世界中の人々を未だに熱狂させる映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。その作中に登場する自動車型のタイムマシン「デロリアン」を、現実世界で再現したオーナーがいます。製作には世界中の映画ファンたちが協力しました。

世界も認めた日本にあるタイムマシン版「デロリアン

 1985年に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。全部で3作品が公開されたこの映画は、タイムマシンを題材にしたSF作品で、いまだにカルト的な人気を誇る不朽の名作といえます。その人気は映画だけでなく、そこに登場するグッズや文化にもおよび、特に劇中で用いられたタイムマシンへと改造されたスポーツカー「デロリアン」は、カーマニア以外にも知られた、この映画のアイコン存在となっています。


静岡ホビーショーの青島文化教材社のブースで展示されているタイムマシン型「デロリアン」のレプリカ。左奥にあるのは3作目でドクが使用したハンドメイドライフルのレプリカ(布留川 司撮影)。

デロリアン」はアメリカのDMC(デロリアン・モーター・カンパニー)によって1980年代初頭に販売された2ドアクーペで、総生産数は約8900台と少ないですが、映画の人気と相まって、そのうち約6500台が現存しているといわれています。そのなかには、一般販売された市販スポーツカーとして残っているものだけでなく、劇中で活躍したタイムマシン版「デロリアン」として改造されたレプリカ車両も含まれます。

バック・トゥ・ザ・フューチャー』はアメリカ映画のため、そのレプリカの多くは北米にありますが、日本にも非常に高いレベルで劇中の「デロリアン」を再現した人がいます。その方の名は津和敏夫さん。兵庫県在住の彼は、通常仕様の「デロリアン」を購入すると、そこから自身の手でタイムマシン版デロリアンの製作を始めました。

 劇中のタイムマシン版にするためには300個以上の部品を「デロリアン」に付けていく必要がありますが、彼はそのすべてのパーツを世界中のさまざまなルートから入手し、ないものは詳細なデータを入手して自作。それを国内の仲間たちと協力して、時には議論しながら組み上げていったそうです。

 こうして2年半の歳月をかけて製作された「デロリアン」は、外観はもちろんのこと、車内も「フラックス・キャパシター」や「タイム・サーキット」という映画で見たお馴染みの器機を備え、一見すると「撮影に使われた車両」と言われても信じてしまうほどのクオリティの高さを誇っています。

模型の改造で一躍有名人に

 この津和さん自慢の映画版「デロリアン」レプリカは、2023年5月10日から静岡県のツインメッセ静岡で開催されている静岡ホビーショーの青島文化教材社(アオシマ)のブースにて、展示されています。

 これは同社による「デロリアン」新作プラモデルの発表(来年発売予定)に合わせ、実車として展示されたもので、この機会に津和さんから、制作にまつわるエピソードをいろいろと伺いました。

デロリアンに興味をもったきっかけは、実車からではなく、デアゴスティーニから出た『週刊バックトゥザフューチャー デロリアン』の8分の1模型の方でした」


このタイムマシン型「デロリアン」のオーナーである津和敏夫さん。国内外のファンや友人たちの手助けを受けて、2年半の歳月を掛けて完成させた(布留川 司撮影)。

 このように模型から入った津和さんでしたが、そのうち本の指示通りに組み立てるだけでは満足できなくなったそうで、まずはその模型を劇中の「デロリアン」へ近づけるために改造してドレスアップし始めます。

 その後、手を加えた完成モデルをインターネット上で公開すると、日本国内だけでなく世界中のファンたちから大きな反響があったそう。しかも、「自分も改造したいので、そのパーツを作って送ってほしい」という熱心なリクエストまで届いたといいます。

 模型改造のおかげで津和さんは海外のファン・コミュニティーとつながるようになりました。その結果、とある縁によって国内で売りに出されていたノーマル状態の「デロリアン」を手に入れることになります。最初はそのままの状態で乗ろうと思っていたものの、実車購入を知ったコミュニティーのメンバーたちから「(改造を)やるよね?」というコメントが多数寄せられたことで、それらに後押しされるようにフルサイズのタイムマシン版「デロリアン」の製作をスタートさせたのだといいます。

 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の撮影では、状況に合わせて3台の「デロリアン」改造車が用意され、それぞれがA車(撮影用)、B車(スタント用)、C車(車内撮影用)と呼ばれていたとのこと(全3部作では合計6台製作)。なかでも、最もディテールが細かく作られたのはA車で、これが制作物としては本物のタイムマシン型デロリアンということになります。

