人生には、決断をしなければならない瞬間がある。

どちらの道を選ぶのかで、その後の人生が大きく変わることもあり得るだろう。

美女たちは、これまでどんな選択をしてきたのか、心のうちを覗いてみよう。

クリッとした大きな瞳と、抜群のプロポーションが印象的な美女・田丸りささんの魅力に迫る。



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ダンス一筋だった幼少期


田丸りささん、23歳。

クリッとした大きな瞳と、鍛え上げられた美脚が目を引く美女である。



小悪魔な眼差しに、吸い寄せられてしまう……


現在タレントとして活動するりささんは、幼少の頃から踊ることが好きだった。

「幼稚園の年中の時から、本格的にダンスを習い始めました。当時から、ダンサーになるのが夢で、自分の意思で週5回はレッスンに通っていましたね」

小学校にあがったあとも、クラスメイトと遊ぶよりもダンスをする時間のほうが長かったという。

「学校が終わると一目散に家に帰り、電車に乗って都内のレッスンスタジオに通っていました。

同級生が公園で楽しそうに遊ぶ姿を見ても、『私にはダンスがあるから』と思っていたので、とくに後ろ髪を引かれることもありませんでしたね」

通っていたダンススクールは、大手芸能事務所と提携していたので、認められるとステージに立ったり、人気アーティストのバックダンサーとして踊れたりする機会が与えられた。

本格的なスタジオだったため、中途半端な気持ちレッスンに挑む人はいなかったそうだ。

「スクール内でオーディションがあるときなどは、みんなピリピリしてましたね。私も、ダンサーとして夢を掴むために必死でした。

誰よりも努力している自負がありましたし、一緒にレッスンを受けている子は仲間ではなくてライバルという感覚でした」



「大切なことはダンスから学びました」と語るりささん


ダンサーとして生きていきたいと思っていた彼女の心境が変化したのは、高校生の時だ。

「今までは安室奈美恵さんや浜崎あゆみさん、倖田來未さんのバックダンサーとして活動したい気持ちがありました。でも、ダンスのキャリアを積むうちに気づいたんです。

バックダンサーは、あくまでメインのアーティストさんの魅力を最大限に引き出すお仕事だなと。それも素晴らしいことですが、それよりも、私は1人のタレントとして表に出たいと思い始めたんです」

思い返せば、幼い頃からバラエティー番組を観るのが好きで、テレビに出演している女性タレントに憧れを抱いていたりささん。

自分の夢に正直になると、さっそく数々の芸能事務所に書類を応募することにした。


何度落とされても諦めませんでした

絶対に諦めない、強い信念を感じる表情だ


しかし、その道は茨の道だった。

「新人タレントの登竜門的なオーディションをはじめ、100回以上応募しましたが、どれも受からなくて……。

最終審査まで残っても、最後の最後で落選してしまうこともあって苦しかったですね」

その時期、りささんは芸能コースのある私立高校に通っていた。

同級生のなかには、既に芸能界で活躍するアイドルや女優が大勢おり、彼女たちの活躍に劣等感に感じることもあったという。

「でも、そんな時もダンスが私を支えてくれました。

小さな頃から努力をしてきた経験は裏切らないし、ダンサーとしてのお仕事をいただく機会は結構あって。

今自分にできることを精一杯、頑張ろうと思いました」

ダンサーとして活動をしながら、タレントになるためのオーディションを受け続けたりささん。

大学時代は服飾を学びながら女性誌の読者モデルをしたり、ダンスの仕事をしたりして青春時代を謳歌した。

そして、卒業が迫ってきたとき、改めて今後の人生について考えた。

「大学4年の頃に通っていたダンススクールをやめて、活動していた女性誌も年齢的に登場することが厳しくなりました。

変わらず芸能事務所のオーディションは受けていましたが、所属先が決まらずものすごく不安で……。安定した職業に就いてみるのもいいかな、という心境になりました」

そこで、大手芸能事務所の新人開発部のインターン採用を受けた彼女。

すると、高倍率を勝ち抜いて採用されることになった。そして、自ら裏方業に就いたのだ。

採用の決め手になったのは、彼女が長年培ってきたダンスのキャリアだった。

その事務所はダンスパフォーマンスと歌をメインに新人発掘を行っているため、ダンスの技術が見抜ける彼女は、新人開発の即戦力になった。



鍛え上げられたふくらはぎを、見よ!


