ハーフナー・マイク引退「17年間のプロ生活」を語る(前編)

名GKハーフナー・ディドを父に持つサラブレットとして、若くから脚光を浴び、のちにアルベルト・ザッケローニ時代の日本代表としても活躍したハーフナー・マイクが、年明け早々の1月5日に現役引退を発表した。

 Jリーグの6クラブをはじめ、オランダ、スペイン、フィンランド、タイでプレーするなど、さまざまな経験をしてきた日本屈指の大型ストライカーは、自身のキャリアをどのように振り返るのか。引退発表直後に、その胸の内を語ってくれた。

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2023年1月に現役引退を発表したハーフナー・マイク

── 長い現役生活、お疲れ様でした。計17年のキャリアでしたが、引退を決断した経緯と、その理由を教えていただけますか?

「実は2年前にヴァンフォーレ甲府との契約が満了になった時、引退しようと思っていたんです。ただ、社会人リーグのチームから誘いがあったので、それなら体が動くうちにもう少しいろいろな経験を積んでから引退してもいいのかなと思って、現役を続けました」

── 甲府に戻った2020年は、思うような活躍ができなかった印象を受けましたが、ケガなどフィジカル的な部分で何か問題があったのですか?

「アキレス腱を痛めていたことも含め、思っていた以上に体が動かなくて、自分が理想とするプレーから程遠かったというのが実際のところですね。でも、どこかを痛めているのが当たり前の年齢でもあったので、そこは言い訳にしたくないです。

 ただ、若い選手たちにひとつ言っておきたいのは、若いうちから自己管理はしっかりしておいたほうがいい、ということです。

 若い頃は多少お酒を飲んでも体は動きますが、自己管理をしていないと年齢を重ねていくにつれて、たとえば肉離れのようなケガが増えてしまい、それが慢性化して100%の力でダッシュするのが怖くなってしまうんです。

 僕の場合も、ゴール前の駆け引きのところで、ディフェンスの一歩前にいなければいけないのにそのタイミングが遅れてしまうとか、以前なら合わせられたクロスに合わせられなくなるとか、自分が思い描くプレーができなくなってしまいました」

── 引退発表のコメントのなかで気になったのが、「後悔することもあるサッカー人生でしたが......」という部分でした。具体的には、どのあたりを後悔しているのですか?

「ひとつは先ほども少し触れた若い頃の自己管理で、もうひとつは移籍先の選択ですかね。今振り返っても、スペインに行くべきではなかったかな、と」

── そうなんですか? コルドバに移籍した時は期待して見ていたのですが。

「あまり後悔という言葉は使いたくはないんですけど、あれは失敗だったかなって。

 あの時、オランダのフィテッセで2年半プレーしてそれなりの結果を残せたので(2年連続ふたケタ得点)、次のステップを考えての移籍だったんですけど、実は同じタイミングでフェイエノールト(オランダ)からもオファーがあったんです。

 最終的にスペイン1部に昇格したコルドバを選択したわけですけど、もしあの時にフェイエノールトを選んでいたら、その後のキャリアも変わったかもしれませんし、もっと日本代表にも絡めたかもしれない。

 それも含めて、選手として自分の持っていたポテンシャルをフルに出しきれなかったと感じる部分はあります」

── 横浜F・マリノスでデビューした頃は、たしかに年代別代表でもズバ抜けた才能を発揮していて、周囲からもすごく期待されていました。

「ええ。ただ、トップデビューは早かったんですけど、スタメンの座は奪えなかった。だから、本当の意味で飛躍するきっかけをつかめたのは、鳥栖の時代ですね。

 それまでは『努力がすべて』みたいに頑張って、ずっと切羽詰まった感じでやっていましたが、その頃から自分に必要以上のプレッシャーをかけるのをやめたんです。そしたら、急に周りがよく見えるようになったというか、肩の荷が下りた感じでプレーできるようになったのが大きかったと思います。

 それと、それまで先輩の飲みの誘いもすべて断っていたんですが、それも断らないようにしました。やっぱり先輩の話を聞くことも大事なことですし、そういうことも変化のきっかけになったんじゃないかと思います」

── 単純にカテゴリーを下げてゴール量産のきっかけをつかんだのかと思って見ていましたが、その裏にはそんな内面的な変化もあったんですね。

「はい。それにゴールを取り始めると、自然と自信もついてきますしね。それで甲府に移籍したら昇格もしたうえに、J2得点王にもなれました。

 もう、あの頃は完全にノリノリの状態で、このままいけば日本代表になって、いずれは海外でプレーしているだろうって、自分の未来もしっかりイメージできるようになっていました。

 翌年にチームは降格してしまいましたが、自分はJ1でも17ゴールを量産して得点ランキング2位になって、年間ベストイレブンにも選ばれた。ベストイレブンに選ばれたということは、対戦相手の選手たちに評価してもらったことになりますし、それは大きな自信になりましたね。

 もうひとつ言えば、あの時はパウリーニョがPKキッカーを務めていましたが、もし僕がキッカーを任されていたらJ1得点王になれていたかもしれませんしね」

◆中編につづく>>『ハーフナー・マイクが練習を無断欠席』の真相。


【profile】
ハーフナー・マイク
1987年5月20日生まれ、広島県広島市出身。オランダ出身の父ディド・ハーフナーがマツダSC(現サンフレッチェ広島)在籍時に生まれる。コンサドーレ札幌と横浜F・マリノスのユースを経て2006年にトップチーム昇格。クラブ在籍歴は、横浜FM→アビスパ福岡→サガン鳥栖→ヴァンフォーレ甲府→フィテッセ→コルドバ→ヘルシンキ→ADOデン・ハーグ→ヴィッセル神戸→ベガルタ仙台→バンコク・ユナイテッド→甲府→FC.Bombonera。2022シーズンかぎりで現役を引退。日本代表18試合4得点。ポジション=FW。身長194cm、体重92kg。