そう言えばペリー提督って「黒船」の後どうなった?幕末の素朴な疑問を紹介

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泰平の 眠りを覚ます 上喜撰
たつた四盃で 夜も寝られず

これは幕末の嘉永6年(1853年)7月8日、日本の開国を求めて浦賀(現:神奈川県横須賀市)沖にやってきたペリー提督ら東インド艦隊の衝撃を詠んだ狂歌です。

黒船来航に守りを固める幕府当局。東洲勝月 「米船渡来 旧諸藩士固之図」より。

上喜撰(じょうきせん)とは上等なお茶で、四盃(しはい)も飲んだらカフェインが濃すぎて眠れなくなってしまう様子を、たった四杯(しはい。杯は船を数える単位)の蒸気船(黒船)が来ただけで、世が騒然としている(夜が眠れない)様子にかけています。

このままでは日本が滅ぶ!……いわゆる「黒船来航」が多くの志士たちを覚醒させ、日本を生まれ変わらせる明治維新の原動力となったことは論を俟(ま)ちませんが、そのキッカケとなったペリー本人はその後どうなったのでしょうか。

ペリーを知らない日本人は少ないけれど、彼が日本を去って以降のことは、意外と知られていません。

そこで今回は、近世日本を揺るがすインパクトを与えたペリー提督の「黒船」前後を紹介したいと思います。

幕府に白旗プレゼント…ヤる気満々で日本へ出航!

ペリー(マシュー・カルブレイス・ペリー。以下ペリーで統一)は1794年4月10日、アメリカ合衆国ロードアイランド州ニューポートで、海軍士官のクリストファー・レイモンド・ペリーの三男として誕生しました。

父と同じく海軍に入隊してキャリアを重ね、1852年11月に東インド艦隊司令長官(提督)に就任。フィルモア大統領から日本に開国を求める親書を託され、アメリカを出航します。

ミラード・フィルモア大統領。Wikipediaより。

この時、ペリーは日本に対して脅しをかけてやろうと「白旗」の贈呈を大統領に進言しました。

「我らが艦隊の威容を見せつけた上で『開国を拒むなら一戦を交えるので、貴国には降伏の印=白旗が必要になるだろう』という、素敵なメッセージを発信してはどうでしょうか?」

万事チカラにモノを言わせ、弱いと見れば徹底的になぶり倒す……ペリーってのは、こういうヤツ(※)です。が、常識人のフィルモア大統領は進言を却下。

(※)日本遠征任務に先立ち、グラハム海軍長官に「日本人は清国人と同じく、友好よりも恐怖に訴えた方が上手く支配できるだろう。それには、バカでも実力差を理解できるよう視覚に訴える最新鋭の蒸気船が有効だ」などと進言しています。

「バカモン!我らはあくまでも平和的な友好を望んでおる……いらん挑発をして、同胞に無用の犠牲を出すでない!」

「はーい、すんませんでしたー(棒)」

でも、いざ浦賀に着くと「どうせ本国にはバレないだろう」とばかり徳川幕府に白旗を差し出してしまうのだから、まったくいい度胸をしています(もちろん、幕府当局でも大騒ぎになりましたが、国際問題にしたくないため、不問に処されています)。

礼節と文化をもってペリーを敬服せしめた琉球国の尚泰王。Wikipediaより。

しかし、大西洋からインド洋経由(※)で琉球国(現:沖縄県)までやって来ると、礼節正しいもてなしと高度な文化(精巧な建築や街並みの美しさなど)に面食らってしまい、それまでの「忌まわしき野蛮人ども」という認識を若干改めたと言いますから、根っからの悪人でもなかったのかも知れません。

(※)アメリカから日本に渡ってきたというと、現代的な感覚では太平洋を横断してきたかのようなイメージを持ちますが、史上初めて太平洋の横断に成功したのは日本の咸臨丸(かんりんまる)と言います。

エピローグ

さて、交渉のすえ嘉永7年(1854年)3月3日に日米和親条約を調印、7月11日に琉米修好条約を締結、日本開国の大役を果たしたペリーは香港へ渡りました。

かねて体調を悪くしていたペリーはアメリカ本国に帰国申請を出し、許可が出ると東インド艦隊の指揮権を譲ってミシシッピ号を下船。イギリス船に乗せてもらってニューヨークへ帰還し、1855年1月22日、東インド艦隊司令長官の退任式が挙行されます。

余談ながら「たった四杯」と詠まれた蒸気船ですが、実は浦賀に来航した軍艦4隻のうち蒸気船はミシシッピとサスケハナの2隻のみで、残るプリマスとサラトガは帆船だったそうです。

ペリーの肖像と晩年の写真。Wikipediaより。

晩年は日本への遠征中に測定した気象情報をまとめたり、遠征の体験記を出版したりなど精力的に活動し、1858年3月4日、63歳の生涯に幕を下ろしました。

永い泰平の眠りから叩き起こされたことで、日本は激動の時代に突入していくのですが、そんなことなどお構いなしで永遠の眠りにつくペリー……何だか、彼らしいと言えばらしいですね。

※参考文献:
岩下哲典『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』洋泉社、2006年5月
岸俊光『ペリーの白旗 150年目の真実』毎日新聞社、2002年11月
西川武臣『ペリー来航 日本・琉球をゆるがした412日間』中公新書、2016年6月
渡辺惣樹『日本開国 アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由』草思社、2009年11月