◆これまでのあらすじ

ゴルフで出会った年上の女性・玲美に紹介されたのは、不動産投資家の文也(39)と建築家の仁(41)。モモは仁に興味を持つが、仁は薬指に指輪をしていた。食事会後、モモが文也の誘いを断ってタクシーに乗り込むと、仁からLINEが来て…。

▶前回:「タクシー代出すから、もう1軒だけ付き合って」男の常套句を信用して、付いていったら…




タクシーの車窓から東京タワーが見えた頃。

仁から送られてきたLINEは、玲美が作ってくれたLINEグループではなく、私個人宛のメッセージだった。スマホを持つ手に、つい力が入る。

― 今夜のお礼はLINEグループの方で伝え合ったし、この遅い時間にどうしたんだろう?

『モモちゃん、無事に帰れた?』

メッセージはたったひと言。短い安否確認の言葉だった。

― なーんだ。って、私何を期待してたんだろ…。

拍子抜けではあるが、さっぱりとしたLINEに仁の気遣いを感じる。

長々とした今日の感想でもなく、次回の打診でもなく、返事を迫る内容でもない。

ただ、簡潔に身を案じる言葉。

「仁さんという人間に触れてみたい」という興味が、心の中でますます大きくなっていくのを感じた。

一方で、既婚者は実は最も危険な相手だということも理解していた。結婚しているから男女の関係にはならない、と安心しがちだが、それが彼らの最大の武器でもあるのだ。

― いけない。既婚者の、この余裕と優しさが怖いんだ。

愛妻家で通っている男性が妻以外の女性と関係を持っている様子は、会社の中でも何度も間近で見てきた。

私の好きな上司たち、同僚たち。

外コンの第一線で働く彼らが、女性から魅力的に見えることは事実。そして彼らの方も、無類の女性好きであることが多いのも事実。

既婚未婚問わず、彼らはモテる。

いや…。もしかしたら、既婚者のほうがモテるかもしれない。

「残業」なんて嘘をついて女性と楽しむ既婚者は、いくらでもいる。

仕事ができる既婚の男には、余裕がある。その余裕は時として、男の魅力を増すのだ。

― 冷静な視点に立って、人と向き合うと決めたんだ。気をつけなくちゃ…。

『ありがとうございます。無事帰宅しています』

仁に手短に返事をしてLINEを閉じようとした私は、もう一件の未読メッセージに気がつく。

「え?まさか、本当に連絡が来るなんて…!」


メッセージは、丈の祖父・洋司からの食事の誘いだった。

洋司は大手飲料メーカーの会長を務めており、「モモちゃんの仕事につながれば」という厚意で、洋司の会社がスポンサーをしているサッカーチームの監督を連れてきてくれるという。




サッカーチーム監督と舞台女優:羽賀(43)/美月(28)


会食に指定されたのは、洋食の老舗『赤坂 津つ井』。階段をくだり地下の個室へ通されると、洋司、サッカーチーム監督の羽賀、そしてひとりの美しい女性が談笑していた。

「はじめまして。藤崎といいます」

「モモちゃん、待っていたよ。お仕事おつかれさま」

そう言って、洋司は彼らを紹介をしてくれた。

羽賀は監督という立場ながら、ブランディングやサポーター獲得は強いチーム作りの一環と考えていて、私と仕事の話をすることに前向きだという。

私は、洋司がこの場をただの食事会ではなく、ちゃんと仕事への糸口としてセットしてくれたことに感謝した。

― それで…この女性は誰だろう?




小柄で華奢。瞳が大きく勝ち気そうな、可愛らしい顔立ちの女性だ。名前を美月というらしい。

聞けば美月は宝塚出身で、現在は舞台・歌を中心に活動しているという。

― 仕事の話には関係なさそうだけど…。見たところ、羽賀さんのお気に入りといったところか。

このようなプライベートと仕事の入り交じった会合に、立場のある男性がお気に入りの女性を連れてくるのは珍しいことではない。

女性の私からすると彼らの行動は不思議ではあったけれど、女優の卵やモデルなど、その美貌を隅々まで磨き上げた美しい女性たちに会えるのは、新鮮で楽しくもあった。

同じ女性として、彼女たちの生き方に興味もある。



自身の社長時代にチームとパートナー契約を結んだというだけあって、洋司のサッカーに対する思い入れは強い。

クラブ運営の財政状況、スポンサー同士の関係性…。食事を楽しみながらも、洋司と羽賀の会話は熱を帯びていった。

夢中で話す男性たちの会話には、ビジネスの種が眠っている。

私にとっては未知の話でも、必死に耳を傾ける。

「資金提供した分について、今季は特にサポーターへの還元に充ててほしい。やっとスポーツ観戦を楽しめる世の中が戻ってきたからね」

「賛成です。サポーターへの還元を賢く最大化できないかと考えてまして。そこで藤崎さんに相談したいのです」

仕事につながる話ができないかと、うかがっていたタイミングで羽賀に話を振られ、私は考えてきたアイデアのさわりをいくつか話してみる。

「藤崎さんとは初対面なのに、同じ目線で話ができるなんて嬉しいな。引き合わせてくれた会長に感謝ですね」

信頼とワクワク感が滲み出るような笑顔を羽賀に向けられ、私は嬉しくなった。

クライアントに喜んでもらうのは、コンサルタントにとって最大の喜びだ。

羽賀が頼んでくれた『而今』を、名物のミニマルセヰユ鍋とともにいただくと、爽やかな酸味が料理にとても合う。

「こんなに洋食に合う日本酒があるんですね」

話が弾むと、お酒も料理も一層美味しくなる。

それから私たちは、夏休みの旅行先や趣味の話など他愛のない話にしばし花を咲かせた。が、気づけば再び羽賀がサッカーへの想いを語り始め、洋司と私が迎合する形で、仕事談義へと舞い戻る。

