【闘病】もう顔と指先しか動かせない… 幼少期に発症した脊髄性筋萎縮症

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2歳の時に脊髄性筋萎縮症(II型)を発症した上田龍輝さんは、発覚当時、8歳までしか生きることができないと言われていたそうです。しかし、8歳の時、精密検査で症状の経過が緩やかになっていると診断され、引き続き経過をみながらも、日々生活しています。身体の不自由がありながらも、現在はYouTubeで音楽活動などの動画配信などもおこなっているという上田さんに、脊髄性筋萎縮症とはどのような病気なのか、また、どのような闘病生活を送ってきたのかについて、話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2022年3月取材。

体験者プロフィール:
上田 龍輝

東京都在住、1994年生まれ。両親と妹の4人家族。2歳の時に脊髄性筋萎縮症(II型)を発症する。その後、とくに薬品服用や治療などはおこなわず、リハビリと年に数回の検査をおこなってきた。徐々に筋力の低下がみられるが、小・中・高(特別支援学校)・大学へ進学。卒業後は自身の夢だった音楽活動などを中心に、YouTubeでの動画配信なども行っている。コロナ禍になってからは、訪問リハビリの処置を受けながら、定期通院も続ける。
【YouTubeチャンネル】
上田龍輝 YouTube channel (音楽活動)
https://youtube.com/channel/UCByu-luAoLKYW1QgY9VnR3Q
RandBch. (日常・企画)
https://youtube.com/channel/UCMeH_6ws1elVBVnuGdk1mPg

記事監修医師:
村上 友太
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

幼少期に発症した脊髄性筋萎縮症

編集部

脊髄性筋萎縮症とはどのような病気ですか?

上田さん

主に筋力や運動に必要な、脊髄内の運動神経細胞(ニューロン)がなくなって、徐々に筋力の低下や筋肉の萎縮がおこる病気です。2歳で発症しましたが、正直、15歳になるまでは、詳しく知らずに生活してきました。

編集部

病気が判明した経緯について教えてください。

上田さん

幼少期にみられる「立つ」「はいはい」などの発達過程がみられなかったため、両親に連れられて小児科を受診したそうです。最初は原因不明だったようですが、より精密な検査を受けた所、脊髄性筋萎縮症だと発覚しました。そのときは呼吸機能の低下の症状によって、8歳までしか生きられないだろうと言われていたそうです。

編集部

医師からは、脊髄性筋萎縮症をどのように治療していくと説明されましたか?

上田さん

当時の医療において、具体的な根治治療がなかったため、精密検査などを定期的におこないながら様子をみることになりました(※近年になって、特効薬・治療法が出てきました)。また、筋力の維持や低下を防ぐために、リハビリを定期的に受けるようにと説明があったそうです。

編集部

脊髄性筋委縮症が判明したときの心境は覚えていますか?

上田さん

発症の時期が、物心がつくかつかないかという時期なので、この症状が当たり前という感覚だったと思います。年を重ねるにつれ、心理的な葛藤(思春期、アイデンティティの確立など)で、周りとの違いに悩むことも多くなりました。当時、両親もかなり動揺していて、健康な身体で産む事ができなかったことに対して、罪悪感を抱いていたようです。

編集部

脊髄性筋委縮症を負担に感じることはありましたか?

上田さん

発症から現在まで、身の回りのサポート(介助)が必要な生活を送っています。睡眠や外出でも同じく介助が必要なので、自分だけでなく介助者(家族・友人)への制限や負担が大きいと感じています。

ずっとリハビリを続けてきた生活

編集部

入院や治療の内容を教えてください。

上田さん

3歳の頃、病気を確定するために、筋生検の切開手術のときと、睡眠時の呼吸異常などを調べるために、24歳の頃に検査入院しました。3歳のときは記憶になく、24歳のころは検査だけでしたので治療は受けていませんでした。

編集部

現在まで、治療は受けられていないのですか?

上田さん

投薬はありませんでしたが、これまでリハビリ治療を中心に受けてきました。

編集部

どのようなリハビリを受けられましたか?

上田さん

幼少期、青年期(高校生・特別支援学級)、成人期(現在)と内容が少しずつ変わってきましたが、リハビリはずっと受け続けています。主に、筋力の低下の防止・維持を目的に、肘・膝・指先・足先と各関節の柔軟を中心におこなっています。幼少期には、これに加えて自分で動かせる範囲の運動(はいはい・寝返り・腕の上げ下げ)、機械を使って立つ感覚を感じる装置の実施をおこないました。これらは、1ヶ月に1~3回という程度で通っていたのを覚えています。

編集部

では、青年期のリハビリは?

上田さん

青年期に入ってからは、筋力の低下により、幼少期の施術をストップしました。特別支援学校の授業で、柔軟と呼吸力の維持を目的に、吸う・吐くの訓練を受けていましたね。週1~2回呼吸力の測定をおこなっていたので、かかりつけ病院の診察は3カ月に一度くらいに減り、呼吸の大事さを学びました。

編集部

現在のリハビリはいかがですか?

上田さん

現在は、私生活の変化や年齢の問題もあり、リハビリ科に通うことをやめ、2週間に一度の訪問リハビリを受けています。柔軟に加え、気になる部位に集中した柔軟と間接的な医療の相談もするようになりました。生活する上での困った点について、相談(頭痛や体調の異変など)をさせてもらうことも増えましたね。

編集部

リハビリ中の心の支えはなんですか?

上田さん

「これからの生活への期待」や「感謝」が心の支えになっています。二度の入院は、それぞれ目的が違いますが、どちらも今後の人生を大きく左右するようなものだったと感じています。

自分の人生は自分で決めることが出来る

編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

上田さん

自分のできることが少ないからこそ、その中でしたいことは遠慮せず全力で取り組んで欲しいと伝えたいです。病気の分、生き急ぐことが多いので「丁寧さも同じくらい感覚として持てる人であれ」とも伝えたいです。

編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

上田さん

大学卒業後から、夢だった音楽活動などに取り組んでいますが、現在は、ほぼ顔と指先しか動かすことができなくなっています。生活の介助と共に、外出への介助も、さらにお願いすることが増えています。コロナ禍になってからは、自宅での創作活動や訪問リハビリを受けながら、先の生活に向けて日々できる分だけの準備や挑戦をしています。

編集部

医療従事者に望むことはありますか?

上田さん

望むことはなく、診察や入院をする度に、親身に接してくださるので、心から感謝しています。ありがとうございますとお伝えしたいです。

編集部

最後に、読者に向けてのメッセージをお願いします。

上田さん

コロナ禍で「今までの生活が当たり前では無い」と強く実感しました。息抜きもろくにできず、毎日希望が見えない日も増えたと思います。だからこそ、この機会をいただき、僕が生きていたということを残せたなら「自分の人生は自分で決めることができる」と、少しでも言えるのではないかと思います。僕の体験を共有させていただくことで、いつか何かの力やきっかけのひとつになったら、僕は本当に幸せです。

編集部まとめ

上田さんは、2歳のころから脊髄性筋萎縮症を発症しました。当初は数年の命と言われるものの、症状が緩やかになり、現在まで、大きな治療をすることなく、生活されてきました。「人の可能性は無限大だ」ということを証明していきたいと考えているそうで、このインタビューに参加してくれました。今後の、制作活動にも期待したいところです。

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