偶然、5年ぶりに元カノに遭遇…。男が思わず見入ってしまった、彼女の「現在の姿」とは?
空港は、“出発”と“帰着”の場。
いつの時代も、人の数だけ物語があふれている。
それも、日常からは切り離された“特別”な物語が。
成田空港で働くグラホ・羽根田(はねだ)美香は、知らず知らずのうちに、誰かの物語の登場人物になっていく―。
▶前回:勤続5年目、ベテランCAの「黒歴史」。お客様とグラホを巻き込んで、ゲートでいきり立ったワケ
Vol.10 基樹の物語
5年前に別れた恋人は今…
― あと1時間…ってとこかな。
基樹は、成田空港第1ターミナルの到着ロビーにやってきた。
テレビ局のスポーツ部で働く基樹は、彼の帰国時の様子を撮影するために、六本木からタクシーを走らせてきた。
ロサンゼルスからの到着便に合わせ、機材を抱えたカメラマンと最前列に陣取る。
「基樹さん、人が増えてきましたね。やっぱり、女性が多いな」
「そうだな。本当、みんなどこから情報を仕入れてるんだろうって思うよ」
通常だったら、到着1時間前にスタンバイするのはまあまあ早いほうだ。それにもかかわらず、基樹たちは次から次へと集まってくる女性ファンたちに、すっかり取り囲まれてしまった。
― 独身でスキャンダルなし、長身、イケメン…しかも、世界で活躍してるんだもんな。
まるで、海外の俳優かアーティストの来日待ちのような光景で、なかなか圧巻だ。基樹がそんなことを考えながら、スマホで仕事のメールチェックをしているときだった―。
「キャー!!」
鼓膜に突き刺さる黄色い歓声と、一斉に鳴り響くスマホのシャッター音。
例の投手が、関係者に囲まれながら颯爽とあらわれた。
「お、出てきましたね。早かったな」
「だな。音声もしっかり拾っといて」
基樹は、カメラマンに指示を出すとこめかみを軽く揉んだ。
― これ、片頭痛がくるんじゃないか。
突然、目の奥のほうがドクドクと脈を打ち始める。
「よし、撮れた!基樹さん、このあと局に戻りますか…って顔色悪いですよ?最近、忙しすぎたんじゃないですか」
心当たりは、冬の終わりにおこなわれていたプロ野球のキャンプだ。その取材で、基樹は東京から沖縄、鹿児島を何度も往復していた。今になっても、激務の疲れがまだ残っているような気がする。
「あぁ、大丈夫。でも僕、コーヒー飲んでちょっと休憩してから戻るよ」
カメラマンをひとりでタクシー乗り場へ向かわせると、基樹はそのうしろ姿を見送った。
次の瞬間。
― 嘘…だろ?
基樹の視線は、ひとりの女性にくぎ付けになった。そして、気づけば足は、彼女のあとを追っていた―。
― …あの人、美香だよな?
4階・出発ロビーへとつながる長いエスカレーターの近くで、基樹はぴたりと足を止めた。
基樹の視線の先にあるのは、航空会社の制服に身を包んだかつての恋人の姿だ。
「美…っ」
思わず声をかけようとした基樹だったが、彼女のほうが先にエスカレーターに乗ってしまいタイミングを失う。
すると基樹は、そのあとを追うようにエスカレーターに乗り込んだ。
ピシッとまとめられた夜会巻きは、5年前よりもずっと似合ってさまになっている。
― 美香、キレイになったな。…だけど、これって俺、ストーカーみたいじゃないか?
周囲から怪しまれないように、視線を落とす。
それでも基樹は、グラホとして働く美香の姿をどうしても見ていたかった。
5年前。
『美香:内定もらえたよ』
美香からのLINEには、“色々ありがとう”と猫が頭を下げるスタンプが添えられていた。いつもは絵文字さえ使わない彼女にしては珍しいと基樹は思う。
― 相当嬉しかったんだろうな、本当によかった。
彼女が就活に苦戦しているのを知っていた基樹は、自分のことのように嬉しく感じた。
『基樹:おめでとう!次の休みにお祝いしよう。美香の好きな韓国料理の店、予約するよ』
ところが、数日後―。
「美香、よかったね。頑張ってたもんな!」
「ありがとう。でも内定もらえたのはCAじゃなくて、地上職のほうなんだよね。外資系の…」
美香は、目の前のチーズタッカルビには手をつけず、うつむきながら申し訳なさそうに言った。
一方で基樹はというと、CAになって国内外を飛び回るよりも、地上職として配属先の空港で働いてくれたほうがデートしやすい。そんな身勝手なことを考え始めていた。
― むしろいいじゃないか、地上職。
「地上職だって、すごいよ!」
「…そうかな?だけど、やっぱりCAになりたいって思う気持ちは変わらないから。働きながら、いつかまた採用試験を受けてみるつもり」
「うん、でも無理しすぎないようにね」
悔しさをにじませながらも、彼女は気持ちの切り替えができたようだった。
配属先が成田空港だということや、引っ越しのこと。本社がある海外での研修のことなんかを話しているときは、心底楽しそうに見えた。
― 羽田がベストだったけど、成田っていっても千葉だし。会おうと思えばいつだって…。
しかし、このときの基樹は、美香の新天地のことをごく軽い気持ちで考えていたのだった。
1ヶ月後。
彼女が成田空港の近くへ引っ越していったのをきっかけに、すぐに2人の生活はすれ違い始めた。
基樹のLINEに、既読がなかなかつかないことが増えた。
やっと連絡がついたと思っても、21時前にはやりとりがパタッと途絶えてしまう。
『基樹:美香、次の休みっていつ?』
昼前に送ったLINEが、20時をまわっても未読のまま放置されることも多々あった。
『美香:ごめん、早番続きで…。寝ちゃってた』
こんなやり取りが続いた後、1ヶ月ぶりに、美香が家にやってきた。
「美香、忙しそうだね。仕事は慣れた?」
「ううん、全然!わからないことしかなくて、何を質問したらいいのかって感じ。毎日先輩を困らせてるよ」
自虐的に言ってはいるが、表情はキリッとしている。もうすぐOJTが終わるから、髪型もお団子から夜会巻きにするのだと張り切って練習している姿が微笑ましい。
「ねえ、基樹。これ、うしろ側キレイな夜会巻きになってる?」
色白な彼女のうなじを見た基樹は、生唾を飲んだ。
「…美香、今日は泊まっていくでしょ?」
「あ、もうこんな時間!今日は、家で勉強したいから終電で帰るね」
― 終電って、まだ22時前なのに?
