田原牧 撮影/西邑泰和

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格差・貧困問題に取り組み、メディアで積極的に発言をしている作家・雨宮処凛が、バンドやアイドルなどを愛でたり応援したりする“推し活”について深堀りするコラムシリーズ。2回目のゲストは「ジャスミン革命」を取材し開高健ノンフィクション賞をとった記者・田原牧さん。初期AKB48にハマり、当時のAKB48はイスラム武闘派のアルカイダと同時代性があるとまで指摘する。一体どういうことなのか、話を聞いた。文・雨宮処凛(前後編の前編)

【写真】推し活について語る、田原牧と雨宮処凛

2011年、エジプトで起きた「革命」の瞬間に居合わせた人がいる。

それは田原牧さん。アラブ世界を見続けてきたジャーナリストだ。多くの人が押し寄せたタハリール広場には、最終局面を迎えるまで軍の戦闘機が威嚇飛行していたというから命がけの取材である。

そうして書き上げた『ジャスミンの残り香 「アラブの春」が変えたもの』は14年の開高健ノンフィクション賞を受賞。

そんな田原さんと初めて会ったのは10年以上前の連合赤軍のイベント。その後も飲み会などで会う機会があったのだが、何度目かに会った時、「とにかくBiSHがすごい!」となんの脈絡もなく熱弁されたことが印象に残っていた。また、著書『人間の居場所』では、シリア難民やイスラム国などの話題に混じってAKB48にハマった経験も書いている。「アラブに詳しいジャーナリスト」なのに、背後にちらつくアイドルの影。しかも久々に連絡をとったら、最近はヴィジュアル系バンド「0・1gの誤算」に注目しているというではないか! バンギャ30年選手である私もここ数年、彼らから目が離せない。

ということで、田原さんに「推し活」について話を聞いた。

ここでまず田原さんの経歴を簡単に紹介しよう。

62年生まれ、現在61歳(見えない!)の田原さんは高校時代に「三里塚闘争」に参加。成田空港建設に反対して農民や学生らが立ち上がった歴史的な闘いだ。70年代、「政治の季節」の名残がまだ残っていた時代のことだ。

大学時代からはジャーナリストとしてアラブ各地を巡るようになる。が、25歳の頃、内戦中のレバノンを取材中にシリアの秘密警察に捕まり、処刑寸前に。なんとか解放され、生還した後は中日(東京)新聞に入社。カイロ留学などを経て97〜2000年までカイロ特派員となり、現在も東京新聞記者。そんな田原さんは18年、トルコのサウジアラビア大使館で殺害されたジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏と面識があったり、パレスチナゲリラや日本赤軍との繋がりを感じさせる話題がさらっと出てきたりとなかなかに物騒な人だ。

ちなみに田原さんの「師匠」は、「反骨のルポライター」と呼ばれた竹中労氏。91年に死去しているが、最晩年は熱烈に「たま」(バンド)を推し、『「たま」の本』まで出版したという逸話の持ち主だ。

そんな田原さんを最初に「ヲタ」にしたのがAKB48だった。

「辛いときこそ、誰の心にもいる底力くんに会えるチャンス」という夏まゆみさん(メンバーではなく振付師)の言葉にいたく感動したこと、「ミニスカートの女子たちではなく、この集団のテレビには映らない物語性に気づいて、それをのぞきたい一心」からハマったのだという。

すでに前田敦子は卒業していたというが、当時のAKB48と言えば、まさにトップアイドル。しかし、「会いに行けるアイドル」の「劇場」を初めて訪れた時は衝撃を受けたという。

「その頃のAKBはテレビにバンバン露出してた時代なのに、ビルそのものがいかがわしい。出てくるメンバーもテレビに出る人たちじゃないので衣装も安っぽくてなんだかいたたまれなくて…。でも、初期の話を知れば知るほどハマったんです。AKBという事業そのもの、あるいはあの空間そのものに取り憑かれたんですね」

それは演者とヲタの距離の近さ、そして共犯じみた関係性だ。

「06年、AKB劇場のトイレで脳出血で死んじゃったライダー君、知ってますか? 推し活で戦死した人です。その伝説のファンのために秋元康さんが『ライダー』って曲を書き下ろして、その曲はライダー君が推してた二人がセンターになって歌ったんです。初期はそういう情のある話があったんですよ」

こうして田原さんは「初期」の物語にハマっていく。ちなみにAKBがまだ認知されず、雑居ビルの劇場という「穴蔵」でくすぶっていた頃、ファンには中高年が多かったそうだ。田原さんの同僚である「古参ヲタ」は、そんな関係を「ダメな大人男子とダメな少女たちの共犯関係に支えられた秘密の共同体」と表現している。

そんな初期AKBについて、田原さんはイスラム武闘派のアルカイダと同時代性があると指摘するのだが、それは一体どういうことなのか。

「アルカイダのカイダって、基地って意味なんですよ。アルは定冠詞。だからアルカイダは”THE 基地”なんですが、AKB劇場っていうのも秘密基地みたいなものなんです。だっていかにも素人が作った会場で、死角になる柱もある。でも、その手作り感とそこに熱中する連中と演者の関係が本当に濃密。

そもそも世間から見たら、30〜40代のおっさんたちが10代前半の女の子にペンライト振ってるって、異常なんですよ。それを重々承知の上で、世間が背を向けるような価値観の中でお互い結びつきたい。一生懸命推すことで、ちょっとでも売れてくれると嬉しいし、一緒に泣いたりする」

一方、アルカイダについては以下のように書いている。

「彼らはアフガニスタンという地球の果てに、欧米が支配する世界の常識に背を向けた物理的な空間を拓いた。世界の常識など顧みない秘密基地。世界の欺瞞に憤る一部の若者たちはそこに吸い寄せられていった」(『人間の居場所』より)

同じ時代に隆盛を極めた2団体に共通した「秘密基地」感。

ちなみにここまで「空間推し」というスタンスを貫いていた田原さんだが、よくよく聞けば推しメンもいたようだ。しかし「誰ですか?」と聞くとしばし口ごもる。その後、照れた様子で口にしたのが「宮澤佐江ちゃん」。握手会にも参加し、選抜総選挙の際はCDを複数枚買うなどして応援していたというが、「私なんか全然!」と謙遜する。「だって家売った人までいるんですよ!」というのがその理由だ。

思えばAKB全盛期には総選挙のためにCDを爆買いし、それで破産したなんて話も耳にした。だからこそ、「10枚くらいの私なんて全然!」ということらしい。そんな佐江ちゃんを推し始めた理由を問うと、「健気に見えて…」。これまでアラブ武装派組織まで出して饒舌にAKBを語ってたのに、推しメンのことになると急に語彙力が失われるのはなぜだろう。(後編へつづく)

【後編はこちら】「アイドルオタクの空間は祝祭的解放区」ノンフィクション賞記者・田原牧の “推し活”を雨宮処凛が深掘り