増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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・テレビをつまらなくした犯人
「テレビがつまらなくなった」といわれて久しいですが、番組制作の現場は規制でがんじがらめ。そもそもおもしろい番組が無くなったのでは無く、「作れなくなった」のが実態だと思います。

いうまでもなく「視聴者の声」やBPOによる指導により、テレビ番組を作る全能の神が「おもしろい番組」ではなく、「批判を浴びない番組」を作るよう命じるからです。その神とは誰でしょう?

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テレビ番組はスポンサーがなければ成り立ちません。だからスポンサーは放送局にとって神のような存在ともいえる訳です。そのスポンサーがトラブルを嫌い、結果としてかつて抱腹絶倒だったお笑い番組がほとんど作れなくなってしまったのでした。

お笑い芸人が熱湯風呂や熱々オデンを食べさせられてあわてるシーンはイジメであるとか、暴力であるという批判の声が、たとえ一部であってもインターネットで簡単に届くようになりました。あたかも全視聴者がバカバカしいバラエティ番組を嫌っているかのように勘違いした「神様」とは、企業オーナーではなく広告担当のサラリーマンなのです。批判が自社に向いた時に責任など取りたくありません。

だからちょっとでも批判があるような番組は避け、人を傷つけないとか毒にも薬にもならないグルメレポートやら動物・子どもドキュメンタリー、クイズ番組しか作れないのが今なのだといえます。熱々オデンを食べる芸人さんたちはプロです。すべて計算の上、どうすれば笑いを起こせるかを考え抜いた上で行っている「芸」であって、それが感動すら呼んだことを上島竜兵さんがお亡くなりになって、しみじみ思い起こしました。

・鬼マナー研修がパワハラである理由
このようなプロの芸がやりづらくなる以前から、バラエティ番組でも罰ゲームで痛い思いをさせるためにプロレスラーやキックボクサーから攻撃させるという手法がありました。罰ゲームマシーンを作って、機械に代行させる手もあります。

またスパルタ指導で有名なラーメン屋経営者などを吠えさせるというものもありました。

鬼講師はその派生型であって、手法として珍しいものではないのですが、これだけハラスメントやコンプライアンスを気にしているにもかかわらず、今でもテレビ番組で取り扱うことに驚きでした。

これはプロが見せるオデン芸ではなく、社員やスタッフへの完全なパワハラだからです。

私は人事コンサルタントとして、全国の企業などでハラスメント研修、特に幹部・管理者のハラスメント研修を多数行っています。「ハラスメントは受け止める方がそう思えば成立する」と勘違いしている人が多数いるのですが、完全な間違いです。

パワハラの成立は受け止め方のようなあいまいなものではありません。厚生労働省が明確に規定しています。

パワハラ成立3要件
・職場の地位・優位性を利用
・業務の適正な範囲を超えた指示・命令
・相手に著しい精神的苦痛を与えたり、その職場環境を害する行為

社員は自完全自由意志によって自発的に研修に参加しているのではなく、「社命として」仕事の一環で研修を受けます。それを拒絶すれば服務違反、労働契約違反となるでしょう。そして暴言=言葉の暴力を伴う「研修」とやらは明確に人格否定や厳しい追及など「適正範囲を超えた指示」となっています。さらに泣き出す社員がいるほど「相手に精神的苦痛」を与えたという、完全にパワハラ3要件を満たしているのです。

・一番の責任は経営者
ハラスメントをした側は、必ず「昔は普通だった」「良かれと思って」「本人のため」と言い訳します。しかし現在のコンプライアンス上、ハラスメント行為者の意図に一つたりとも正当性は認められません。完全アウトです。

こうした地獄の特訓的手法は実は心理学的に証明された効果があります。洗脳手法です。

人格否定や寝かさない、食べさせないなど、極端に過酷な環境に監禁し、異常な心理状態に追い込み、自分や仲間を全否定させたりして自我を崩壊させることで、自分たちに都合の良い思想や考え方を吹き込むのが、昔からある洗脳手法です。

実際にテロ集団や犯罪に走った組織はこの手を使って、人間を戦闘マシーンや犯罪マシーンに改造しています。犯罪でもあるこうした異常な刷り込みによって「成果が出た」「怒ることは愛情」のような身勝手な評価で自己正当化をしている経営者こそ、喜んで社員にハラスメントを働いている責任者であると考えるべきでしょう。

就活学生はブラック企業を恐れます。一番見分ける方法は、その志望先企業がこのような「寝かさない・仲間の悪口を言わせる・怒鳴る・泣かせる研修」をやっているかどうかです。社員をマシーンとしてしか見ていない会社に入りたくなければ、ぜひ説明会のような公の場で質問してみてはいかがでしょうか。

洗脳の最後には報酬が待っています。「極限まで否定して人格を破壊した後、褒める」ことで、間違った快感信号を埋め込み、すべてを正当化できるのです。鬼研修の最後に笑ってうれし涙で迎えるハッピーエンドは、すべて計算し尽くされた改造手法なのでした。