健康診断の問診票には、「1カ月以内に運動をしようと思っている」という質問項目がある。これは何のためにあるのだろうか。医療記者の朽木誠一郎さんは「面倒ごとを避けるために『思っている』にチェックをつけてしまうが、実は隠された重要な意味がある」という――。

※本稿は、朽木誠一郎『健康診断で「運動してますか?」と言われたら最初に読む本 1日3秒から始める、挫折しない20日間プログラム』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wutwhanfoto

■メンタルの「5つのステージ」をチェックしている

健康診断の問診票に「1カ月以内に運動をしようと思っている」といったQを見かけることがありますよね。実際には思っていようがいまいが、面倒ごとを避けるために「思っている」にチェックをつけてしまうわけですが、実はあれ、医学理論に基づいた質問なのです。

人が「面倒くさい」を乗り越える、医学的な言葉では「行動変容」するためのモデルがあります。1980年代前半に禁煙の研究から導かれたモデルですが、その後、運動など健康に関する行動について広く研究されているものです。

それによれば、人が行動を変える場合は「無関心期(6カ月以内に行動を変えようと思っていない)」「関心期(6カ月以内に行動を変えようと思っている)」「準備期(1カ月以内に行動を変えようと思っている)」「実行期(行動を変えて6カ月未満である)」「維持期(行動を変えて6カ月以上である)」の5つのステージを通ります。

だから問診のあの手の質問は「1カ月以内」とか「6カ月以内」とか、こちらからするとよくわからない期間を刻んでくるのです。

さて、本稿を読んでいるあなたは、いまどこにいるでしょうか。それぞれのステージごとにとるべきアクションは次のとおりです。

■115キロあった時は、階段を上るのがキライすぎて…

▽無関心期には「運動をすることのメリットを知る」「このままでは『まずい』と思う」
▽関心期には「運動をする自分をポジティブにイメージする」
▽準備期には「身体活動をうまく行えるという自信を持ち、身体活動を始めることを周りの人に宣言する」
▽実行期には「不健康な行動を健康的な行動に置き換える」
▽維持期には「身体活動を続ける上で、周りからのサポートを活用する」「身体活動を続けていることに対して『ほうび』を与える」

一方で、このステージは“逆戻り”する場合も。なぜ、ドロップアウトしてしまうのでしょうか。その理由の1つが、自らのメンタルのくせです。

私の実体験から説明しましょう。体重が115キロだった頃、私は階段が大キライでした。そのこと自体は別に不思議でもなんでもないのですが、私は階段がキライすぎるあまり、ナゾの行動を取っていたのです。

ナゾの行動とは、街を歩いているときに「目の前の歩道橋を避けて、だいぶ先の横断歩道まで歩く」というもの。パッと歩道橋を上ってしまった方が、時間も短く、何なら消費カロリーも低そうな場合でさえ、数百メートルも大きな体を揺らして、えっちらおっちら歩いていたのです。

■肥満者は未来よりも目先の利益を優先しがち

これは「時間選好率」という言葉で説明することができます。中央大学名誉教授の古郡鞆子(ふるごおりともこ)さん・同大経済学部准教授の松浦司(まつうらつかさ)さんの『肥満と生活・健康・仕事の格差』(日本評論社)では、肥満者について以下の傾向を紹介しています。

一連の研究では、肥満者は(中略)時間選好率が高い傾向があることが報告されている。時間選好率が高いということは、今日食べたり、飲んだりして得られる満足度を、将来健康であることの満足度より高く感じてしまうことを指す。

ハッとした人も多そうです。簡単に言えば、肥満者は未来の利益よりも目先の利益を優先してしまう傾向がある、ということです。つまり、肥満は人間がもともと持っているこうした傾向を強めてしまうのです。

階段がキライな理由が「疲れたくない」なのだとしたら、結果的に歩く距離や時間、運動量、消費カロリーが増える行為(=遠くの横断歩道まで歩く)は本末転倒です。それでも、後者を選んでしまうのですから、それだけこの「肥満思考」とでも呼ぶべきものは強固なのです。さらに、ここに学歴や所得、職業、人とのつながり、政策、文化、景気なども影響しています。

■痩せたいという意志は3割あればいい

私が上梓した『健康診断で「運動してますか?」と言われたら最初に読む本 1日3秒から始める、挫折しない20日間プログラム』(KADOKAWA)では、「うつ思考」も紹介しています。思考のくせは不健康を生み、不健康がさらに思考のくせを強めてしまいます。私たちが健康になるためには、どこかでこの負のスパイラルを断ち切らなければならないのです。

そのためには、新しい習慣をつけるためのコスト、それも今の習慣を続けたい欲を抑えてまで目先の利益のないことをするのに十分なサポートやインセンティブが必要になります。これは個人の意思の力だけではどうにもならないことなので、メンタルを変えたいなら、別のアプローチをする必要が出てきます。

本書では、健康になるには「意思の力ではなく、環境を変えることが必要」とも紹介しています。これはどんな根拠によるものかというと、例えばマンチェスター大学のトーマス・ウェッブさんらが複数の研究を分析した結果によれば、運動習慣をつけようとするとき、人の意思の影響は3割に止(とど)まることがわかっています。残りの7割は環境などその他の要素でした。

だとしたら、です。意思の力は3割でいいとも言えるのではないでしょうか。

■人間が気を配れる容量には限界がある

人は健康になろうとするとき、意思の力を100%発揮しようとして、失敗します。私が好きな心理学の概念に注意容量理論があります。これは、人間が気を配れる容量には限界があり、集中すればそれを大量に消費し、並行して複数のことに気を配っていると知らないうちに減っていく、というものです。

