のトップレベルに成長した。
■元メジャー投手が見た「一貫した姿勢」
【五十嵐】2018年、大谷選手はメジャーに移籍しました。当時、ナショナルリーグにはDH制を採用していなかったために、大谷選手はアメリカンリーグのエンゼルスを選んだ。メジャーでも二刀流に挑戦するための選択でした。
日本で二刀流を成し遂げたとはいえ、果たしてメジャーで通用するのか。やはり多くの人たちが半信半疑だった。ぼく自身も、挑戦を純粋に応援する半面、メジャーで二刀流なんて可能なのかと感じていました。
しかし大谷選手はたくさんの人の不安を払拭し、期待に応える結果を出し続けた。エンゼルスではプレーオフに進出できなかったけれど、21年、23年にシーズンMVPを受賞した。
こう振り返ると大谷選手は、一貫して攻めの姿勢をとり続けている。彼の選択ひとつひとつを見ていくとリスクを回避したり、守りに入ったりしていない。もちろん本人のなかには、葛藤や悩み、弱気になる瞬間だってあったかもしれません。
しかし彼の野球人生を辿っていくと常に高いレベルでチャレンジを繰り返している。そう考えたときにワールドシリーズ優勝を狙えるドジャースが移籍先の最有力のひとつになると思ったのです。
大谷選手にとってドジャース移籍は、厳しい環境に身を置くことでもあります。名門のドジャースではメディアやファンの厳しい視線にさらされます。巨額の契約ですから、プレッシャーも大きい。結果を出し続けなければならない。実際にドジャースへの移籍を知り、やはり大谷選手らしい攻めの姿勢が貫かれていると感じました。
■現状維持ではモチベーションを保てない
――解説者や評論家のなかには、エンゼルス残留を予想する人も多かったように思います。
【五十嵐】確かに、エンゼルス残留の選択肢もあったとは思います。とくに来季は打者として出場しつつも、肘の手術のリハビリにも取り組まなければなりません。慣れ親しんだ環境の方が精神的には楽だという見方もあります。
しかし大谷選手が欲している勝利という点で言えば、エンゼルスのポストシーズン進出やワールドシリーズ優勝には少なくても3年くらいの時間をかけて強化しなければなりません。エンゼルスで勝ちたいのなら、3年から5年の契約を結ばなければならないでしょう。
リハビリが順調にいき、2年後に大谷選手が二刀流に復帰したとしても、まだ戦力は整っていない可能性が高い。もちろんチームは勝利を目指しますが、現実的にワールドシリーズ優勝は難しい。となったときにひとりのプロ野球選手としてモチベーションを保てるか、という問題が出てきます。
ポストシーズン進出争いから脱落したチームの選手は、シーズン後半を自分の成績のためだけにプレーすることになる。プロのアスリートとして自分の成績のために努力するのは当然です。
けれど、ヒリヒリした優勝争いのなかで一丸となったチームでプレーするのか、チームメイトそれぞれが自分の成績だけを優先して試合に臨むのか……。プロ野球選手も人間ですから、どうしてもモチベーションやパフォーマンスに影響が出てしまう。
■契約金の97%が後払い
――10年総額7億ドル(約1015億円、報道当時のレート。以下同)という契約についてはどう思いましたか?
