物流業界の人手不足が深刻な問題になっている。都市部では、宅配便大手各社の手が回らない時間帯を軽トラドライバーたちが担っている。物流ジャーナリストの刈屋大輔さんは「私が取材したある女性ドライバーは、銀座の高級クラブホステスから軽トラ業に転職していた。時間の融通がきく働き方は女性の運送業進出を後押しするかもしれない」という――。

※本稿は、刈屋大輔『ルポ トラックドライバー』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/Igor Alecsander
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Igor Alecsander

■早朝から軽トラに荷物を積み込む女性ドライバー

関東地方の梅雨入りが発表された2020年の6月中旬。夜明け前まで降り続いた雨はすっかりやんで、朝から強い日射しが照りつけていた。この日、私は女性ドライバーが運転する軽トラックに同乗させてもらうことになっていた。

待ち合わせ場所として指定されたのは都内某所の配送デポ。予定より少し早く到着して待っていると、約束の時間通りにドライバーの杏子さん(仮名)が愛車の軽バンに乗って現れた。

寝不足でぼーっと立っていた私の前を横切る際に運転席から笑顔で軽く会釈してくれた。そのまま慣れたハンドル捌きで車両を後進に切り替え、配送デポのプラットフォームに接車した。

運転席から降りてきた杏子さんは長身で、ポロシャツにチノパン、スニーカー姿。長い髪を一本に束ね、首には汗拭き用タオルを巻いている。

「今日は暑くなりそうですね」

互いに簡単な挨拶を済ませると、杏子さんは早速、軽バンに荷物を積み込む作業に取り掛かった。見るからに重そうなコピー用紙や飲料水の入った段ボール箱、逆に中身の存在を疑いたくなるくらいペラペラの紙袋ケースに入った通販商品などを、その日の配達の順番に合わせて手際よく荷台に収めていく。

■大手運送会社の働き方改革で手薄になった時間帯を担う

作業は10分弱で終わった。軽バンに積み込んだのは20個足らず。宅配便の配達業務にしてはやけに少ない。しかし、杏子さんにその理由を聞いて合点がいった。

「車両に積んだのは午前7時半から10時半までの3時間に配達する荷物だけ。仕事の都合などで、日中はもちろん、夜の時間帯でさえも荷物を受け取ることができない人たちのために、通勤前の朝の時間帯に荷物を届けたり、預かったりするのが、ここでの私の仕事」

杏子さんに集配業務を委託している元請けの宅配便会社は数年前に発足したばかりの新興企業だ。ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便といった宅配便大手の既存配送網ではカバーしきれていない早朝の時間帯(午前6時〜午前10時)や深夜の時間帯(午後8時〜午後12時)に発生する集配ニーズへの対応力を武器にしている。

ネット通販の成長で需要が急伸し、慢性的な配達ドライバー不足に陥った宅配便市場では、長時間労働や「サービス残業」を強いられるなど大手のドライバーたちの労働環境が悪化した。その過酷な労働実態が社会問題化されたのを受けて、宅配便大手各社はドライバーの「働き方改革」に踏み切った。

「働き方改革」ではドライバーの業務負荷を軽減するため、荷物の受け入れボリュームを調整する総量規制が導入されたほか、ドライバーの休日や勤務中の休憩時間の確保を徹底するため、集荷や配達の業務を行う時間帯にも制限が設けられた。

■都市部の配達すきま需要を引き受けて成長

杏子さんが所属する宅配便会社は、大手の「働き方改革」によって生じた“空白の時間帯”をビジネスチャンスと捉えて、早朝や深夜の時間帯にドライバーを厚めに揃える集配システムを構築した。

その戦略が奏功し、現在では首都圏や関西圏の主要エリアを対象に、オフィス向けサプライ品やファッション通販商品を配達したり、クリーニング品やスーツケースなどを回収・配達するインフラとして利用され、取扱個数を伸ばしている。

同社の集配業務の担い手は、中小零細規模の軽トラ運送会社や軽トラの個人事業主たち。早朝や深夜の時間帯のみ仕事を引き受けるパートタイム勤務も可能なため、宅配便大手のドライバーたちが“もぐりの副業”として勤務時間外や休日に配達業務に従事しているケースもかなりある。

■3時間で7500円、初心者向けの“ゆるい”仕事

杏子さんが軽トラのハンドルを握り始めたのはおよそ1年前。軽トラ業を営む知人の男性に勧められて、この世界に飛び込んだ。敬意を込めて「先生」と呼ぶ知人男性から軽バン1台を譲り受けて、最初にスタートしたのは早朝配達の仕事だった。

杏子さんにとって好都合だったのは2時間や3時間という短時間でも仕事を引き受けられること。常勤ではないものの、当時の杏子さんには他にも仕事があり、軽トラ業はあくまでも副業と位置づけていた。

