「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」

周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。

彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。

「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」

しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。

これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。

親の七光りは、吉か凶か―?

◆これまでのあらすじ
名門一貫校出身の果奈は、息子の翼を小学校から同じ学校に入れたいと考えている。なんとか翼に合う幼児教室を見つけ、入塾を即決する。

▶前回:小学校受験のための幼児教室。「ご出身はどちら?」と聞かれたとき、答え方の正解は…




Vol.3 初めてのママ友


「翼くん、でしたよね」

幼児教室体験からの帰り際、果奈は、一緒になった母親に声をかけられた。

黒髪のストレートヘアが美しい女性。彼女が連れている女の子は、アンだ。

アンは先ほどの自己紹介で、アニメの豚の女の子のマネに終始していた。

翼もトーマスになりきり機関車ごっこをし始めたから、私たちに親近感をもってくれているのかなと果奈は思う。

「アンちゃん、すごく面白かったです」と声をかけようとする。しかし果奈はためらった。

― もし翼がそう言われたら飛び上がって喜ぶだろうけど…アンちゃんはどうだろう?

翼以外の子どもとの接点がほとんどないこともあり、果奈にはわからない。

戸惑っていると、女性は翼に向かって話しかけた。

「翼くん、トーマスすっごく面白かったよ!」

たちまち笑顔になる翼を見て、果奈はほっとして「アンちゃんも面白かったよ!」と声をかける。

「私、アンをあのお教室に入れることにしたんです」

「私も、翼を通わせることにしました」

「そうですか!良かったら、これからお茶でもいかがですか?」

果奈たちは、タクシーで六本木に移動すると、『フィオレンティーナ』に入った。子どもたちは早速頼んだジュースをおとなしく飲んでいる。

「私、リー・彩香といいます。こちらは娘のアン。あ、夫はアジア系のアメリカ人なんですけど、今は日本に住んでいます」

彩香によると、外銀勤めの夫は日本駐在中で、今は六本木に住んでいるらしい。

お互いに自己紹介をしたあと、「フィオレンティーナ パンケーキ」を頼んで体験授業を振り返る。

「翼がいきなりトーマスごっこを始めるから、気まずくて仕方なかったわ」

「うちもです!まあ、アンは普段からブヒブヒ言ってマネしてますけど。でも、翼くんがいて良かった」

屈託なく笑う彩香は、外資系コンサルで社内通訳として働く32歳だという。

ワーママお受験仲間が早速見つかり、果奈は安堵した。


「私もアンちゃんたちがいてくれてうれしいわ。これからもよろしくね」

果奈には、ママ友がいない。保育園の送り迎えはスピードが命なので、幼稚園と違い、親同士の会話がほとんどないのだ。

他の親たちも含めて、会釈をする程度の間柄だ。

だから、彩香との出会いが心底うれしい。

「仕事しながら幼児教室通いってなると、土日しかないですよね。あーあ、これから私の休みはなくなっちゃうのか!」

天を仰いで大げさにため息をつく彩香に、果奈は親近感を覚えた。

「そうだよね!私、土曜日はパーソナルトレーニングと英会話に通っていたけど、それももう行けなくなっちゃう」

― でも、彩香さんとこうしてゆっくりおしゃべりする週末も悪くないかも。

果奈がそう考えていると、彩香がぐっと顔を近づけてくる。

「だけど私、アンのお受験は絶対に成功させたいの」

彩香は、オーストラリアの大学で翻訳・通訳の学位を取り、現地で就職したという。その後、当時同僚だったアメリカ人の夫と授かり婚をしたのだと、話し始めた。




彩香は、授かり婚について両親から散々嫌みを言われたらしい。

夫の駐在で日本に住み始めた今でも、会うたびに夫の悪口を言われる日々なのだと言う。

「だから私、両親を見返したくて。それに、アンが名門校に合格したら、ウィリアム…夫も転職して日本で永住を考えてくれるみたいなの」

― えっ、そんな理由で小学校受験?

彩香の真剣な顔を見ても、果奈には全くピンとこない。

「私の考え、ゆがんでるって思った?でも私にとっては、これがベストな選択なの」

彩香は説明を続ける。

「だって、親も驚くような学校…白百合とか、東洋英和とか、そんな学校にアンが入れたら、もう絶対に夫のことを悪くなんて言わないはず。それにウィリアムが転職してくれれば、みんなで日本で暮らせるしね」

