1月8日、新型コロナウイルスの感染者が新たに2392人報告されたと東京都は発表。2度目の緊急事態宣言も発令され、街は再び重苦しいムードに包まれている。

身近にも発症している人はいるはずだが、実際にかかった人の話を聞く機会は少ない。会社はもちろん家族に伝えるのにも勇気が必要だと語る人は多い。

今回は、ウィルスに感染し、発症した島田百々子さん(仮名・40歳・フリーランスPR)に、お話を伺った。現在は都内の総合病院に入院しているが、体力も回復しており、電話の通話が認められている個室で、「コロナになったらどうなるか」を伺った。

【その1はこちら】

その人の本質がわかった

12月26日発症、30日に入院し、現在もまだ入院中だ。

「正月休みの期間中で、仕事に影響が出なかったのはよかったといえばよかった。でも私は発症の前日まで、かなりアクティブに仕事をしていたんです。それこそ、会食は一切しなかったけれど、仕事上、人に会う機会は多い。どうしても会わなくてはいけないクライアントもいました。彼らに“新型コロナを発症しました”というのは、ものすごく勇気がいるし、話さない選択肢を取ろうと思いました。友人4人に相談したのですが、全員が“みんななっているし、私も黙っているよ。新型コロナが原因で仕事を切られたら困るし”と言っていました。

でも、私が原因で、新型コロナが広まったら困ると思い、まずはメインの発注主に報告したんです。すると“なんでなったのよ。ホントに運が悪いわね”と吐き捨てるように言われました。次に、クリスマスに屋外テラスでお茶をした大学時代の友人に連絡しました。すると“大変だったね。でも私に会ったことは黙っていて。あと、私が新型コロナにかかったら、百々子からうつされたってことでいいんだよね”と、かなりきつい口調で言われて、超ヘコみました」

百々子さんは独身で一人暮らし、かつフリーランスだから、それがとてもよかったと言う。

「なってみて思ったのは、“新型コロナは連帯責任”ということ。結婚していれば、パートナーや子供が濃厚接触者になり、外出禁止になるなど、私がかかってしまったことによる影響がもろに出る。家族が受験生や大きな仕事を控えているなら、絶対に禍根を残す。それにフリーランスなのもよかった。会社員なら、同僚は出社停止になり、多大な迷惑をかける。とにかく私は他人様に迷惑をかけたくない。きっといたたまれない気持ちになっていたと思う」

百々子さんは、「新型コロナになって入院している」と10人以上の関係者に伝えた。

「人間の本質がわかるというか……自分が濃厚接触者になるかを気にする人、“なんでなったの?”と質問する人などなど。ある後輩は“大変でしたね”と言い、私の病院あてに、私の好物のクッキーを送ってくれました。あれは嬉しかったな」

驚く人、責める人、理由を聞く人、寄り添う人、「ふーん」という反応をする人、「できることがあったら言って」と言う人、「頑張って治して!」と励ます人……

「おすすめ動画リストを送ってくれる人とかね。私が新型コロナにかかったことを聞きつけて、私好みのギャグマンガを教えてくれた人がいました。あれはありがたかったですね。自分では選べなかった『プリンセスお母さん』とか、笑いました。『ちびまる子ちゃん』とかね。マンガが読めるくらい体力が回復したのは、入院から1週間くらい経ってからかな。レムデシビルの投薬が効いて、酸素マスク→酸素チューブになったあたりからです」

なぜ、コロナになったのか……心当たりとは?

白血球が減り、個室になった

入院後、病状は好転せず、投薬治療がされた。

「最初は解熱剤のみだったのですが、悪化する一方で、“もしかしたら専門病院に転院するかも”と言われました。31日は固形物が食べられなくなり、点滴と流動食に。その頃に、“レムデシビルの投薬を始めたいと思う”と言われ、強い副作用についても説明がありましたが、命に係わるよりはと、受けることにしましたのです。この薬を使うのは、現在入院中の病院では、数人目だとも言われました。お医者さんも看護師さんも親切で丁寧。ホントに頼りになって、いるだけで心強くて、元気になったら医療のために何か貢献したいと強く思いました」

強いステロイド剤とウイルス剤の併用治療が始まった2日目に、白血球が減少し、個室になった。

「個室にいた人の容体が急変して、ICUに移動になったそうです。この病気は、悪くなる人は、ホントにいきなり悪くなる。“私もヤバいかも”と思っていたら、友人から病室にお守りが届いたんです。私の名前が入った、超有名な神社のもので、友人は関係者を通じて、祈祷の申し込みをしてくれたんだそうです。“今私ができることは神頼み。また一緒に仕事しようね”とあり、大泣きしました」

誰かが自分のために、強く祈ってくれている……そう思うことは力になり、百々子さんはこの日を境に、徐々に回復を始める。

「12月26日発症、30日に入院、31日に投薬開始、1月2日に白血球減少、4日まではボーッと過ごし、熱も下がってきた。5日から流動食からおかゆになったところで気付いたのは、味覚と嗅覚が全くなくなっていること。これはかなりショックでした。いつなくなったかは、全く覚えていないのです」

ワインが好きで、自宅に大き目なワインセラーを設置している百々子さんにとっては、ショッキングな身体の変化だ。

「それどころじゃないくらい、体がきつかった。今も味覚と嗅覚はありません。でも食欲はあるから、記憶でゴハンを食べている感じ。それにあれだけ気を配っていたスキンケアも意識が至らないし、今もする気が起こらない。人間ってホントに“生きるために、生きている”んだなって」

いつ感染したか、心当たりはあるのだという。

「あれは12月22日のこと、都心の地下鉄の駅で電車を待っていた時に、シニア世代の男性が、私の近くで咳をずっとしていた。すぐに移動したら感じ悪いかな……ってそのまま5分程度立っていたんです。その後、クライアントがあるオフィスビルのトイレで、鼻に違和感があって、洗う前の手で鼻をほじってしまった。これは自殺行為だったと思う。たぶん、この2つが重なって、私はかかってしまったんじゃないかなと」

気を付けていても、ちょっとしたことで、新型コロナウイルスはするっと入り込んでくる。

「家にずっと籠って生活することは、私の場合は不可能。それでも気を付けることはできるし、発症してから知っておいた方がいいことはたくさんありました。いちばん、大きな学びは、この国の医療従事者の皆さんのすばらしさと、笑いというものがとても大切だということ。誰にでも起こりうるコロナ感染……ホントに恐ろしいからこそ、絶対に勝ちたいと思います」

百々子さんは、このまま安定状態が続けば、あと5日ほどで退院し、ホテルに移動。経過観察に入るという。

気が付けば、味も匂いも全くしないという。嗅覚と味覚の戻りは遅い傾向が強いようだ。百々子さんが看護師さんに聞いたところ、2か月以上かかっても戻らない人も多いという。

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