選ばなかった人生と、恵比寿のカスエラ。麻布競馬場による書き下ろしエッセイ!
“Twitter”上にツリー形式の東京物語を連投し、現代人の抱える葛藤を巧みに描く麻布競馬場。
“タワマン文学”という新しいトレンドを生み出した彼による、東京カレンダーのエリア特集と連動した「街エッセイ」が好評連載中!
第三弾の舞台は、とある出来事をきっかけに彼が足を遠ざけていた「恵比寿」だ。
【これまでの街エッセイはこちら!】
vol.01 「東麻布は麻布十番じゃない」と言う女。
vol.02 港区おじさんと、22時の麻婆豆腐。
vol.03 選ばなかった人生と、恵比寿のカスエラ。
選ばなかった人生のことを、時折考えてしまう。例えば去年、僕は諸事情あって婚約破棄を経験した。
では失うばかりの人生だったかといわれるとそんなこともなく、単著を出したり連載をスタートしたりと、交際相手と過ごすために取り置きしていた時間をそちらに費やしたこともあってか、作家業のほうはそれなりに順調だった。
人生とは選択の連続で、その選択はうまくいくことも、うまくいかないこともある。選び取ったものの積み重ねで形成される人生の背景には、常に選ばなかったものの山が存在するのだろう。
その山にはいくつか種類があって、例えばその中には街にまつわるものや、お店にまつわるものもあるだろう。
最近行かない街の最近行かないお店を、僕はそこに見出すことができる。そのうちのひとつを、僕は最近訪問する機会があった。
魚籃坂下交差点からタクシーに乗れば、恵比寿駅東口方面の五差路だか何差路だか分からない例の交差点までは、驚くほどすぐに到着する。
にもかかわらず、僕は「懐かしいな」と言いたくなる気持ちを抑えられない。それほどに、最近めっきり恵比寿から足が遠のいていた。
「若いからじゃない?恵比寿という街自体が」
オリーブ色のクロスがきちんと敷かれたテーブルの向かいで、北野先輩がカヴァのグラスを片手に言う。
テレビ局に勤める彼女は大学のゼミの先輩で、年齢は4つ上だから現役時代にはOBOG会くらいでしか話す機会がなかったが、どういうわけかお互い社会人になってからは定期的にこうして飲むようになっていた。
僕が32歳で、彼女が36歳。最初に出会ったときはお互い20代だったが、今やもう“若者”を自称するのも憚られる年代になっていた。
「そりゃ、麻布十番とかと比べれば客層が若いかもしれないけど、現にほら」と、僕は周囲を眺めるよう北野先輩を促した。店内に5つほどあるテーブルは、いずれも僕たちと同じか、それ以上の年代のお客さんたちで満席だった。
ここ『フォンダ・サン・ジョルディ』は恵比寿駅東口から少し歩いたところにあるスペイン料理、正確にはカタルーニャ料理のお店で、僕は数年前のある期間、ここを毎月のように訪問していたのだった。
「でも、すごろくみたいなものじゃない。若者はまずは渋谷で遊んで、ちょっと知恵がついたら恵比寿に進んで、そのあとは神泉方面や並木橋方面に戻ったり、六本木や麻布十番に進んだり……」
北野先輩の言う「東京すごろく理論」には、僕も概ね同意だった。というのも、現に僕自身がその理論の体現者だったから。
学生時代は東横線の新丸子駅に住んでいたこともあり、遊ぶといえば渋谷だった。僕の場合は、三田キャンパスで青春の一部を過ごしたこともあってまず六本木が先にきたが、社会人になってからは恵比寿にかなり通うようになっていた。
恵比寿は懐の深い街だ。駅の近くには、チェーン店に客単価を数千円上乗せするだけで気持ちよく気取れるコスパのいいお店があると思えば、例えば代官山や白金のほうに少し歩けば、今度は押しも押されぬ絶対的な老舗高級店があったりもする。
山手線特有の繁華性と、それを取り囲む高級住宅街の存在が生み出す静謐性のグラデーション。それこそが恵比寿の魅力であり、年代を問わず「恵比寿ラバー」を生み出す魔力の源泉なのだろう。
「この店はまず生ハムです。サラミを含む盛り合わせもありますが、イベリコベジョータだけを頼みましょう。旨いですよ」と僕は提案した。
「いやに詳しいですねぇ」と、事情を知っている北野先輩が楽しそうに煽ってくるのを無視して、僕は店員さんにいくつか注文をした。
恵比寿は、昔の彼女との苦い思い出が貼り付いた街
上田さんというゼミの同期がいた。恵比寿と白金台の間、“ガーデンプレイス”と“自然教育園”の間くらいに住んでいた。
D2Cブランドを起業し、その立ち上げに追われていた頃の彼女と、僕は当時付き合っていた。もう5、6年も前のことだろう。
このお店は、その上田さんとよく通った店だった。
「あなた、当時ガチ恋してたのにねぇ。そもそも結婚するつもりはあまりないけど、結婚するなら上田さんがいい、って」
ざくざくと思い切りのいい厚みでカットされた生ハムをフォークで口に運びながら、北野先輩がしみじみと振り返る。
北野先輩にもいろいろと相談していたその恋は、残念ながら何かしらの好ましいゴールに至ることはなかった。
上田さんが大阪にリアル店舗を出すとかで忙しくなったことと、僕は僕でちょっとしたビジネスを立ち上げるとかでこれまた忙しくなったことが重なり、いや、それを言い訳にして、生まれ持っての性格のすれ違いという本質的原因のせいで別れたのだった。
