全国制覇を達成した仙台育英・須江航監督【写真:共同通信社】

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東北勢の悲願となる全国制覇、指揮官は中学時代の指導が土台

 2022年夏の甲子園で、東北勢の悲願となる全国制覇を達成した仙台育英。新たな歴史を築いたのは、39歳の指揮官・須江航監督だった。2006年から2017年までは仙台育英秀光中の監督を務め、2014年には全国中学校軟式野球大会で優勝。今回の優勝によって、全中と甲子園を両方制した史上初めての監督となった。

 2018年1月から、母校・仙台育英の指揮を執る須江監督。同年8月、夏の甲子園に出場するも、初戦で浦和学院に0-9の完敗を喫した。仙台に戻ってから、いつもお世話になっている中学校の先生方に一通のLINEを送った。御礼と感謝の気持ちを伝えたあと、こう締めくくっている。

「宮城中学軟式産の指導者として、他に類を見ない『面白い野球』で3年以内に日本一を必ず成し遂げます。これまでも今後も、皆さまの教え子の生徒さんに力をいただき、大切に育てたいと思います」

 2017年12月に発覚した部内の不祥事のあとに監督に就任したこともあり、組織の土台作りに時間を充てた。何のために野球部があるのか。活動理念として掲げたのが、『地域の皆さまと感動を分かち合う』だ。地域から応援されないような野球部では意味がない。地域の清掃活動、雪かきなどに率先して取り組むようになった。

「面白い野球」とは「奇抜、奇襲」といった意味合いではなく、プレーしている選手も見ている人もワクワクするような面白さだ。次にどんなプレーを選択するのか、どんな継投を見せるのか。仙台育英しか実践できない野球を作り上げたとき、おのずと日本一が近付いてくる。

「ほかの学校がやらないような面白い野球ができたときに、優勝があると思っています。今までと同じことをやっていても、歴史は変わらないと思います」

 就任時に掲げたスローガンは『日本一からの招待』。日本一は勝ち取るものだけでなく、招かれるものである。日本一にふさわしい取り組みが必要になる。前任の仙台育英秀光中時代から掲げるスローガンで、2014年夏には全国中学校軟式野球大会(以下、全中)で初優勝を遂げた。

「負けたのは技術がなかっただけ」…技術を伸ばすことに時間を使う

 この夏――、中学校の先生にLINEを送ってから4年後、言葉通りに日本一を成し遂げた。「3年以内」の目標は叶わなかったが、予期せぬコロナ禍を考えれば、「有言実行」と言っていいだろう。

 背番号1を着ける古川翼を筆頭に、最速140キロ台のピッチャーを5人擁し、他校がうらやむ投手起用で相手打線を封じた。

 攻撃は、エンドラン、セーフティスクイズ、ディレードスチールなど、積極的に足を絡めて守備陣をかく乱。ミスが出ることもあったが、「動くことで、相手にプレッシャーをかけることができる」と、仕掛け続けた。

 指導者としての土台は、2006から2017年まで監督を務めた秀光中時代に作られた。2014年に日本一を獲るまでは、全中に出てもなかなか勝てない時期が続いた。2011年に全中の準々決勝で敗れたときには、よどむことなく、敗因を語った。

「負けたのは技術がなかったからです。気持ちや体力、意識の面では、日本一を狙えるレベルにあったと思います。そこを『気持ちで負けた』と言うのは単なる逃げ。技術がなかったから負けた。野球選手である限り、技術を伸ばすことを考えていかなければ、上に進むことはできません」

 敗戦後のコメントで「気持ち」を語る指導者は多いが、そこに逃げることなく、野球との向き合い方を口にした。

 私はこの言葉を聞いたときに、「近いうちに須江先生が全中を獲る」と感じたことを覚えている。

「今まで自分がやってきた経験や考えはすべて捨てる。イチから勉強し直す」と決意し、2013年からは、トレーナーであり、ベースボールコンサルタントとして活動していた和田照茂氏のサポートを受けるようになった。ここから、「野球の競技性」を理解し、浸透させることに力を入れ始めた。「野球は陣地取りゲーム」「無死一塁からアウトひとつ引き換えに塁を進めても、得点は入らない」。ロースコアの試合が多い中学軟式野球は、走塁で優位に立てれば、得点の可能性が高まる。

「奪進塁」「助進塁」といった指標をもうけ、選手の得点貢献度を数値化した。コンマ数秒でも速く次の塁を狙うために、二塁盗塁の際、左足を伸ばすスライディングの習得を徹底。顔がセンター方向に向くために、キャッチャーからの送球が外野に逸れたときに、瞬時の判断がしやすいという理屈だ。

 年間の試合数は150を数えることも珍しくなく、遠征当日の朝に、東京の天気予報が悪いと分かれば、行き先を新潟に変更したこともあった。日本一から招かれるために、小さなことでも、「これが大事」と決めたことには妥協なくこだわる。

 このマインドは、高校の監督になってからさらに強くなり、「東北勢初の日本一」を成し遂げるための大きな土台となった。(大利実 / Minoru Ohtoshi)