りささんは、表に出たいという夢を一旦諦めて、アーティストを支える側に回ることにしたのだ。

「実際に会社で働き始めたら、自分の経験がとても役に立ちました」

入社後すぐに、新人発掘オーディションで審査員をしたり、デビューを控えた子のケアをしたりするようになったりささん。

「私が『この子は売れそう』と思った子が上層部の意見と一致することも多くて、審美眼はあったほうだと思います」

スタッフやアーティストからの信頼も厚く、任される仕事の規模も日々大きくなっていった。

大学卒業後も試用期間を継続させ会社に残ったりささんは、仕事に打ち込んでいく。

「新人オーディションの準備に携わったり、社外の方と商談を重ねたり。

『この子は逸材だ』と思ったら新しい仕事にプッシュしたり、所属者の子から色々な相談を受けたりもしました。

私自身にも似た経験があるからこそ所属者には親身になれたし、仕事にはやり甲斐を感じましたね」

マネージメントに関わった新人が売れると、自分ごとのように嬉しい一方で、自分はこれで良いのかなと悩むこともあったそうだ。

常に「表に立って活動したい」という自らの夢を諦めたことと葛藤しながら、裏方の仕事をしていた。

「親からも『本当に芸能界の夢を諦めていいの?』と、よく聞かれてましたね」

意を決して、会社の先輩に本音を打ち明けると、「本当にやりたいことがあるなら、挑戦してみるといいよ」と背中を押してくれたという。

その言葉に背中を押され、社会人1年目の春に退職。

その後、大手事務所が主催のコンテストに応募してみたところ、見事に最終審査まで通過した。

ようやくチャンスが巡ってきたのだ。

「絶対に合格したいと思って、コンテストを受けました。

正真正銘、ラストチャンスだと思ったので、審査中も目がマジだったと思います(笑)」

審査時の自己PRでは誰よりも熱心に挑み、本気でダンスを踊ったという。

「他の子はかわいらしい感じの振り付けの曲を踊るなか、私はハードなダンスを選曲して本気で踊りました!絶対に負けられない勝負だったので」

審査員から将来の夢を尋ねられた際も、あえて差別化を図ったそうだ。

「『女優をやりたい』とか『モデルをやりたい』とか、みんな同じようなことを言っていました。でも、他の人と同じようなことを言っても、審査員の方の印象に残らず埋もれてしまうと思って……。

それに、私がやりたいのはバラエティーのお仕事なので、『タレント志望です!』とハッキリ言いました」

そんな彼女の熱意を感じ取ったのか、大手青年誌の名前が付く特別賞を受賞。

同時に芸能事務所に所属も決まり、念願だった芸能界への第一歩が始まった。


やっと掴んだチャンスは、モノにします!

透明感溢れる眼差しにグッとくる


無事に芸能事務所に入れたものの、現在もオーディションを受け続ける日々が続いている。

「でも、事務所にも入れずに悶々としていた時代があるからこそ、ありがたさを実感しますね。

グラビアやバラエティーなど、自分が進みたい方向のオーディションも増えたので嬉しいです!」

現在は、大学時代に学んだ服飾の知識を活かし、人気女性ブランドのショップ店員としても働いている。

社会人経験があり仕事を覚えるのが速い彼女は、入店してすぐにレジ打ちなども任されるようになった。

「自分が着ている服をお客様が買ってくださったり、推しのライブに行く予定のお客様にライブ会場で目立ちそうなアイテムを提案したり、仕事自体も楽しいです。

それに、どんな服が自分に似合うかもわかるようになったので、自前衣装の撮影でも自信を持って服選びができます。ショップ店員のお仕事も芸能活動にも活かせているなって思います」

そう言って嬉しそうに笑うりささん。



数々の困難を乗り越え、自分らしさを掴み取った彼女


最後に、今後の目標について聞いてみた。

「同じ事務所の雪平莉左さんのように、グラビアで活躍できるようになりたいですね。

あとは、テレビが大好きなので『ロンドンハーツ』とか人気番組に出られるようになりたいです!」

一度は夢を諦めて違う道に進んだものの、再び自分の挑戦したいフィールドで輝く彼女。

今後の活躍に期待したい!

<今週の美女>
田丸りささん
SHOWROOM
Instagram

<カメラマン>
佐野 円香

Fin.

▶前回:「人気アイドルグループを卒業したら、仕事がなくなりました」飲食店でのアルバイトを経て…




知的な眼差しに吸い込まれる

これからの希望に満ち溢れた表情だ!

しなやかな美脚である

チラリと垣間見える太ももにドキッ

見よ!ダンスで鍛えたこの美脚を