“思い出”はときに、“ガラクタ”に変わる。

ガラクタに満ちた部屋で、足を取られ、何度も何度もつまずいて、サヨナラを決意する。

捨てて、捨てて、まだ捨てて、ようやく手に入る幸せがある。

合言葉は、ひとつだけ。

「それ、あなたの明日に必要ですか?」



徳重雅矢は、お片づけのプロ。カリスマ整理収納アドバイザーだ。

“お片づけコンシェルジュ”を名乗る雅矢は、新人アシスタントの樋口美桜とともに、まるで魔法のように依頼人の部屋を片づけ、過去との決別を促し、新たな未来へ導いていく。

今回の依頼人は…倉持愛美(23)、監査法人OL。

雅矢と美桜の間に亀裂を走らせる彼女の、正体とは。

▶前回:結婚願望ナシの男に「家庭を持ってもいいかも」と思わせた、未亡人の重すぎる言葉




「この依頼人は…私には無理です。ごめんなさい」

美桜は、怒りと恐怖に震えながら、雅矢にそう告げた。

―どうして?どうして愛美ちゃんが…。

次の依頼人の名前を見たとき、美桜は血の気が引いた。

同姓同名の別人だと信じようと、何度もメールフォームからプロフィールを確認したが、年齢や住所は一致している。極め付けは携帯番号まで同じだということに気づき、確信せざるを得なかった。

忘れることのできない、「倉持愛美」という名前。

彼女は、美桜の監査法人時代の後輩であり…。

「この依頼人は、私の元婚約者を奪った人です」

声が震え、うまく息ができない。言葉にすると当時の記憶が蘇り、動悸がした。

雅矢は無言で美桜のことを見つめると、意外なことを言い放った。

「私情は持ち込まないでください。これは仕事であり、彼女は僕のクライアントですから。あなたの事情は関係ありません」

淡々とした雅矢の口調に、いつも以上の冷酷さを感じる。

―雅矢さんの言う通りだけど…。でも…。

美桜は、懇願するような気持ちで、思いを伝えた。


雅矢の言葉が無情に響き…?