彩香が笑った。

― そんな考え方もあるのね。

自分には思いもつかない考え方に、驚いた。しかし世の中にはいろいろな人がいるのだと果奈は納得する。

「果奈さんは?どうしてお受験しようと思ったの?」

彩香がここまで打ち明けてくれたのだから、と果奈は自分の話を始めた。

「きっかけは、私が通っていた啓祥学園に翼を入れたいと思ったことで…」




「えー!それじゃあ果奈さんって、兄弟全員、啓祥学園出身なんですか?今、あの学校って縁故合格はなくなったって聞きました。…でも実際は絶対あるんだろうな」

羨望と好奇心の入り交じった表情の彩香を見て、果奈は自身の「二世の苦悩」を思い出した。

「果奈ちゃんもお兄ちゃんたちと同じ学校に行くんだ?」「将来はお父様と同じお医者様になるんだ?」

幼少期、果奈が幼児教室通に通い始めると、大人たちは今の彩香と同じ表情をしてそう聞いてきた。

それは果奈が大きくなってからも続いた。

大学の内部進学も、広報という仕事も、果奈が自ら選んだ進路だ。なのに周りからは『お医者様にはならなかったのね』と好奇の目にさらされた。

2人の兄も、果奈と同じような好奇の目にさらされていた。

彼らは大学で外部受験をして医学部に行ったが、周囲から、父が医師だから何かが有利になったと思われていたのだ。

医師になるために、彼らは猛勉強していたのに。

― 何をしても縁故だって言われるのは、二世の宿命よね。きっと翼も、私と同じ小学校に受かったら「縁故だ」って言われるんだわ。

自分がしっかりと翼をケアしなくては、と果奈はひそかに決心した。




数ヶ月後、果奈たち家族は伊勢丹会館に来ていた。

写真室で、家族写真を撮るためだ。

幼児教室への提出用だが、翼はお教室ルック、果奈と光弘はオーダーメイドのスーツを着て気合を入れている。

母のお下がりのネイビースーツ。見た目のダサさとは裏腹なその着心地に果奈は感激してしまったので、先日母が招待枠を譲ってくれた丹青会で、夫婦そろって注文したのだ。

子どもの頃に母に連れられてよく行った丹青会。

「おばさんばっかりでつまらない」といつしかついていくのをやめてしまったが、数十年ぶりに行ってみると、若い子がたくさん来ているのに驚いた。

― 丹青会ってこんな若い子のためのイベントだったっけ?

丹青会も変われば、学校も変わる。

デパートもお受験も、生き残るためには時代に合った戦い方が必要なのだと、果奈はオーダースーツの生地を選びながら妙に納得したものだ。




写真室に向かうエレベーターの中。

果奈は、昔このビルのスクールユニフォームのフロアで、小学校の制服を注文したことを思い出した。

― 採寸の日、たしか同じ学校を受験した幼児教室の友達に、偶然会って…。

「どっちがお着替え速いか、競争ね!」と言い合って、それぞれ試着室に入った。

セーラー服に着替え終わって試着室のカーテンを開くと、友達はブレザー姿で立っていた。

「あれ、お洋服が違う!」

幼い果奈と友達は笑いあったが、あのとき母たちは、気まずそうに微笑みあっていた。

― あの子は啓祥学園に落ちて、違う学校へ行ったのよね。

小学生受験をするということは、わずか6歳にして『選ばれない』という体験をする可能性があるということ。

もし翼が傷ついたらと思うと、果奈は不安だ。

「でも、何があっても翼は翼よね!」

果奈がいきなりエレベーターの中で声を出したので、光弘と翼は驚いて笑った。



「あーあ、疲れたなあ」

写真撮影を終えた果奈は、伊勢丹本館のレストランで思わずため息をついた。

体がぐったり疲れている。しかし何とか納得できる一枚を撮れたので、心は満足していた。

「お教室に提出する書類はこれで…そうだ、併願校どうする?」




「青学とか、暁星とかのミッションスクールもあこがれちゃうわ。あと、武蔵野東小なんて良いと思わない?インクルーシブ教育ですって」

『初等部受験生ママ集まれ!』のLINEグループでピックアップした併願校情報をもとに、果奈はいくつか候補を考えていた。

持ってきたタブレットで果奈がWebサイトを開くと、光弘が眉をひそめた。

「この学校、中学までしかないじゃないか。大学までの一貫校じゃないと意味ないよ」

光弘にとっての小学校受験は、最終学歴の最低ラインを保証する保険のようなものなのだという。

「じゃあ、それさえ保証されれば、小中高の12年間はどうでも良いの?」

果奈は思わず声が上ずってしまう。

「そうは言っていないけど、せめて高校受験は回避させてあげたいじゃないか」

「でも、啓祥学園が中学受験対策をしていることは、絶賛していたじゃない!」

中学受験も視野に入れている果奈の母校は良くて、高校受験が必須になる武蔵野東小はダメな理由がわからない。

「それって矛盾していると思うわ」

果奈が詰め寄ると、光弘は果奈の手を握って答えた。

「この話は帰ってからにしないか?さあ、駐車場に行こう」

「私、ADEAMで洋服見てから帰るわ。先に帰ってて」

果奈は光弘の態度に納得がいかず、手を振り払って席を立った。

「僕はプラレールみて帰る!」

翼が果奈のマネをする。

家族がいきなりばらばらの方向を向いてしまったように感じて、果奈は悲しくなった。

▶前回:小学校受験のための幼児教室。「ご出身はどちら?」と聞かれたとき、答え方の正解は…

▶1話目はこちら:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩

▶Next:4月11日 火曜更新予定
併願校選びですれ違う夫婦。夫の考えるお受験とは…