「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…




外資系証券会社バックオフィス勤務・真由子(35)
1人で頑張る私へ【エルメス ミニケリードゥ】


「いらっしゃいませ!お待ちしておりました」

仕事帰り、真由子が日本橋の百貨店に到着すると、いつもの外商担当の女性がにこやかに出迎えてくれた。

「こんにちは。今日は子どもの七五三のために、お着物の予約をしに来ました」

「双子のお嬢様、今年で3歳ですよね。おめでとうございます」

不妊治療の末、ようやく授かった双子の娘。

治療に専念するために真由子は、大好きだったトレーダーの仕事を手放しバックオフィスに異動した。

結果、“出世ルート”をはずれ、アナリストになるという夢も諦めることになった。

それでも2人の宝物に出会えたのだから、正しい選択だったと自分に言い聞かせている。

― 治療中はさすがにつらくて涙を流すこともあったけれど…。

頑張りの末に授かった2人の娘たちには、お金を惜しみなく使いたい。そう思って高島屋に通い続けるうちに、気がつけば真由子の買い物には外商が同行するようになっていた。

「こちらなど、以前お客様用にお仕立てした友禅ともお似合いになると思います」

外商担当のおかげで、娘たちに似合う着物をスムーズに見つけることができる。

着物の予約を済ませると、真由子はかねてからの願いを外商担当に伝えた。

「私、エルメスのミニケリーが欲しいんです。マザーズバッグじゃない、自分だけのバッグ」

真由子の願い。

それは幅20センチにも満たない小さなケリーバッグ、ミニケリードゥを手に入れることだった。

可愛いサイズ感に、神々しく光るクロア(留め具)の輝き。

約1年前、モーヴシルベストルのミニケリーを店頭のディスプレイで一目見たとき、真由子は「これこそが、1人で頑張ってきた私へのご褒美なのだ」と確信した。

― ミニケリーが自分のものになったら、どんなに幸せだろう。

ハンドルに指先だけをそっとかけて持ち上げた時のレザーの手触りや軽やかさを想像するだけで、真由子の胸は高鳴るのだ。


エルメスの入り口には、今日も長い行列ができている。

「今年は、もうバーキンをおひとつお求めでしたよね」

真由子は同行する外商担当の言葉にうなずいた。

「はい。バーキンは仕事にも使えるように黒の大きいサイズを買いしました。だから次は着物にも合うキャンディーカラーの小さいサイズが欲しくて、ミニケリーを手に入れたいんです」

