by Judith E. Bell

Microsoft Officeに搭載されて、ユーザーの一挙手一投足を見守ってきたサポートキャラクターが「Officeアシスタント」です。日本ではイルカの「カイル」がもっぱら有名ですが、英語圏ではクリップを模したキャラクター「クリッパー(Clippy)」がユーザーをサポートしていました。このクリッパーがどのように生まれ、どのように消えていったのかを、編集者のベンジャミン・キャシディ氏が解説しました。

The Twisted Life of Clippy | Seattle Met

https://www.seattlemet.com/news-and-city-life/2022/08/origin-story-of-clippy-the-microsoft-office-assistant

Microsoft Wordなどを使用している時に現れるクリッパーは、ユーザーが文字を書こうとすると「文字を書いているようですね」と呼びかけ、頻繁に余白を飛び回って「何かお探しですか?」「助けが必要ですか?」と提案を続けるキャラクターです。ベンジャミン氏いわく、その丁寧でありながら思い込みの激しい提案に、多くのユーザーは「気持ち悪い」「不愉快」「踏み込みすぎ」と感じていたとのこと。

「Office 97」でデビューを果たしたクリッパーは瞬く間にユーザーに嫌われだし、Microsoftはわずか4年で「悪名高い」Officeアシスタントをデフォルトでオフにするように格下げし、2007年にはついに製品から消し去ってしまいました。社内でも批判が多かったというクリッパーは、タイム誌が選ぶ「史上最悪の発明50選」にも加わるなど、不名誉な生涯を遂げました。

しかし、クリッパーを始めとするOfficeアシスタントの登場には、当時の簡素すぎるインターフェースや、PCという一般の人にとって「難しい」デバイスの改善をめぐるさまざまな背景があったといいます。



by John Strunk

1987年からMicrosoftに加わったカレン・フリース氏は、当時まったく普及していなかったPCを一般の人々にとっても使いやすくするための開発を行っていました。フリース氏らは、ソフトウェアのインストールなどのタスクをダイアログボックスの「次へ」「終了」「キャンセル」をクリックするだけで進めることが可能な「ウィザード」を作成して初心者向けのアプローチを行っていましたが、それでも大多数の人々にとって使いにくいものであることは変わらなかったそうです。

そこでフリース氏らのチームは「コミック調のフクロウに使い方をガイドさせる」という手法を考案しました。フリース氏らはスタンフォード大学のクリフォード・ナス氏とバイロン・リーブス氏の力を借り、フクロウ以外にもさまざまなキャラクターでテストを行って、自然かつ親しみやすいUIの構築に取り掛かります。

そうしてできあがったのが、実際の部屋を模したような見た目のGUI「Microsoft Bob」でした。Microsoft Bobは、ドアをクリックすればログイン情報を入力するウィザードが立ちあがり、ペンをクリックすればワードプロセッサーが起動するなどより視覚的に分かりやすいものに仕上がっていました。この世界を案内するキャラクターが犬の「ローバー」でした。



電子メールやワープロ、その他多くのソフトウェアの入り口としてこれ以上のものはないと期待されたMicrosoft Bobでしたが、人々にはあまり受け入れられませんでした。あまりにも基本的なアドバイスしか行わないキャラクターや、使うたびに煩わしく感じられるGUIは、人々がコンピューターに慣れるにつれて次第に忌避の対象として見られるようになっていきます。特にインターネットが普及し出すと人々はPCの使い方のコツをつかむようになり、誰かにわざわざ教えられることを望まなくなったそうで、フリース氏は「初心者がこんなに早く成長するとは思ってもいませんでした」と当時を振り返っています。そして、Microsoft Bobはわずか1年で開発に幕を下ろしました。

Microsoft Bobは失敗に終わったものの、「キャラクターにアドバイスさせる」というアイデアはその後も生き残ります。

当時Microsoftに雇われてキャラクターのデザインを行っていたケヴァン・アテベリー氏は、次世代ソフトウェアであるOffice 97のキャラクターをデザインする仕事を任されていました。アテベリー氏は約250体のキャラクターをデザインし、そのうちの何体かを選別。その後心理学者だったナス氏らとも協力し、最も魅力的で親しみやすいキャラクターが何なのかを突き詰めていったそうです。最終選考まで残った2対のキャラクターがウサギの「ホッパー」、そしてクリッパーでした。



by Bil Simser

コメディアンのような眉毛やディズニーキャラクターのような大きな目を持つクリッパーは特に人気があったそうで、無生物を擬人化するという自由な発想はアテベリー氏も気に入っていたとのこと。しかし、その大きすぎる目に「常に見られている」という意見もあったようです。また、リーブス氏は「ユーザーの邪魔をするのが一番の欠点だった」と開発当初から思っていたと話します。

そのような経緯もありつつ、Microsoftの若いプロジェクトマネージャーであったサム・ホブソン氏がMicrosoft Bobの失敗にもめげず「キャラクター」というプロジェクトを強く押し進めた結果、Office 97に無事クリッパーがアシスタントとして搭載されることになりました。

アシスタントはクリッパー以外にもロボットやネコなどの種類がいましたが、デフォルトの設定がクリッパーだったために多くの人々がクリッパーと対面することになりました。当初一部の批評家たちはアシスタントの有用性を認めていたそうですが、やはり基本的なアドバイスしか行わないアシスタントに対し次第にユーザーの不満が高まっていったそうです。そうしてクリッパーは登場から10年で消えていくことになり、今ではインターネットユーザーが昔懐かしむコンテンツの1つとしてある種伝説的な存在となりました。



批判の多かったクリッパーですが、ファンも一定数存在し、アテベリー氏のもとにファンアートやマンガなどが送られてくることもあったとのこと。当のアテベリー氏はMacユーザーでクリッパーにイライラさせられたことはなかったそうですが、ユーザーのいら立ちは肌で感じ取っていたようです。Microsoftから離れてしばらく履歴書にも「クリッパーのデザイナーだ」とは書かなかったアテベリー氏ですが、今では自らアピールするほどに愛着が湧いているといいます。

クリッパーを始めとするOfficeアシスタントには懐疑的な声が多いものの、SiriやAlexaといった音声アシスタントの先駆けであるという意見も見られます。多数のミームが作り出されたクリッパーについては、マサチューセッツ工科大学などの研究者グループは「ナス氏らが目指した『自然さ』が欠けていたことこそが、クリッパーが愛すべきキャラクターとなった理由である」と推測しているとのこと。編集者のキャシディ氏は「今日のようなユーザー密着型のアシスタントよりも、より無機質であったクリッパーの方がむしろ人間らしく見えたのかもしれません」と締めくくりました。