女医の世界には「3分の1の法則」というものが存在する。

「生涯未婚」「結婚した後、離婚」「結婚生活を全うする」それぞれの割合が、ほぼ3分の1ずつとなるというものだ。

彼女たちを取り巻く一種異様な環境は、独特の生活スタイルを生み出し、オリジナリティーに富んだ生き方を肯定する。

それぞれの女医は、どんな1/3の結末をむかえるのか…。

◆これまでのあらすじ

繭香は、同じ医師である夫の義幸と、日ごろから言い争いが絶えない。そこには、医師特有のプライドの高さが影響していた。あるとき、義幸の不倫を疑い、友人の結衣に相談。弁護士の牧田を紹介してもらい、不倫の全容解明に乗り出すが…。

▶前回:シートがいつもより後ろに…? 彼の車の助手席で違和感を感じた女は、男に尋ねるも…




Vol.6 婦人科・繭香(34歳)の場合【後編】


「ここに写ってるの、義幸でしょう?間違いないよね」

繭香が調査会社から受け取った報告書を差し出すと、義幸はグッと口をつぐんだ。

報告書には、義幸が不倫相手と密会している際の行動が写真とともに記載されている。

「なんでこんな女と…」

相手はやはり、望月あゆみだった。腕を組んで寄り添いながら、ホテルへと入っていく様子が写っている。

繭香はもう1枚の書類を、調査報告書の隣に並べた。それを見て、義幸が取り乱す。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。離婚は飛躍し過ぎだろう。冷静になれよ」

「私は冷静だよ。もう決めたことだから」

繭香は未練などないとばかりに、冷たく言い放つ。

― 私だって本当は離婚なんてしたくないよ…。

医者同士、お互いにいつも張り合ってばかりだったが、それが向上心につながりプラスに働く部分もあった。周囲からお似合いの夫婦だと言われるたびに、気分を良くしていたところもある。

― でも、それは信頼関係があったからこそ成り立っていたの。崩れてしまえば、もう…。

調査会社から報告書を受け取ったとき、かろうじて2人を支えていた足もとの薄氷が、パリッと割れる音が聞こえた気がした。

「でも、ほら。お義父さんとお義母さんは、離婚なんて望まないだろう。絶対反対するって」

義幸がなんとか思い留まらせようと試みる。

だが繭香は、すがりつく義幸を冷ややかに見つめた。


― そう言うと思った…。

義幸が両親の話題を持ち出してくることは予想していた。

確かに、義幸の言う通りではある。

父親はクリニックの経営拡大を計画していて、彼はそれに欠かせない存在だ。母親も彼を気に入っているため、離婚するとなれば2人の落胆は大きい。

「大丈夫。お父さんとお母さんには、もう伝えてあるから」

事情が事情なだけに、なるべくショックを与えないよう配慮をして早めに伝えておいた。そこには自分の意思を固める意味もあった。

「2人は、納得してるのかよ…」

「うん。だから、ほら」

繭香が離婚届に記入するように促す。

― ほら、義幸。そんなにしがみつこうとしないで、いつものスマートでカッコいい姿を見せてよ。

繭香が目で訴えると、義幸はペンをとり、ひとつ息をついた。




「本当にいいんだな? 俺たち、これで終わるんだぞ」

― ここで私が、「やっぱりゴメン…」なんて言える女だったら、もっとうまくやっていけてたんだろうけど…。でも、私はそんなふうにはできない…。

繭香は、心に残るわずかな未練を感じながらも、微笑んで返した。

義幸はそれを見て、ペンを走らせる。

3年の結婚生活に、幕がおろされた。



離婚から3ヶ月後。

身辺の問題も片付き、生活も落ち着きを取り戻したころ、繭香はある男性に食事に誘われた。

「いやあ、美味しいな。こういうヘルシーな食事もいいものですね」

テーブルを挟んだ向かい側に座っているのは、弁護士の牧田だった。運ばれてきたほうれん草のバターソテーを口に含み、満足そうにうなずいている。

「でも、よく私がこういうお店が好きだってわかりましたね?」

虎ノ門にあるここ『The Blue Room(ブルー ルーム)』は、オーガニック食材を多く使っていて、健康意識の高い義幸とも、「そのうち行こうか」と話していた場所でもあった。