「この仕事は…」

美桜が言葉を絞り出そうとした瞬間…

「それ以上は言わない方が良いのでは?」

雅矢が強い口調で遮った。

「え?」

驚いて口をつぐんだ美桜に向かって雅矢は言った。

「僕には、クライアントによって仕事を選ぶようなアシスタントはいりません。もし降りるというなら、二度とここには現れないでください。それでもよければ、続きをどうぞ」

冷淡に、雅矢の声が響く。愛美の名前を見たショックに加え、破門を示唆する雅矢の厳しい言葉。美桜の頭は真っ白になり、声を絞り出すだけで必死だった。

「……すみません。なんでもありません」

美桜の消え入るような声を聞き終わる前に、雅矢はその場を去った。

美桜はしばらくその場に立ち尽くし、ただ懸命に息を整える。

雅矢が言うことはもっともだ。彼はクライアントを選ばないし、自分はただのアシスタントに過ぎない。「嫌なら辞めろ」という権利は、当然のことかもしれなかった。

とはいえ、美桜にとっては相手が相手なのだ。愛美のために何ヶ月間も家に通い、カウンセリングのように話を聞き、一緒に片付けができるとは…到底思えない。

ましてや、まだ美桜の元婚約者と付き合っている可能性だって高いのだ。

―それでも、この依頼を拒否したら…。私、クビってことだよね…。

美桜にとって、それは一番避けたいシナリオだ。考えるだけで、寒気がする。

―私の婚約者を取った女なんかに、怯える必要は無い。

美桜はむりやり気持ちを奮い立たせると、「この仕事と雅矢まで奪われてたまるか」と、そう自分に言い聞かせた。




いざ、愛美の家に行く当日。美桜はもう覚悟を決めていたが、展開は意外な方向に進んだ。

二人とも、愛美が“美桜が雅矢のアシスタントだとわかった上で、何かの意図を持ってお片づけの依頼をした”のだと思っていた。

しかし実際は…。

美桜の顔を見るなり、絶句し顔を真っ青にさせたのは愛美の方だったのだ。

「どうして、美桜さんが…」

「…え?」

「あ…あの…美桜さん…」

「え?愛美ちゃん、まさか知らずに…?」

美桜がそう言いかけた瞬間、愛美は玄関にがっくりと膝をつくように崩れ落ちた。

雅矢と美桜が呆然としていると、愛美は泣き叫ばんばかりにこう言った。

「美桜さん、康介さんのことは、本当にすみませんでした。お返しします!!」

康介、という聞きたくもない裏切り者の名前と、「お返しします」という衝撃的な言葉に、美桜はただ言葉を失う。

沈黙の中、床に突っ伏した愛美のすすり泣きだけが響く。

予想外の壮絶な空気を破ったのは、雅矢の冷静な声だった。


愛美に掛けられた意外な言葉とは?


「愛美さん。アシスタント不在で仕事を進めるのは難しいです。…キャンセルも承りますよ」

うつろに顔を上げる愛美に対し、雅矢は続ける。

「お片づけ開始前のキャンセルは問題ありません。しかし…”使用済み”の商品の”返品”はいかがなものかと。ましてはご自分が横取りしたと伺っていますが」

雅矢の言葉に思わず美桜は苦笑いし、愛美も我に返ったように涙を拭った。

愛美は立ち上がり、息を整えてから言う。

「全てをリセットしようと思って、お片づけの依頼をしました。キャンセルはしません。…”返品”できないことも、わかっています。美桜さん、許してもらおうなんて言いません。少し、お話聞いていただけますか?」

部屋に通された二人は、愛美の話を聞くこととなった。

結局、美桜から奪い取った康介に、愛美は捨てられたのだという。さらには“略奪女”のレッテルに耐えきれず、会社もやめたのだった。

そして今抱える問題は、消費者金融からの借金だ。

仕事を辞め、金銭的に苦しくなった時。ブランド品を売ったところ、人気の限定品だったので購入時より高く売れたことが始まりだった。

味をしめた愛美は“転売”に身を投じた。限定品を買っては転売に出す、いわゆる“競取り”行為に没頭したものの、当然そううまくは行かず、やがて借金を抱え…。

「自業自得ですよね。これが略奪女の末路です」

生気のない目で、愛美はそう言った。散らかり放題の部屋で、所在無さげにブランド品が積み重なっている光景は、異様だった。

「私、何もかも手に入れたらその時点で満足してしまうんです」

自虐的な言葉で、愛美は乾いたように笑う。

その笑い声を聴きながら、美桜は心底うんざりし、深いため息をついた。




目の前にいる愛美も、女に好き放題手を出しては逃げる元婚約者も、なんて卑劣で浅はかなのだろう。

浮気による婚約破棄をされ、自暴自棄になったのは事実だ。しかし、そんな風に気に病む価値もない人たちだったのだと、美桜はしみじみと実感するのだった。

―こんな人たちと同じステージにいただなんて…。

思わず、隣にいる雅矢の横顔を見る。不本意な経験のおかげで、この出会いがあった。

―康介と愛美ちゃんには、感謝しよう…。雅矢さんとこの仕事に出会えたし。

そして美桜は、雅矢にきっぱりと言った。

「雅矢さん、私が愛美さんの家のお片づけを担当します」

こんな愚かな依頼人を相手に、雅矢の手を煩わす必要はない。

そう心の底から思っての言葉だったが、しかし、雅矢の答えは意外なものだった。


雅矢の意外な決断に一同絶句し…


「いえ…。すみません、愛美さん。すでに消費者金融に借金があると伺いましたが、支払い能力が無い方の依頼を受けることはできません」

「それは、また借金して…。また注文しているブランド品を売れば現金もできるはずです!」

雅矢の取りつく島もない言葉に、すがりつくように愛美が懇願する。

「それを支払い能力があると言えますか?どうしてもと言うなら、まずは債務の片付けから。レッスンはそこからスタートです。それに関しては専門家ではありませんので、弁護士を紹介します」

