【前園真聖コラム】第291回「森保一監督は代表チームの兼任を続けられる」
東京五輪が1年程度延期されたことで、日本サッカー界に新たな懸案事項がいくつか出来ました。その中の1つに、森保一監督が五輪代表とA代表の監督を兼任して大丈夫かというものがあります。
まだハッキリしていませんが、もしかすると2022年カタールワールドカップ最終予選が五輪よりも先に始まるかもしれません。その場合、最終予選と五輪のどちらかに監督を専念させなくていいのかという議論です。
僕は3つの考慮すべき点があると思います。
まず、森保監督のサポート体制をもっと強化すべきだろうということです。森保監督に与えられる時間が短くなった以上、兼任するかどうかに拘わらず、まずサポートする人数を増やしたほうがいいでしょう。
次に、これでスケジュールがすごく大変になってきました。そういう管理をする人が必要だろうと思います。
最後に、これでどれくらい森保監督の負荷が増えるだろうかという点を考えなければいけません。実は、1年延期されたからと言って、五輪代表の強化に当てられる時間はそう増えないかもしれません。強化試合が数試合、合宿が出来ても50日ぐらいという可能性もあります。
それならば、森保監督兼任という体制はそのままでギリギリやっていけるのではないでしょうか。もし兼任を解くにしても、これまでと大きく指導体制を変えることはないでしょう。またこれまでも監督は五輪代表に大きく時間を割くことは出来ませんでした。だったら両チームを把握できる今のやり方を変える必要はなくなってきます。
もっとも、まだ五輪もワールドカップ予選もスケジュールが決まっていないので、ある程度ハッキリしてから考えたほうがいいと思います。慌てて判断する必要はありません。
それから、五輪出場の年齢制限がどうなるかというのも気になるところです。現在のU-23日本代表には、東京五輪を目標にやってきたという選手がいると思います。その思いがこの延期で潰されてしまうことになったとしたらとても辛いでしょう。個人的にはそういう選手の思いは汲んであげてほしいと思います。
ただ、選手というのは決まったことに従わなければなりません。そして今は、僕たちのころのように五輪で活躍して世界を目指す、という時代ではありません。五輪の前から世界に飛び出すチャンスは転がっているのです。
年齢制限がどうなるにしろ、そして五輪に出場できなかったとしても、そこで終わりではありません。選手は五輪の延期に悲観することなく、目標をもっと先に持ってがんばっていってほしいと思います。
まだハッキリしていませんが、もしかすると2022年カタールワールドカップ最終予選が五輪よりも先に始まるかもしれません。その場合、最終予選と五輪のどちらかに監督を専念させなくていいのかという議論です。
まず、森保監督のサポート体制をもっと強化すべきだろうということです。森保監督に与えられる時間が短くなった以上、兼任するかどうかに拘わらず、まずサポートする人数を増やしたほうがいいでしょう。
次に、これでスケジュールがすごく大変になってきました。そういう管理をする人が必要だろうと思います。
最後に、これでどれくらい森保監督の負荷が増えるだろうかという点を考えなければいけません。実は、1年延期されたからと言って、五輪代表の強化に当てられる時間はそう増えないかもしれません。強化試合が数試合、合宿が出来ても50日ぐらいという可能性もあります。
それならば、森保監督兼任という体制はそのままでギリギリやっていけるのではないでしょうか。もし兼任を解くにしても、これまでと大きく指導体制を変えることはないでしょう。またこれまでも監督は五輪代表に大きく時間を割くことは出来ませんでした。だったら両チームを把握できる今のやり方を変える必要はなくなってきます。
もっとも、まだ五輪もワールドカップ予選もスケジュールが決まっていないので、ある程度ハッキリしてから考えたほうがいいと思います。慌てて判断する必要はありません。
それから、五輪出場の年齢制限がどうなるかというのも気になるところです。現在のU-23日本代表には、東京五輪を目標にやってきたという選手がいると思います。その思いがこの延期で潰されてしまうことになったとしたらとても辛いでしょう。個人的にはそういう選手の思いは汲んであげてほしいと思います。
ただ、選手というのは決まったことに従わなければなりません。そして今は、僕たちのころのように五輪で活躍して世界を目指す、という時代ではありません。五輪の前から世界に飛び出すチャンスは転がっているのです。
年齢制限がどうなるにしろ、そして五輪に出場できなかったとしても、そこで終わりではありません。選手は五輪の延期に悲観することなく、目標をもっと先に持ってがんばっていってほしいと思います。
1973年生まれ。横浜フリューゲルス、ヴェルディの他、ブラジルなどでプレー。アトランタ五輪では、主将として28年ぶりに五輪出場を決めた。2005年引退後は解説の他、少年サッカー普及に従事。2009年、ビーチサッカー日本代表としてW杯に出場。ベスト8に貢献した。