報酬は3時間で7500円。車両は持ち込みで燃料費も自己負担だが、時給単価としては悪くない。配達個数のノルマや再配達を課せられることもない。先生曰く、「大きく稼げるわけではないが、初心者にはもってこいの“ゆる〜い”仕事」。その言葉が未経験者である杏子さんの背中を押した。

■玄関のドアが開いた瞬間、無数の虫が…

先生を助手席に迎えた同乗研修を経て、1週間後には独り立ちした。しかし、スタートした当初は苦労の連続だった。

元請けから支給されたスマホの配送管理アプリを使えば、ナビが配達先までの走行ルートを正確に案内してくれるという触れ込みだった。ところが、目的地周辺には辿り着くものの、ピンポイントで目的地を示してはくれない。車両を停めて荷物を抱えながら10分近く配達先を探し回ったり、配達先に電話を入れて所在地を確認したりすることもよくあった。

ある集荷先では、依頼主から「これを持っていけ」と足で荷物を押し出されて、嫌な思いをしたり、配達先で玄関のドアが開いた瞬間に無数の虫が飛び出してきて、全身に鳥肌が立ったこともあった。配達中にトイレに立ち寄る回数を減らそうと、夏場に水分補給をセーブしたところ、軽度の熱中症に罹ってしまった。

仕事に慣れてきたのは3カ月が過ぎた頃だった。担当するエリアの地理に詳しくなり、ナビに依存しなくなった。繰り返し訪問する集配先の所在地も覚えた。作業の生産性は徐々に向上した。それに伴い、ユーザーが希望する時間帯を超えてしまう遅集配も少しずつ減っていった。

■ハワイで放浪後、空港からそのまま銀座の街へ

杏子さんはこれまでに様々な職業を経験してきた。19歳の時に福岡・中洲の高級クラブでホステスとしてデビュー。24歳になると、雇われママとして店の切り盛りを任されるようになった。その翌年には小規模店舗の居抜き物件を譲り受けてオーナーママとして独立を果たした。

しかし、店の経営やキャストたちとの人間関係に疲れて、3年余りで店を売却。その後は過去に何度か社員旅行などで訪れて、その魅力にすっかり取り憑かれていたというハワイへ、放浪の旅に出掛けた。

所有していた自家用車やブランド品を現金化することで確保した数百万円を切り崩していきながら、ハワイでの暮らしを満喫した。コンドミニアムに居を構え、プールや海で泳いだり、食事や買い物に出掛けたり。文字通り自由気ままな日々を過ごした。

ところが、数カ月が経過すると、蓄えが底をつき始めた。オーバーステイ(在留許可期間の超過)の状態だったこともあり、やむなく日本に帰国することに。降り立った空港からスーツケース1つで向かった先は東京・銀座。高級クラブにスカウトされることが目的だった。

「お化粧をバッチリして小綺麗な服を着て銀座の街を歩いていれば、スカウトマンに声を掛けてもらえる自信はあった」と杏子さん。目論見通り、ホステスの職を手にした杏子さんは、それから約4年間、銀座の夜の街で働いた。

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■昼間の仕事に就いた後も、銀座の人脈に助けられた

銀座でもその美貌と会話術を武器に多くの利用客に支持された。ただ、銀座で上まで登り詰めるつもりはなかった。銀座は中洲よりもはるかに粘度の高いドロドロとした人間関係が渦巻いていると感じたからだ。

30代に入ってからは昼間の仕事に転じた。店舗開発や健康器具の販売、保険外交員といった職に就いた。夜の世界で培った人脈と持ち前の営業力で常にトップクラスの成績を上げることができたという。

もっとも、雇われの身のままで終わるつもりはなかった。いつかは独立するつもりだった。とはいえ、具体的なビジネスプランがあるわけでもない。今後の方向性に迷っていたところ、“接待を伴う飲食店”で働いていた頃の常連客の1人だった先生(=知人男性)に、「軽トラの仕事に挑戦してみないか」と声を掛けられた。

当初は別の仕事と掛け持ちで、軽トラのシフトに入るのは週1〜2回程度にすぎなかった。しかし、いまでは早朝に3時間、深夜に2時間の計5時間の乗務を週6日ペースで続けている。近いうちに昼間の仕事からは完全に手を引き、軽トラビジネス1本に絞るつもりだという。

■月収が70万円下がっても「軽トラ業は魅力」

“稼ぎ”という点では、水商売のほうが軽トラ業よりもはるかに条件はいい。実際、中洲時代にはどんなに景気が悪くても月収が100万円を下回ることはなかった。銀座時代もしかり。それに対して、軽トラドライバーとしての杏子さんの現在の月収は、「時給2500円×1日5時間×週6日」のフル勤務で計算しても30万円程度だ。

それでも軽トラ業に魅力を感じているのは「私のような素人でも、物流業界が今後も伸びていくことは容易に想像できるし、何よりも仕事としての安定感がある」(杏子さん)からだ。

