ランボルギーニのV12エンジンを振り返る 350GTからミウラ、アヴェンタドールへ 前編
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純粋にV12エンジンで走るランボは姿を消す
2023年をもって、純粋にV型12気筒エンジンだけで走るランボルギーニは姿を消す。以降はハイブリッドになる。容認された合成燃料へどう対応するかにもよるが、電動化へ向けた前進は止められないだろう。
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もちろん、ハイブリッドのV12エンジンを積んだランボルギーニも、素晴らしいに違いない。だが、大切な何かが失われることも予想できる。
ホワイトのランボルギーニ・ムルシエラゴと、ゴールドのランボルギーニ・ディアブロ、それに続く2台のランボルギーニ・アヴェンタドール
そこで筆者はイタリアへ向かった。これまで開発へ関わってきた4名の技術者から、サンタアガタ・ボロニェーゼでお話を伺うために。そこには、ディアブロとムルシエラゴに加えて、ウルティメとSVJ、2台のアヴェンタドールも待っていた。
オリビエロ・ペドラッツィ氏は、1962年から1975年まで、同社でエンジン設計に関わっていた人物。ティツィアーノ・ベネデッティ氏は1968年に入社し、技術部門で腕を磨き、1974年に技術コンサルティングを専門とするテクノスタイル社を創業した。
そのテクノスタイル社には、追ってペドラッツィも参画。ベネデッティとともに、チゼータ・モロダーV16TやブガッティEB110の開発へ携わっている。
ジャンカルロ・バルビエリ氏は、1968年から2005年までランボルギーニに在籍。エンジンの組み立てワークショップを経て、研究開発部門で手腕を振るった。
マウリツィオ・レッジャーニ氏は、40年間イタリアの他メーカーでキャリアを積み、1995年に入社。最近までチーフエンジニアを担ってきたが、現在はモータースポーツ部門の副社長に就いている。
カムシャフトは4本 バンク角は60度
ランボルギーニのV型12気筒エンジンについて、簡単に触れておこう。オリジナルの設計は技術者のジョット・ビッツァリーニ氏で、最終的な仕上げをジャン・パオロ・ダラーラ氏が担当。バンク角は60度で、カムシャフトは片側に2本づつ、4本組まれている。
同じユニットは進化を続けながら、ランボルギーニ350GTから400GT、ミウラ、エスパーダ、カウンタックへ搭載。大きく手が加えられ、オフローダーのLM002とカウンタックQV(クアトロバルボーレ)、ディアブロ、ムルシエラゴに採用されてきた。
往年のランボルギーニ生産工場の様子
現行のアヴェンタドールには、抜本的に再設計されたエンジンが載っている。新世代のハイブリッド・スーパーカーにも、再び大きく手が加えられたユニットが積まれる予定だ。
同社初のV12エンジンが誕生した頃の様子を、ペドラッツィが振り返る。フェラーリ250 GTOのエンジン開発を終えた直後、ジョット・ビッツァリーニ氏とともにランボルギーニへ移籍した当時のことだ。
「この一帯(サンタアガタ)には、トウモロコシ畑が広がっていました。20分ほど離れたチェントの町にランボルギーニのトラクター工場があって、そこが当初の開発拠点だったんです。新しい建物が完成するまで」
「フェラーリのV12はカムシャフトが2本だったのに対し、4本を想定していたことが重要でしたね。設計はビッツァリーニと一緒に進めました。入社時には彼がエンジンの準備を終えていた、という話もありますが、事実ではありません」
350馬力を達成すればトラクターをプレゼント
ランボルギーニを創業したフェルッチオ・ランボルギーニ氏は、新エンジンのパワーが高いほど技術者へ支払われる報酬も増えると、ビッツァリーニに話したといわれている。ペドラッツィも、それに同意する。
「ランボルギーニさんは、エンジンが350馬力を達成できれば、広い土地を持っていたビッツァリーニにトラクターをプレゼントすると話していたようです。でも、最初のテストでは350馬力へ僅かに届きませんでした」
往年のランボルギーニ生産工場の様子
「エンジンの試験台には、計測用のアームが付いています。アームへ少し重さを加えるとバランスが変わり、350馬力以上の数字が示されました。湿度や気圧などでも変化するため、その補正値が記されたマニュアルもありました。5%ほどの誤差で」
「とにかく彼はトラクターをもらったんですよ。でも、ランボルギーニさんも賢明な方ですので、何が行われていたのか知っていたようです。素晴らしいエンジンだったことは間違いありません」
ランボルギーニとして初の量産モデル、350GTV プロトタイプがお披露目されたのは、1963年のイタリア・トリノ・モーターショー。その横に、V12エンジンの試作機が展示された。
自社の新工場が完成する3日前にエンジンは仕上がっていたが、350GTV プロトタイプへは搭載されなかった。背の高いキャブレターの頂部が、ボディに干渉したためだ。
この続きは後編にて。