品薄のミニケリーを優先的に案内してもらいたい。その一心で真由子は、エルメスの店員さんからおすすめされたものは服でも靴でもなんでも買ってきた。

― それなのに。

真由子は、履いていたモカシン パリのHモチーフを見ながら言う。

「どうして何度来てもミニケリーが出てこないのかしら?」

「こればかりは、我々外商部にもどうにもならないことでして…」

外商を連れたパトロールも、あまり効果はなさそうだ。



「今日もダメだったか…」

双子を保育園からピックアップして、神田明神からすぐの自宅マンションに戻ると、真由子はInstagramを開いた。

インフルエンサーの投稿が目に飛び込んでくる。




『担当さんに会いに行ったら、まさかのサプライズでミニケリーをご紹介いただきました!』

― どうして私のところには来ないんだろう。

どんなに頑張ってもミニケリーばかりは手に入らないのではないか、と弱気になってくる。

― 高くても、専門店で買っちゃおうかな。

エルメス専門店のウェブサイトをブラウズした後、海外通販サイトをチェックする。評判のいいバイヤーを探していると、見覚えのあるアイコンが真由子の目に留まった。

― あれ、このアイコン、さっきインスタでも見た気がする…。

「cosmoslily」と名乗っている海外バイヤーの名前を早速インスタで検索すると、通販サイトと同じ、コスモスとユリの写真のアカウントが簡単に見つかった。

東南アジア在住のバイヤーらしく、どうやって買っているのか、バーキンやケリーなどのレアバッグ購入の投稿が目立つ。

どの投稿にも『詳しくはDMください』とある。購入したバッグは、すべて販売しているようだ。

「真由子:初めまして。海外通販サイトでの出品も拝見しました。詳細を教えていただけますか?」

思わず真由子は「cosmoslily」にDMを送った。

― どうしよう。こんな怪しい人にDMしてしまった…。

怖くなってスマホをキッチンカウンターに置くと同時に、リビングで双子のケンカが始まった。




― 今日は寝かしつけまでが長そうだわ。

夫・彰人の帰宅は0時を過ぎるだろう。

彼は真由子と同じ外資系証券会社に勤めていて、かつての真由子のようにトレーダーとして、昼も夜も関係なく働いている。

― 今日もまた1人。がんばれ、私。

やっとの思いで双子を寝かしつけると、真由子は再びスマホを手に取った。「cosmoslily」からDMの返信が来ている。

『cosmoslily:初めまして。海外通販サイトの方も見てくださり、ありがとうございます。直接に取引した方が、お安い価格で提供できますよ』

Instagramに載せられている写真をさかのぼって見ると、彼女も真由子と同じ年頃の子どもがいるようだ。

一気に親近感がわき、DMを返す。

『真由子:モーヴシルベストルのミニケリーが欲しいのですが、買い付けは可能ですか?』

『cosmoslily:できますよ。子どもの世話があるので、少しお時間がかかりますがいいですか?』

― この人も、ワンオペ育児しながら一生懸命バイヤーをやっているんだ。せっかくだから、頑張っているcosmoslilyさんから買いたい。

真由子は、指定された銀行口座にミニケリーの4分の1ほどの額の前金を振り込んだ。


1ヶ月ほどたったある日、真由子のもとに突然宅配便が届いた。

茶色のリボンがかけられたオレンジの箱が現れると、真由子の心臓は、痛いほどに高鳴る。

入っていたのは、タグが付いたままのモーヴシルベストルのミニケリー。震える指で、そっと取り出す。

クローゼットから自分のバーキンを持ち出して、縫い目や革の質感を比べてみるが、おかしいところは見当たらない。

― 本当に、買い付けできたんだ。

ハンドルにそっと指先を通すと、真由子は、今までの苦労が報われた気がした。

― これは神様から私へのご褒美。不妊治療に双子の出産。それにワンオペで子育て頑張っているんだもの。

「cosmoslily」からの請求書を見ると、店頭での価格よりも10万円ほど高い金額になっている。

― 専門店で買うことを考えれば、安いものだわ。

真由子はすぐに請求書通りの残金を振り込んだ。



次の土曜日、真由子は家族でいきつけの日本橋にある百貨店に行くことにした。

バッグに似合うツイリーを見立ててもらいたいので、もちろんミニケリーも一緒だ。

彰人が双子の手を引いていてくれるおかげで、今日の真由子はとても身軽でスキップでもしたい気持ちだった。




「真由子、危ない!」

そのとき、後ろから走ってきた自転車の男が、真由子の横から無理に追い越そうとした。

軽く接触しただけで済んだが、大切なミニケリーのフラップ部分に、何かで引っ掻いたような長い傷がついてしまっている。

― すぐに、外商さん経由で見てもらおう。少しの傷ならすぐに直るかな。

「いらっしゃいませ!あら、そのバッグ、どうされたんですか?」

百貨店に着いた真由子は、外商担当の言葉に得意げにミニケリーを見せる。

「ついに私にもご縁があったんです。でも、傷がついたかもしれなくて…。エルメスに修理を頼んでいただけますか?」

お預かりします、と言って、ミニケリーを持った外商担当が、バックヤードに消えていく。

しばらくして戻ってきた外商担当が、「こちらへ」と百貨店内の個室へと案内してくれた。

そこで、外商担当が重々しく口を開いた。

「こちら、スーパーコピーと呼ばれる模造品ということはご存じですか?」

真由子は顔から血の気が引いた。

「街のセカンドショップでは鑑定できないぐらい精巧な作りのものもございます。お値段も数十万円はしますし、あえてスーパーコピーを買いに東南アジアまで行く方もいらっしゃるんですよ」

ぼうぜんとして店員の話を聞き、真由子は彰人に支えられながら帰宅した。




「ちゃんとした人から買い付けてもらったのよ」

フラフラとリビングのソファに座ると、真由子は海外通販サイトの「cosmoslily」のページを彰人に見せる。

『当方と同じ名前、アイコンでインスタに誘導する悪質バイヤーがいます。ご注意ください』

新たに追加されている衝撃の1文を見て、真由子は叫んだ。

「どうしよう!私、恥ずかしい…。こんな失敗をするなんて」

通販サイトで知った評価が高いバイヤーとは違う人に連絡してしまったようだ。自宅のリビングで、改めて彰人の顔を見ると、真由子は涙があふれるのを止められなくなった。

「このバッグは、ご褒美だったの。不妊治療も、出産も、育児も、仕事も、全部1人で頑張った私への特別なご褒美…」

彼は、静かに真由子を抱きしめて言った。

「真由子が冷静な判断ができなくなるなんて…そんなにそのバッグが欲しかったなんて知らなかったよ。

なんでも1人で頑張らないでよ。いや、真由子を1人で頑張らせたのは僕か。本当にごめん」

真由子は泣きじゃくりながら考えた。

― 最後にこうして彰人の胸で泣いたのは、バックオフィスに異動した時だったかしら。

あの時、「不妊治療に失敗したらどうしよう」と言う真由子の言葉に対し、彼は言った。

「どんな結果でも、成功でも失敗でもないよ。真由子の負担は大きいかもしれないけど、納得がいくまでやってみよう」

背中に回された手の温かさを感じながら、「この人とならもう少し頑張れる」と真由子は思ったのだ。

3年が過ぎた今も、その手のぬくもりは変わらない。

― 私は1人じゃなかったんだ。ずっと1人で頑張らなきゃって思ってきたけど…。

彰人の胸に顔を埋めながら真由子は、あの時と同じように改めてこの人と結婚してよかったと思う。

「ママ、泣かないで」

娘たちが、代わる代わる真由子の手を握る。

裕福な暮らしをしているし、素敵な家族に恵まれている。なのに、ないものばかりに目を向けていた。不妊治療のために失ったキャリアにワンオペ育児…。

次第に自分の行動が、滑稽に思えてきた。真由子の心から、ミニケリーへの執着は消え去っていく。

― このスーパーコピーは、クローゼットの奥にしまっておこう。

また「1人で頑張ろうとする私」が出てきてしまった時、そっと取り出して今日の気持ちを思い出すために。

真由子は、体の力を抜いて彰人に身を預けた。

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ついにオーダーストップがかかった、あのジュエラーのレアアイテム。思うように手に入らなくて…