「スポーツジムに通っていると仰っていたし、健康にも気を使っているだろうなと思ったので。それに、お勤めのクリニックからも近いので、ここにしました」

繭香がジムに通っている話をしたのは、離婚について相談をしているときで、しかもひと言ふた言、伝えた程度だった。

― よくそんな細かいこと覚えてるな…。それに、こんなオシャレなお店を選ぶのも意外。誘い方もスマートだったし。

ずんぐりむっくりとした牧田の見た目と相反するような行動に、繭香はギャップを感じる。

牧田には、離婚の手続きを進めていた際、慰謝料や財産分与などについても相談していて、損失などがないよう滞りなく話をまとめてもらった。

仕事であるから当然ではあるものの、結衣の紹介ということもあり、食事に誘われたときは無下に断れず応じたところもあった。

― 最初は乗り気じゃなかったけど、今、なんかちょっと楽しいかも…。

同業者と関わることの多い繭香にとって、牧田との会話は新鮮だった。

弁護士として扱う一般民事について。婚姻を巡るトラブル以外にも、税金や相続などのお金の問題にまつわる話は、聞いているとワクワクする。

「それで、さっきの話の続きなんですけど。その社長はどうなったんですか?」

途中まで聞いていた話が気になり、繭香のほうから続きをせがむ。

「ああ、そうでしたそうでした…」

牧田は食べる手を止めて、話を進めようとする。

すると、牧田が視線を外し、繭香の斜め後ろに向けた。

「…繭香?」

背後から名前を呼ばれた。繭香が振り返ると、そこには義幸の姿があった。

半歩後ろには、背の高い女が立っている。望月あゆみだ。

― ああ、最悪…。1番会いたくない2人と鉢合わせちゃった…。

「へぇ。離婚したばかりだっていうのに、もうデートか」

義幸が嫌味たらしく言う。

「関係ないでしょう。そっちだって…」

繭香があゆみのほうに視線を向ける。あゆみは斜に構え、ツンとした表情で見つめ返した。


義幸が牧田に一瞥を投げ「フッ」と軽く鼻を鳴らし、再び繭香に視線を戻す。

「そういえば、クリニックは大丈夫なのか?相変わらず口コミサイトにひどいこと書かれてるんだろう?」




以前からサイトに書き込まれていたクリニックへの悪評が、今も定期的続き、さらに悪質なものも増えていた。離婚のことで慌ただしくしているうちに、見過ごせない状況になってきている。

「それは、おいおい対処しようと…」

繭香が口ごもったところで、牧田が立ち上がった。

「その件なら大丈夫です」

牧田はスーツの胸ポケットから名刺を取り出し、義幸に差し出す。

「私、弁護士の牧田といいます。口コミの件に関しては、すでに裁判所のほうに開示請求を出しているので、間もなく発信者が判明するかと思われます」

― ええっ!いつの間に!?

口コミに関して伝えた覚えはまるでなく、繭香にとっても驚きの事実だった。

「あ、ああ…そうなんだ。なら、いいんだけど…」

義幸は、相手の専門分野で太刀打ちできないと判断したのか、言葉を濁して奥の席へとあゆみを連れて進んでいった。

「牧田さん。そんなところにまで手を回してくれていたなんて知りませんでした」

繭香は礼を述べる。

すると、牧田が慌てて手を振った。

「あ、ああ…すみません。さっきのは、あの…嘘です。つい、勢いで言ってしまいました」

「えっ!あ、そうなんですか?」

「はい。ハッタリ…というやつでしょうか。なんとなく、お2人の会話から事情を察しました。それに、開示請求を出したとしても、実際に相手が判明するのは8〜9ヶ月ほど先になるかと…」

― そっか。私の旗色が悪いのを見かねて、言い返してくれたのね。

牧田の利かせた機転に、感謝の思いとともに胸に何か熱いものが込み上げるのを感じた。

「いやあ。でもまさか、元旦那さんと鉢合わせてしまうとは…。少し考えればわかることなのに。迂闊でした。やっぱり私じゃあ、カッコつけようとしても、決まらないですね」

牧田が自分の不甲斐なさを嘆くと、繭香が首を振る。

「そんなことないですよ。すごくカッコ良かったです」

繭香がそう言うと、牧田は満面の笑みを浮かべた。

「さあ、ほら。料理が冷めちゃいますよ、頂きましょ!」

再び席に着くよう促し、料理に手を伸ばす。

― なんでだろう。さっきまでと距離は変わらないのに、牧田さんがずっと近くにいるように感じる。




心の壁が取り払われ、遮るものがなくなったような感覚をおぼえる。

「そうそう。それで、例の社長はどうなったんですか?」

「ああ、はいはい。それからですね…」

話の結末も気になりはしたが、とにかくもっと牧田のことを知りたいと思った。



―8ヶ月後―

繭香が部屋でジムに行く支度をしているところで、スマホが鳴った。相手は、牧田を紹介してくれた結衣だ。

『おめでとう!聞いたよ。牧田さんと再婚するんだって?』

「うん。報告が遅くなってごめんね」

牧田と初めて食事をして1ヶ月ほど経ったころから交際を始め、トントン拍子で話が進んでいった。

「そうだ。彼に聞いたんだけど。最初に私を食事に誘うように言ったのは、結衣なんだって?」

『バレたか。でも、絶対に2人は相性がいいと思ったんだよね』

「おかしいと思ったよ。絶対自分から誘うようなタイプじゃないでしょう。それにそんな人だったら、ほかにもいろんな依頼者の女性に声をかけてるだろうし」

結衣に背中を押されて誘ってきたのなら納得がいく。

『それで、両親はどう?理解してくれてるの?』

結衣としても、気掛かりなのは繭香の両親のようだった。

「まあ、父親は最初いい顔してなかったけどね…」

父親もまたプライドが高く、士師業のなかで医師が1番だという考えがあるため、娘の結婚相手も医師に固執しているところがあった。

「でもね、身近に法律の専門家がいるっていうのは心強いみたい。経営を拡大していくための相談とかもしていて、もう私を通さずに連絡を取り合ってるみたいなの。

母親のほうもね、『悪い口コミがなくなったのは、彼のおかげだよ』って伝えたらすごく喜んでた」

牧田との最初の食事の席以来、なぜかサイトへの書き込みはおさまった。関連性は定かではないものの、彼の手柄だとしてある。

「結衣が言ってたことがわかったよ。彼とは、補い合ってる感じがする」

お互いに足りない部分を補い、得意な部分をシェアすることで、対抗意識も芽生えず、衝突を繰り返すこともない。牧田とはこれから先も、良好な関係を保っていけると確信している。

『じゃあ、うまくやっていけそうだね。それにしても、結婚まで早かったよね。繭香からプロポーズした形なんでしょ?なんか意外…』

「うん。昔だったらプロポーズされるのを待ってたかも。でも、今回は惚れて負けてもいいかな、と思って」

『愛情に関しても競い合うことがなくなったっていうわけね。ところで今日は牧田さんと一緒じゃないの?』

「今日はね、これから彼をジムに連れて行くの。出っ張ったお腹を引っ込めてあげるんだ」

確かに、いろんな面で補いあっている。

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