新型コロナの影響で企業活動が停止しても、物流は動き続けている。とりわけ宅配便は、巣ごもり消費によるネット通販の拡大で荷動きが堅調だ。杏子さんが言う通り、確かに今のご時世では堅い商売なのかもしれない。

水商売時代の仲間たちは新型コロナによる店の営業自粛で収入がゼロに落ち込んだ月もあった。そんな彼女たちは夜の蝶から軽トラドライバーへ“華麗なる転身”を遂げて、生活が安定している杏子さんのことを羨ましがっているという。

■いずれは女性ドライバーだけの配達チームで起業したい

ただし、軽トラドライバーの仕事は決して楽とは言えない。男性でも数日間で音を上げてしまうことが多い。体格や体力の劣る女性が長時間続けていくのは容易なことではないはずだ。

ハンドルを握り始めて1年が経過した杏子さんは、最近では軽トラビジネスで将来に一旗揚げる夢も持つようになった。女性ドライバーだけで構成する配達チームを発足させたいと考えている。

自宅で荷物を受け取る女性は口には出さないが、女性ドライバーによる配達を希望している。とくに深夜帯は防犯上の観点からも女性ドライバーに訪問されるほうが安心できる。日中も同じ女性同士なら素っぴん(ノーメイク)を晒すことへの抵抗感が和らぐ。“在宅なのに不在”がなくなり、荷物の再配達率を改善できる。杏子さんはそう踏んでいる。

通販商品の軽量化が進んでいる。コロナ後は対面での受け渡しが減り、玄関先などに荷物を置く「置き配」の件数が増えるなど、業務負荷が小さくなっていることも、宅配の現場に女性が進出する追い風になる。

スーパーのレジ打ちなど他のパート・アルバイト仕事に比べれば、軽トラドライバーの時給単価は高い。車両は小回りが利くため、女性でも運転しやすい。その魅力が知られていくことで、軽トラ業に挑戦する女性も増えていくだろう。「女性ドライバーだけの配達チーム」を組織化するという夢も現実味を帯びてくる。

■ライフステージの変化に定着率が左右されてしまう

しかし、懸念もある。「女性には結婚、出産、子育て、家事などがあり、せっかく仕事を覚えてきたのに、家庭の事情で辞めざるを得なくなることがよくある。ドライバーとしての定着率がどうしても低くなってしまう」と杏子さん。

女性中心の職場を管理していくことの難しさは、中洲や銀座で働いていた時代に痛いほど経験している。それだけに、宅配便市場で女性ドライバーの需要があることはわかっていても、すぐに行動に移すことはできないと本音を漏らす。

■朝と夜の数時間働く勤務形態は女性に向いている

配達から運転席に戻り、次の配達先に向かうまでの車中で、仕事やプライベートの話を根掘り葉掘り聞いていたら、あっという間に早朝分の配達が終わっていた。

刈屋大輔『ルポ トラックドライバー』(朝日新書)

この日の不在は1軒のみ。遅配はゼロ。事前の準備を忘れていたのか、荷物を引き取る際に玄関先で5分ほど待たされたことを除けば、とくに大きな問題もなく業務を遂行できた。

午前11時。配送デポに帰還。集荷した荷物を降ろして午前中の任務は完了した。いったん帰宅して昼食を済ませたり、炊事や掃除といった家事をひと通りこなしながら数時間の休憩を取る。その後、午後8時から10時までの2時間、再びハンドルを握る。

オンとオフを繰り返す杏子さんの働き方は、連続して一気に長時間乗務するよりも、むしろハードなのかもしれない。それでも「トイレを我慢しなくていい。こまめに着替えもできる。ベランダに干した洗濯物も取り込める。女性にとっては、途中で数時間の休憩を挟む勤務スタイルのほうが便利な面がかなりある」(杏子さん)という。

配送デポから自宅に戻る道中に、昼食を購入するために立ち寄る、最近お気に入りの弁当屋がある。手頃な価格なのにボリューム満点なうえに、添加物を使っていない。「とてもヘルシーでオススメ」というので、私も試しに購入した。

肉系の弁当を手に取ってレジで会計を済ませていると、杏子さんから饅頭をひとつ手渡された。それもこの店のイチオシだという。「饅頭は早朝から頑張って働いた自分へのご褒美。お昼にデザートとして食べるのをいつも楽しみにしている」と杏子さん。その日一番の満面の笑みを浮かべた。

言うまでもなく、糖質はダイエットの大敵だ。しかし、軽トラドライバーの仕事と家事との両立で、ハードな毎日を過ごしている杏子さんからすれば、私とは違って、饅頭1個分のカロリーなんて気に留める必要などないのかもしれない。

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刈屋 大輔(かりや・だいすけ)
物流ジャーナリスト
1973年生まれ。青山ロジスティクス総合研究所代表。青山学院大学大学院経営学研究科博士前期課程修了。物流専門紙「輸送経済」記者、『月刊ロジスティクス・ビジネス(LOGI-BIZ)』副編集長などを経て現職。
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(物流ジャーナリスト 刈屋 大輔)