だんだんと口数が少なくなり、羽賀をじっと見ていた美月は、デザートが来るなり口を開いた。

「少し酔ってしまって…。良かったら、酔いざましに移動しませんか」


個室を出てからの美月は、羽賀の側から離れず、私に会話の隙を与えなかった。

タクシーの後部座席に羽賀、美月、私の順で座ったため、赤坂から麻布十番までの10分弱の道のりを、私は静かにやり過ごした。

美月の話題は、自身の出演する舞台の日程や歌のイベントについてだ。視線は、助手席に座る洋司と、隣に座る羽賀にだけ向けれられている。

私に目もくれず、彼女にとってのオーディエンスは、まるで洋司と羽賀のふたりだけ。

― 私も美月さんの話には、少なからず興味があるのだけど…。

どうやら私がいることで、ビジネスの話ばかりになってしまったのが気に食わないらしい。

いつもとは違い、芸能人である彼女が話題の中心になれなかったことで、すっかり機嫌を損ねてしまったようだ。




歌を歌いたいという美月のリクエストに応えて、私たちは『Mancy’s Tokyo』へやってきた。

1階がカフェレストラン、奥の階段を上がった2階はカラオケのある個室になっている。

「歌いましょう!私、音響のセッティングしますね。モモさん、のど飴とはちみつ買ってきてくれますか?」

― はちみつ!?カラオケで?これがプロ意識…なのかな。

「え?あ…うん、コンビニで売ってるかな。行ってみますね」

ひと息つく間もなく美月にお使いを頼まれたことに困惑しつつも、私は手早く飲み物のオーダーを済ませてお店を後にした。



のど飴とはちみつは、意外にもすぐにコンビニで見つかった。

― さて、戻らなくちゃ。でも…風がいい気持ち。

夜風はいつのまにか、すっかり晩秋の気配を孕んでいる。外の空気を欲していたことに気づいた私はあえて麻布十番商店街に入り、パティオ十番をぐるりと遠回りしてから『Mancy’s Tokyo』へ戻った。

店内に入ると、羽賀がひとりで1階のカフェにいる。




「あれ?羽賀さん。みなさんは?」

「美月ちゃんが結構酔ってたみたいで…あのあと眠ってしまって、タクシーで帰らせたんだ。会長も明日が早いからと帰宅したよ。モモちゃんによろしく、って」

「そうだったんですね。これ…」

私はのど飴とはちみつの入った袋を、とりあえず羽賀に渡してみる。

「これ、どうしようね。なんだかごめんね。美月ちゃん…今日疲れてたみたい」

「いえいえ、そんなこと。もっとお話聞いてみたかったです」

「そうだね、言っておくよ。洋司さん帰っちゃったけど、藤崎さんはどうする?良かったら、もう少し話そう」

― 仕事の話が半端になっちゃったから、続きかな。たしかに、今後どう協業していけるか、今日中にある程度決めておきたい。

「はい、私は大丈夫です」

とりあえず席に着くと、私がお店を出る時に頼んでいたマティーニが運ばれてきた。

「お、モモちゃんまだ飲める?俺も飲もうかな」

「今、酔いをさましてきたので」

「じゃあ、赤ワインを1本頼むから一緒に飲もう」

乾杯の後、上機嫌な様子の羽賀は早々とボトルを半分以上開けてしまった。

互いに仕事の話をしてはいるのだが、羽賀との距離が、徐々に近づいてきている気がする。

私に対しての呼び方も、いつの間にか「藤崎さん」から「モモちゃん」へと距離を詰められていた。

― 洋司さんが帰ったのに、ふたりきりで残ったのは失敗だったかな。

仕事とはいえ、男女である以上、このような雰囲気になることはいくらでもある。

ましてや、プライベートの延長のような会合だ。脇が甘かった。

その一方で、心のどこかで「女性であることを利用している」という自覚もあった。

だって、事実それでチャンスを得ている部分は少なからずあるのだから。

羽賀だって、私が女性であるからこそ興味を持ち、時間を割いてくれている面はあるだろう。

もしも私が男性だったら、この会自体、開催されていたかどうかもわからない。

― 羽賀さんとは仲良くなりたい。でも、口説かれてしまったら、仕事には繋げづらい。

目がトロンとしてきた羽賀は、口では仕事の話を続けているが、喋るスピードが落ち、こちらの出方をうかがっていることがわかる。

― 急に席を立つわけにもいかないし、どううまく収拾をつけよう…。

グラスを持つ私の手に羽賀の視線が落ち、私は手のやり場に困る。

ワインを飲み終え、逡巡しながらもグラスをテーブルに置く。すると、羽賀がグラスから離れた私の手をとった。

「…モモちゃん」

羽賀が私の目を見つめる。

その時、カフェの入り口が開き、見覚えのある男性が入ってきた。

― あれって…健太郎!?

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▶1話目はこちら:華やかな交友関係を持つ外コン女子が、特定の彼を作らない理由

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まさかの健太郎と鉢合わせ。羽賀とふたりきりのモモに、健太郎の反応は…