健康になろうとするためのアクションにもこのことが言えて、仕事が忙しくなれば健康は疎(おろそ)かになるし、例えば友だちの結婚式の余興の準備をしていればその分、健康に気を使えなくなる、というものです。健康になるためのアクションが失敗するのは、いきなりたくさんの注意容量をそのアクションに充ててしまうから、とも考えられるのです。

もしそれが3割でいいとしたら。そして、その残った意思の力を、環境を整備することに使えたら。環境自体にコロナ禍のような大きな変化が訪れても、余裕が残っているため、対応できるようになるはずです。これもまた、広義の予備力と呼べるでしょう。

人の健康に影響を与える環境とはどのようなものかを研究するのが、社会疫学です。京都大学医学部教授で、社会疫学を研究する近藤尚己(こんどうなおき)さんは「健康は、学歴や所得、職業、人とのつながり、文化、景気の影響を受けます」と説明します。

■学歴や所得の低さが生活習慣病を引き起こす場合も

学歴は健康についての正しい知識を持っているかどうかに影響します。例えば、たばこを吸い続けることで、肺の生活習慣病とも言われているCOPDという病気になりますが、これは常に溺(おぼれ)れているような非常に苦しい思いが死ぬまで続く、つらい病気です。喫煙によりCOPDという病気になることを知っているかどうかは、文字どおり、生死を分けるのです。

所得が低いと、例えば食事が炭水化物中心に偏り、腹囲やBMI、血糖値、中性脂肪などの値が高くなることが明らかになっています。また、学歴や所得が高くても、例えば残業などでストレスが多いと「不適切な食事の量と質」や「喫煙」「多量飲酒」「運動不足」などのリスクにつながり、病気になったり、死亡したりすることもわかっています。

写真=iStock.com/Yuto photographer
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環境とはこのように、学歴や所得、ストレスといったものですが、これらは変えることが難しく、救いがないようにも感じます。

もちろん、社会疫学の研究者たちもそのことは重々承知していて、その上でできる対策を推奨しています。そこで登場するのが「ナッジ」という概念です。

■それは、「いつの間にか健康になっている」状態

社会疫学で明らかにされた救いのない事実から、運動不足の人がただ「もっと運動するべきだ」と言われても、運動習慣がつかないことがわかります。

そこで近年、注目されているのが「ナッジ理論」。ナッジとは提唱者であるリチャード・セイラーさんがノーベル経済学賞をとったことで有名になった「そっと後押しする」ことを意味する行動経済学の言葉です。社会疫学では「本人に自覚がなくてもいつの間にか健康になっている状態」を目指す取り組みのことを指します。

例えば「距離は短いが歩道がなく危険なので車で移動せざるを得ない道」があるとします。そこに歩道を整備すれば「歩こう」というインセンティブになり、これをハード面でのナッジと呼びます。道路のようなインフラの形を変えてしまえば、どんなに運動が面倒くさくても、人は行動を変えざるを得ないのです。

ナッジのいいところは、学歴や所得などの社会経済状況に関係なく、みんなが健康になることです。学歴や所得があってもなくても、その方が便利であれば、前述の道を歩くでしょう。

とはいえ、“道”のようなインフラの例=ハード面のナッジは、あまり再現性がありません。そこで近年、注目されるようになったのが、ソフト面のナッジです。

■習慣化の極意は、“趣味”にすること

例えば、2016年頃から流行している『ポケモンGO』は、ゲームのプレイ要素の中に「歩行」「移動」を盛り込んでいます。『ドラクエウォーク』も同様です。これらのゲームが楽しくて好きになればなるほど、人は自然と歩くようになり、健康にもいい影響があるということになります。これがソフト面のナッジの例です。

朽木誠一郎『健康診断で「運動してますか?」と言われたら最初に読む本 1日3秒から始める、挫折しない20日間プログラム』(KADOKAWA)

特にゲームは、「ゲーミフィケーション」という概念があるように、それ自体が楽しく、習慣化に果たす役割が大きいものです。「夜中までゲームをしてしまった」があり得るように「昨日はポケゴーのために20キロメートルも歩いた」があり得るのです。

3割の意思の力の使い道が見えてきました。「推し」でもいいし、『ポケモンGO』でも『ドラクエウォーク』でもいいので、「楽しくて好きになるもの」を3割の意思の力で探すことです。世の中にはこうしたナッジの性質を持つレクリエーションが無数にあり、それが「趣味」と呼ばれてきました。趣味であれば、環境が変わっても、自発的に続けたいと思えるはず。習慣化の極意は、つまり、趣味化だったのです。

たかがゲームと思うことなかれ。なんと、コロナ禍を経た今は、フィットネスをテーマにしたゲームが世界的にもブームで、たくさんの人が健康目的でゲームをしているのです。

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朽木 誠一郎(くちき・せいいちろう)
ライター・編集者
地方の国立大学医学部医学科を卒業後、新卒でメディア運営企業に入社。その後、編集プロダクション・有限会社ノオトで基礎からライティング・編集を学び直し、BuzzFeed Japan Medicalの立ち上げに従事。現在は大手報道機関に勤務しながら、個人としても雑誌『Mac Fan』や『Domani』公式サイトなどで執筆中。主著に『健康を食い物にするメディアたち』(ディスカヴァー携書)。近著に『医療記者のダイエット 最新科学を武器に40キロやせた』、『健康診断で「運動してますか?」と言われたら最初に読む本 1日3秒から始める、挫折しない20日間プログラム』(KADOKAWA)がある。
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(ライター・編集者 朽木 誠一郎)