こうして連絡も、会う回数も、次第に減っていった。
基樹が入社当時から希望を出していたスポーツ部への異動が決まったのは、そんなときだった。サッカーや野球のシーズンが始まると、取材であちこちへ走り回る日が続く。
互いの忙しさのせいで、自然消滅に近いかたちで別れることになった…と基樹は記憶している。
― 美香と別れるとき、もっとちゃんと話すべきだったよな。
片頭痛にこめかみを強く揉みながら、基樹は4階・出発ロビーに足を踏み入れた。
コロナ禍に空港の取材に来たことがあったが、あの閑散とした感じはもうすっかりなくなっていると基樹は思う。
旅行客たちから発せられる楽しげな空気が、あちこちに充満していた。
「空港って、こういう感じだったよな」
新鮮な気持ちで広いフロアをグルッと見渡すと、彼女が働く航空会社のチェックインカウンターを視界がとらえた。
― そういえば。
「基樹も、たまには成田まで来てよ」
「うーん。成田って取材とか旅行とか…あとゴルフするときに行くってイメージだからな」
「そのなかに彼女の家に行くっていうのは、入ってないの?」
「タイミングが合ったら…ね」
いつかこんな話をしたことがあったのを、基樹は唐突に思い出す。あのときの美香は、悲しい顔をしていなかっただろうか。
基樹は、急にくじけた気持ちになった。
― やっぱり、今さら会っても…。
エレベーターを見つけ、“下”のボタンを押してたたずむ。
すぐにやってきたエレベーターに乗り込むと、あっという間にもといた到着ロビーへと戻っていく。
― このままタクシーで帰ろう。
「あのっ…」
とぼとぼと到着ロビーから外へ出ていく基樹は、予期せずうしろから声をかけられて、肩をビクッと震わせた。
「やっぱり、基樹だ」
「…美香」
美香は、前髪を手でなでつけるようにして、息を切らせている。
「さっき4階で基樹を見た気がして、追いかけてきちゃった。久しぶりだね」
「ああ、久しぶり。美香、元気?」
「うん、まあコロナの時期に辞めちゃった人が多くて。仕事は忙しいけど、元気だよ」
航空会社は、コロナ禍で大打撃を受けた業界のひとつだ。
報道番組で、職員には減便にともなう出勤日数の減少、減給があったと取り上げられていた。彼女もきっと苦労したのだろうと、基樹は労いたくなる。
「美香の仕事、大変だろうなって思ってたんだ」
「私は、まだいいほうだよ。って言っても、会社からアルバイトの許可が出て、空港内のレストランで働きながらグラホしてる時期もあったかな」
「それは…すごいね」
「…ねえ。もしかして基樹、頭痛い?ちょっと、そこに座って待ってて」
美香は近くのコンビニへと走ると、アイスコーヒーを片手に戻ってきた。
「はい、これ。基樹、片頭痛がするときはいつもこめかみをグリグリしてたから」
「覚えててくれたんだ。コーヒーもありがとう」
ひんやりとしたアイスコーヒーを一気に飲むと、脈を打っていた血管がスーッと収縮していくような気がした。
そこで基樹は、ずっと気になっていたことを彼女に問いかけた。
「美香は、あれからずっと成田なの?」
「ずっとって?あ、CAにならなかったのかって話?」
美香は今ここにいるのだから、答えがわかりきった質問だった。基樹は、我ながら間抜けだなと後悔する。
「ごめん、変なこと聞いた」
「いいよ。CAは何回か挑戦したけどダメだったの。でも、こっちの仕事もやりがいがあって、自分に合ってるなって思ってるよ」
― 聞くまでもなかったか。
基樹は、自分の頬が緩むのを感じた。
背筋が伸び、凛としたたたずまいの彼女からは、言わずとも今を楽しんでいる人特有の自信のようなものがあった。
「美香、たくましくなったな」
心の中では、キレイになった…前よりもずっとと思ったが、元カレに言われても嬉しくないだろうと基樹は言葉を置き換える。
「何それ、キレイになったとかじゃないの?まぁ、いいや。私、そろそろ行くね。
そうだ、基樹の片頭痛は肩こりからでしょ?たまにはマッサージとか行って、体に気をつけてね」
「ありがとう、美香も」
この日2回目の美香の後ろ姿を目で追い、基樹は思う。
5年ぶりに再会した恋人が、思っていたよりもはるかに魅力的な人になっていた。だからといって、どうこうするつもりはないが、こんなに嬉しいことはない。
― 俺も年をとったな。
「確かに、肩もバッキバキだ。マッサージにでも行って、もうひと頑張りするか」
自分も萎れている場合じゃないぞ、と基樹は31歳にしては丸まった背中を引き伸ばす。
彼女のシャンとした姿勢を真似て、タクシー乗り場へと向かった―。
▶前回:勤続5年目、ベテランCAの「黒歴史」。お客様とグラホを巻き込んで、ゲートでいきり立ったワケ
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