【五十嵐】契約年数は違うにしても、あのメッシ【編集註 2017年、FCバルセロナと結んだ4年5億5500万ユーロ(約860億円)】の契約金を超えてプロスポーツ史上最高額の契約金ですからね。野球を超えて、すべてのスポーツのなかでももっとも価値があるアスリートという評価を得たと言えます。
大谷選手らしいなと感じたのが、お金だけではなく、自分が入団したチーム状況を優先した契約だったことです。
大谷選手は、契約の際に、現オーナーと編成本部長の2人が役職を退いた際に契約を破棄できる条項を盛り込んだと報じられています(米スポーツサイト「ジ・アスレチック」など)。それは大谷選手自身が今のオーナーと編成部長が示したチームの強化方針に納得して、共感したからでしょう。
また大谷選手は年俸総額の97%にあたる約986億円を契約後の2034年から10年間かけて受け取る方法を選びました。しかもその間、利子はつきません。
契約後に年俸を後払いしてもらうという契約はメジャーで珍しくない。とはいえ、契約期間中は50%もらって、退団後に残りをもらうというような形がほとんどなので異例と言えます。
■スケールが違いすぎる
【五十嵐】97%の後払いを選択した理由はそれだけはありません。
メジャーには通称「ぜいたく税」と呼ばれるルールがあります。球団の総年俸が一定額を越えるとリーグに税金を支払う必要があります。来季は保有選手の年俸合計が約340億円を超えると課税の基準になるので、大谷選手の年俸約100億円だけでその29%を占めてしまう。
ほかの選手との契約にも影響が出ますが、大谷選手の年俸を後払いにすることで、ぜいたく税を免れて、チームの戦力を整える費用を確保できる。
プロ野球選手もあくまでもひとりのアスリートであり、個人事業主ですから、チームよりも自分を第一に考えがちです。でも大谷選手は、勝てるチームをつくるには自分はどうあるべきか、という視点で契約を交わした。高額な契約金に喜ぶのではなく、自分がドジャースにいるあいだに勝つことを考えている。
個だけではなく、組織全体を見ている。ひとりの選手という立場ではなかなか持ちえない視野と発想です。スケールが違います。
■新たなルールをまた作る
【五十嵐】ただし、ぜいたく税というルールの観点から見ると別の問題も浮かび上がります。
大谷選手にとっては、強いチームでプレーしたい、勝ちたいという純粋な気持ちから、そうした契約内容にサインしたのでしょう。
もちろんルール上は問題ありませんが、これでは戦力の均衡を目的にもうけられたぜいたく税の意味がなくなってしまう。大谷選手の契約を機に、これからぜいたく税のあり方が議論されるはずです。いずれ、ぜいたく税というルールを見直す必要も出てくるかもしれません。
大谷選手の選択によってメジャーリーグのルールを変えてしまう可能性もあるわけです。これまでも彼はメジャーのルールを変えてきた実績がありますからね。たとえば、「大谷ルール」と呼ばれる先発投手がDHを兼務できる特例は、大谷選手の活躍でつくられました。
■チームへの計り知れない影響
【五十嵐】大谷選手の存在には、集客力、グッズの売り上げだけでは計れない価値があります。チームにプラスの効果をもたらす希有な選手なのです。大谷選手は、お酒も飲まず、時間があれば睡眠をとり、自身のコンディションを最優先に考え、野球で勝つことだけに集中しています。
そんな大谷選手は、チームメイトにとって「周到な準備があって、あれだけの結果を出している」という最高の教材になります。
チームという組織内では、良い影響というのは必ず伝染します。実際、WBCの日本代表も、大谷選手から大きな刺激を受けています。
野球に取り組む姿勢やメンタリティーは、直接間接問わずチームメイトの刺激や学びになり新たな成長を促すでしょう。選手だけでなく、監督やコーチたちにも新たな気づきをもたらす可能性は大いにあり得ます。
今回の契約で、大谷選手は1000億円を貰うことではなく、何を与えられるかを考えているのかもしれない。そこに人間的魅力を強く感じます。
■1000億円を超える価値
――1選手にとどまらない価値があるからこそ、ドジャースは1000億円を超える投資をしたのでしょうね。
【五十嵐】大谷選手は今年9月に右肘を手術しました。それ以前は契約金が800億円に達するのではないかと報じられていました。その後、ケガをしてしまって、契約金が下がるのではないかと言われていました。しかし結果として契約金が1000億円を超えた。
ドジャースはプレー以外の面も評価して、1000億円以上の価値があると判断したのではないでしょうか。(第2回に続く)
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五十嵐 亮太(いがらし・りょうた)
野球解説者
1979年生まれ、北海道出身1997年、ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。2003年にクローザーに転向。最優秀救援投手や、優秀バッテリー賞を獲得。2009年11月にFA権を行使し、2010年シーズンからMLBニューヨーク・メッツに入団、5勝を挙げる。2012年シーズンまでMLBでプレー。その後、福岡ソフトバンクホークス、ヤクルトに在籍し、2020年シーズンを持って引退。
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(野球解説者 五十嵐 亮太 聞き手・構成=フリーライター・山川徹)