「空前の売り手市場」だからといって安易に転職してはいけない理由とは?(写真: (c) IDC/a.collectionRF/amanaimages)

「空前の売り手市場」に背中を押されて、転職を考えている人もいるかもしれない。だが、ちょっと待ってほしい。売り手市場の恩恵にあずかれるのはごく一部の人だけだ。

現在の売り手市場を鵜呑みにしてはいけない理由を、『転職の「やってはいけない」』の著者であり、これまで3000人以上の転職・再就職をサポートしてきた郡山史郎が解説する。

今、転職市場は「売り手市場」、つまり職を求める人に有利な状況といわれている。テレビやインターネット上には求人サイトや転職エージェントの宣伝がたびたびあらわれ、電車に乗れば中途採用を考えている会社の合同企業説明会・転職フェアの車内広告をしばしば目にする。転職市場、つまり、求人サイトや転職フェアを運営する企業や転職エージェントなど、転職をとりまくマーケットは活況を呈している。

実際、転職フェアに足を運んだ人のなかには、有名企業をはじめ、さまざまな企業のブースがズラリと並ぶ光景に、企業の採用熱を肌で感じた人もいるかもしれない。こうした様子を目の当たりにして、「今、転職すれば、もっと条件のいいところで働けるのではないか」と考える人は多いようだ。

では実際の求人はどうかというと、厚生労働省が発表している「一般職業紹介状況」の「有効求人倍率」は2019年8月の数値で1.59倍。有効求人倍率とは、ハローワークで1人の求職者に対してどれだけ求人があったかを示す数値で、1を上回れば売り手市場、下回れば買い手市場とされている。

2017年4月に、バブル期のピークであった1990年7月の1.46倍を上回ってから現在まで、有効求人倍率は高水準をキープ。新聞やニュースでは「空前の売り手市場」「バブル期以降最高の売り手市場」などと報道されている。

「空前の売り手市場」に抱く違和感

しかし、人材紹介会社を経営し、実際に転職の現場に立っている私自身は、「空前の売り手市場」「企業の採用熱」といったことはまったく感じていない。

確かに一部の20代、30代にとっては売り手市場である。有効求人倍率が示すように求人自体も少なくない。私の会社にもいろいろな会社から「こういう人が欲しい」という注文がたくさん来る。

ところが、TOEICの点数800点以上が最低条件など、求められるスキルが非常に高いのだ。そのため、その企業に合いそうな人を紹介できなかったり、紹介できたとしてもなかなか採用に結びつかなかったりすることも多い。

企業側もそんな優秀な人間は転職市場に出てこないことを承知で、人材紹介会社に「一応求人だけ出しておく」のである。求人しておいて採用者が決まらないまま半年も1年も経過するというのも珍しくない。

つまり、そのポジションに人がいなくても、その会社はまわっているということだ。大学入試とは違い、募集したからといって必ずしも一定枠を採用する必要もない。若くて優秀な人ならばぜひとも採用したいが、バブルの頃のように誰でもいいから人手が欲しいわけではないのである。

そのうえ今、日本経済は成長しておらず、ほとんどの企業が守りに入っている。採用には1人当たり約50万円のコストがかかるといわれており、できるだけ採用コストを圧縮したいというのが企業の本音だ。つまり、今は「求人票はあるけれど、実際の求人はない」という不思議な現象が起きているのだ。

だから、企業の採用熱が特別高いわけではない。私に言わせれば、今は単に「転職市場」が活気を帯びているだけ。転職市場が活況なのは、1つには求人サイトや転職フェアをやると儲もうかる企業があるからだ。それもそういう企業が一生懸命に旗を振っていて、実態以上に盛り上げている感がある。

「売り手市場」は20代、30代のもの

優秀で伸びしろのある一部の20代、30代の転職希望者にとっては、確かに「売り手市場」といえる。しかし、それ以外の普通の人は、今のこの状況を決して「売り手市場」と勘違いしてはいけないのだ。

売り手市場といわれる際、その理由として挙げられるのが「少子高齢化による人手不足」「2020年の東京オリンピック・パラリンピックによる人材需要アップ」だ。

確かにこの2つの要因が有効求人倍率を押し上げている面はあるだろうが、だからといってこれらが転職市場に影響を与えているとか、以前よりも転職しやすくなっているということはない。その理由は、少子化やオリンピック需要で人手不足になっているのは労働集約型の職種が中心で、これらは求職者から避けられる傾向にあるからだ。

例えば、オリンピック需要として真っ先に思い浮かぶ職種としては建設業、そして海外からのお客様が増える、いわゆるインバウンド需要によるホテルやレストランなどのサービス業が挙げられる。

厚生労働省が発表した2019年6月の「一般職業紹介状況」によると、「飲食物調理の職業」「接客・給仕の職業」などを含む「サービスの職業」の有効求人倍率(パートを除く。以下同)は2.99倍。「建設・採掘の職業」は5.43倍、そのうち「建設躯体工事の職業」に至っては11.59倍である。つまり、1人の求職者に対して11以上の求人があるのだ。確かにこれらの職業に就きたい人にとっては、「超売り手市場」といえる。

対して、知識集約型である「一般事務の職業」「会計事務の職業」などを含む「事務的職業」では、有効求人倍率は0.43倍。こちらは完全に「買い手市場」、つまりは採用する側に有利な状況だ。

では、東京オリンピックが決定する前の2013年8月の数字を見てみよう。「サービスの職業」の有効求人倍率は1.26倍、「建設・採掘の職業」は2.34倍。「事務的職業」は0.22 倍となっている。つまり、オリンピック開催決定前でもあとでも、もともと売り手市場の職種は売り手市場で、買い手市場の職種は買い手市場なのだ。

あわせて企業の規模別の求人状況も見てみよう。2019年6月の「一般職業紹介状況」の「規模別一般新規求人」(新卒・パートを除く)によると、ハローワークに最も多くの求人を出しているのは従業員数29人以下の企業で、求人数は35万9991件。対して、従業員数1000人以上の企業からの求人数は6251件、約60分の1だ。

有効求人倍率の高水準を支えているのは中小企業で、大企業に入りたいと思えば、そこは狭き門であることには変わりない。こうした現状を踏まえて考えると、少子高齢化による人手不足という理由についても、首を傾げざるをえない。

「今こそ転職のチャンス」と思ってはいけない

では、買い手市場であるはずの大企業は人手不足で困っていないかというと、そうではない。前述のとおり、私の経営する人材紹介会社には大企業からの求人も頻繁に来ている。


実は今、大企業では「雇用のミスマッチによる人材不足」が起きている。「雇用のミスマッチ」とは、求職側と求人側とのあいだでニーズが一致すると思われたため、1度は雇用に至ったものの、あとから不一致や食い違いが発覚することをいう。

建設業界や飲食業界で起きているのは、求人を出すものの応募が1人もないという「物理的な人手不足」だが、大企業はそれとは別の「人はいるのに欲しい人材が足りていない」という問題が起きているのだ。

つまり、企業に求められるような人材でない限りは、何社受けても絶対に採用されないということだ。「人手不足」のニュースを見聞きして、「今こそ転職のチャンス」などと思ってはいけない。