壮絶な別れ話を経たせいで、彼女とはほとんど音信不通になっているし、今後も会うことはないだろう。そうして、僕の手元には“ジョルディ”のメニューに関する知見だけが残ったのだった。
だから、僕にとって恵比寿は、どうしても彼女との苦い思い出があちこちに貼り付いた街であり、その事実が僕をこの街から遠ざけていたのかもしれない。
「まぁ、そのあとに始まった直近の交際も、婚約破棄だなんていう結末を迎えることになったんですから。僕には根本的に、恋愛とか結婚とかが向いてないのかもしれない」「恵比寿のタコ焼き」と仲間内で呼んでいる小さな球形の食べ物を眺めながら、僕は自嘲的に笑う。
“タコ焼き”の正体はクリームコロッケで、中にはイベリコ生ハムを刻んだものがふんだんに混ぜ込まれている。それをアリオリソースにつけて食べる。
どう考えても美味しいに決まっているその組み合わせを、きちんと美味しく仕上げる堅実さがこのお店にはある。
「へぇ、美味しい。上品にワインっていうよりもビールが欲しくなるね」と北野先輩は感嘆の声を上げ、実際にビールを大至急で注文していたから、僕もそれに相乗りすることにした。
若者たちの街の片隅にひっそりと存在する、大人の秘密基地。このお店を評するにはそんな表現がピッタリだろうし、そこで僕たちは「大人は上品にワインでしょ」みたいな馬鹿げた固定概念から逃れ、カヴァで乾杯してから一度軽めの白ワインを挟み、やっぱりビールに戻るという愉快な迷走を許される。
「恵比寿、よく行きますか?」という僕の質問に、北野先輩は「当たり前じゃない!テレビマンといったら恵比寿よ」と勢いよく回答した。
先輩によると、深夜にやってくる客のワガママに慣れているお店も多いし、スナックなんかも多いから、東カレ的に言えば「大人は、最後に恵比寿に辿り着く」ということらしい。
どちらかというと「漂流」のニュアンスのほうが近いように思えたけど。とにかく、恵比寿には僕のまだ知らない大人の遊び場がいくつもあるようだ。
街というのは何歳になってもその全容を理解することができないものだし、遊び上手の人にとっては、若者向けとされている街とうまく付き合うことのほうがむしろ粋なのかもしれない。
カスエラは、ちょっとした「選ばなかった人生」の象徴
「最近、選ばなかった人生のことを考えてしまうんです」と、僕は率直に切り出した。
僕の恋愛遍歴、それも直近の婚約破棄までもその経緯をよく知る北野先輩が「なるほどねぇ」と小さく呟いたところで、ちょうど本日のメインディッシュであるお米料理がテーブルに届いた。
ワタリガニやさまざまな貝が賑やかにひしめくその下には、普段見慣れているパエリアよりずっと水気のあるお米が控えている。
そう、今日はパエリアではなく、カスエラを頼んでいた。カタルーニャの郷土料理だそうで、リゾットのようにスープをやや残して炊き上げたものだ。
「よかったじゃない、せめてお米料理くらいはこれまで選ばなかったものを選べたんだから」と、北野先輩はまるで僕を励ますように言う。
そう、これは僕がどうしても、と選んだものだった。上田さんはパエリアのパリッとしたおこげの愛好家だったから、彼女とここを訪れるとき、僕はついにカスエラを頼むことができていなかった。
つまり、カスエラは僕にとって、ちょっとした「選ばなかった人生」の象徴だったのだ。
結果、カスエラはとっても美味しかった。
お米にまとわりつく濃厚なスープは、パエリアとして炊き切った時よりも魚介由来の出汁のストレートな旨みをより鮮明に感じることができたし、煮詰められたせいで生じたのであろうトロリとした食感は官能的ですらあった。
「美味しいですねぇ」と僕たちはしみじみと言い合い、すぐにボディのしっかりとした白ワインを追加注文した。
「さて、どうでしたか?恵比寿とは和解できそうですか?」と、お店の前で帰りのタクシーを待ちながら北野先輩は悪戯っぽく尋ねてくる。
「過去は過去ですから。昔あった関係をどうにか修復して延命するより、恵比寿とこれから、新しい関係をゼロから築けるように頑張ります」と僕は答えて、北野先輩が乗ったタクシーを見送った。
今年の夏で僕は32歳になった。若いかといわれればもう若くはないだろうが、過去は悔やんでも戻ってこないし、僕が選ぶことができるものは未来にしかない。
だとすれば、僕はグチグチと過去の死骸の山を眺めるより、東カレの恵比寿特集号でも読んだほうがいいに決まってる。そこでいい新店を見つけて、また北野先輩でも誘ったほうがいいに決まってる。
幸いなことに、人生は死ぬまで続くだろうし、もっと幸いなことに、恵比寿には死ぬまでずっと、僕の居場所があるだろう。
まずは、久々に訪ねたい店だけでもいくつかある。
選ばなかった人生の山のうち、例えば街にまつわるものや、お店にまつわるものはいつだって、改めて選び取ることができるのだから。
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次回の書き下ろしエッセイの舞台は、「港区」!11/21発売の東京カレンダー本誌に掲載予定です。
■プロフィール
麻布競馬場 1991年生まれ。著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)が好評発売中。
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