雅矢は畳み掛けるようにそう言うと、すぐさま弁護士に連絡し、話を取り付けた。

「あとは、弁護士からの連絡を待ちます。行きましょう。美桜さん」

美桜は促されるままに、玄関へ向かう。

「待ってください!」

背後から、愛美の悲痛な叫び声が絡みつく。

しかし、その不愉快な声を無視して、雅矢は足早にその場を去るのだった。




帰り道の雅矢は、無言だった。繰り返されるため息や、ブレーキのタイミングから、苛立っていることだけは存分に感じ取れる。

美桜はひりつく空気の中、勇気を出して雅矢に声をかけた。

「あの、雅矢さん。これで良いんでしょうか?」

「何がですか?」

「なんだか、いつもと様子が違う気がして。たしかに支払い能力には問題がありますが…」

「僕のクライアントです。僕の決断で進めます。弁護士も紹介しましたし、無下に扱ったわけではないでしょう」

雅矢の口調にはあきらかに棘があり、なぜそんな態度を取られなければいけないのか、美桜としてもさすがに不快に感じる。

「それはその通りですが、いつもならもっと、依頼人の心に寄り添った対応をするじゃないですか。無茶な依頼だと思っても、ひとまず話だけは全部聞くのが信条だって…」

「話は聞きました。その上での決断です」

「でも彼女、まだ話し足りなそうでした。それに、彼女の抱えている問題は借金だけじゃないですよね。手に入れたら捨てたくなる癖とか、あさはかな転売行為とか、『お片付けで解決できることもある』って、いつもなら言うはずなのに」

雅矢にここまで言い返したのは、初めてのことだった。

口答えなどしても、意味のない相手であることは分かっている。それでもなぜか、今の美桜は、さまざまな感情が溢れ出して止まらなかった。

だがそんな美桜に対し、雅矢の口調も次第に熱を帯びてくる。

「僕のやりかたに不満があるなら、アシスタントをやめてください」

「…私、そこまで言われるようなこと、しましたか?雅矢さんの気持ちが、わかりません。生意気な口を聞いたことは謝ります。すみませんでした」

雅矢はなにも答えず、車内には無言の時間が続く。

―今日の雅矢さん、なんだか変だよ。

気持ちが沈んでいるのは美桜だって同じだ。因縁の相手と再会し、聞くに耐えない話を聞かされた。

だからって、雅矢にはなんの縁もない相手なのだ。どうしてこんなに様子がおかしいのか、美桜にはさっぱりわからなかった。

しばらくの間、無言の時が二人の間を流れる。

重苦しい沈黙を破ったのは、雅矢の意外な言葉だった。

「美桜さんは、どうして愛美さんをかばうんですか?」

「…え?」

思いがけない言葉に美桜がきょとんとしていると、雅矢は失言を後悔するように片手で口を覆った。

「いや…俺、何言ってるんだろう」

呟きは、独り言のようだ。よほど感情が乱れているのか、美桜の前で“俺”と言ったのははじめてだった。

一層苛つきを昂らせた様子で、雅矢は言葉を続ける。

「自分でもめちゃくちゃなことを言っていると思います。嫌がる美桜さんを無理やり愛美さんの家に連れて行ったのも、その癖に自分が彼女を突き放したのも…一体自分でも何がしたかったのか、わからないんです」

二人を乗せた車は、いつのまにか事務所の駐車場についていた。

ゆっくりとブレーキを踏んだ雅矢は、美桜の顔をじっと見つめる。

「美桜さん…」

サイドブレーキを力強く引くと、雅也は美桜の方に向き直る。

美桜も雅矢の目を見据え、次の言葉を待った。

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雅矢の揺れ動く感情がついに言葉に…



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