 A車の随所に取り付けられたパーツは、乗りものや機械のジャンク部品を組み合わせて作られており、コアなファン・コミュニティーではタイムマシン版「デロリアン」の形状を把握するだけでなく、それらがどのジャンクパーツから流用されているのか、原型の特定まで進められているそうです。

世界中のファンを味方につけ2年半で完成

 模型製作でこれらコミュニティーに関わりを持った津和さんは、世界中の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』マニア(探求者)の力を借りて、よりレベルの高い実物大「デロリアン」の完成を目指したのだとか。しかし、当然ながらそれは簡単なことではありませんでした。

「製作にあたっては数多くの海外ファンに協力してもらいました。製作に必要な情報を持っている人はもちろん、元になったジャンクパーツ自体を持っている人もいました。やり取りは基本的に電子メールでしたが、日本とは時差があるため、返信があるのは日本では深夜になります。具体的には深夜11時から午前3時くらいに返事が来るので、製作期間中はその時間は寝ないで海外とメールのやりとりをしていました。昼には仕事があるので、毎日2〜3時間しか寝られませんでしたよ」


運転席部分。配線やスイッチボックスなど各機器が映画を元に再現。座席のプロポは劇中で遠隔操作するときに使われたもので、作中と同じフタバ製を改造して作ったレプリカ(布留川 司撮影)。

 これらファンの人々とのやりとりは、簡単ではなかったといいます。通常のパーツ販売業者と違って金銭を払えば送ってもらえるものではなく、楽しみを追求したマニア同士の交渉のため、認めた相手にしか対応してくれません。幸い津和さんは模型の「デロリアン」でコミュニティーでは比較的知られた存在になっていたため、知り合いが知り合いを紹介するという形で新たな輪が広がるなどしたことで、世界中のファンたちがサポートしてくれたそうです。

「使われたパーツの多くは廃品ばかりです。航空機のタービンとかわかりやすいものから、機械内部の構造材やコンデンサーといった、人目に触れないようなマイナー部品までありました。現物を海外のファンから送ってもらっても、最初はそれをどう取り付ければいいのかわからないなんてこともありましたね。例えば車の一番後ろの排気ノズルの間にある緑のパーツは、大昔の無線機の排熱部品なんですが、海外のファンから型番を教えてもらったら、たまたま国内のオークションに出ていて、映画とはまったく関係ない無線機収集家の方から譲ってもらえました」

マニアだからこその探求心でパーツも自作

 パーツ自体が手に入らない場合は、A車や資料を基に精巧なレプリカを自作。そこにもパーツごとで深いエピソードがあるといいます。

「運転席と助手席の間にある『ゴールドボックス』というパーツは、ニュージーランド人の友人が。車体後部にある排気口は、国内のデロリアン・オーナーズ・クラブの仲間がそれぞれ作ってくれました。この排気口は金属板を溶接でつなげて組み上げるのですが、劇中車では溶接部分にダマがあって仕上がりがとても荒いんです。そこで調べたら、劇中のドクは車の専門家ではないという設定のため、映画スタッフがワザとそう作ったらしいのです。それを再現しようとしたら、日本製の溶接棒だとどうも上手くできず、結局アメリカから部材を取り寄せ、ようやくドクの“仕事”を再現することができました」

 津和さんのタイムマシン版「デロリアン」では、パーツごとにこういった裏話が “てんこ盛り” 状態で、聞いてきて飽きないほどでした。先に紹介した青島文化教材社の「デロリアン」プラモ担当者も、開発にあたって本車を取材したそうですが、その時も「車両の説明だけでたっぷり5時間くらいしてくれました」と笑顔で語ってくれました。


タイムマシン「デロリアン」の前部。側面のケーブル類はフラックスバンドと呼ばれている(布留川 司撮影)。

 彼がこれほどのレプリカを完成させるには、手間や時間はもちろんのこと、何よりもそのヤル気を生み出す強い意志が必要となります。

「実は、この『デロリアン』はナンバーを取得しているので公道も走れます。でも、それ故に妥協した部分もあって、劇中車と比べたら異なっているところもあります。ですから、例えばアオシマさんの新キットを作るのであれば、私の『デロリアン』は手本とせずに劇中車を再現してほしいと思います」。

 ここまで完成させた愛車を「見てほしくない」と言えるのは、津和さん自身が原作映画に対して極めて強いリスペクトがあるからでしょう。これこそが、彼やこの活動を支援してくれた世界中のファンたちを動かし続ける原動力なのかもしれません。

 このタイムマシン型「デロリアン」は、5月14日まで静岡市内で開催されている「静岡ホビーショー」で展示・公開されています。ぜひ来場し、津和さんの心血が注がれた「愛車」を堪能してみてください。