「ハンパな優等生」が職場で嫌われる4大理由
「ハンパな優等生」がやりがちなこととは?(写真:AndreyPopov/iStock)
来年2020年で創業35周年を迎える株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンのCo-founderおよび取締役社長であり、自ら編集した書籍も累計1000万部を超える干場弓子氏。
直近では、ディスカヴァー編集教室を開校し、広く後進の指導にも力を注いでいるほか、TV・雑誌・新聞・ネットメディアにも多数登場、大学・社会人・出版人向けの講演も多数行っている。
この度、初の著書『楽しくなければ仕事じゃない――「今やっていること」がどんどん「好きで得意」になる働き方の教科書』を上梓した干場氏が、なぜ「ハンパな優等生」が職場で嫌われるのか、その理由を解説する。
「セルフイメージ>実力」の人、いませんか?
わたしは、ディスカヴァー・トゥエンティワンという出版社を創業時から育て、経営してきた。出している本は、コミックと雑誌と学術書以外は一通りで、ビジネス書、自己啓発書が中心だ。
25年前に新卒社員の一般公募を始めて以来、延べ1万人以上の学生たちを見てきた。この間、新卒の採用は、「買い手市場」と「売り手市場」を繰り返してきたわけだが、「斜陽産業」と言われて久しい出版の、それも決して大きくない弊社にも、いまだに「高偏差値大学からの応募者」は後を絶たない。
それはありがたいことなのだが、必ずしももろ手を挙げて歓迎してばかりはいられない。気をつけないと、「ハンパな優等生」が職場にあふれてしまうことになるからだ。
「本当に優秀な人」ならいい。やっかいなのは、「ハンパな優等生」だ。つまり、「セルフイメージと実力が合ってない人」。
「本当に優秀な人」ほど「セルフイメージ<実力」なのに対して、「ハンパな優等生」は「セルフイメージ>実力」であることが大半だ(内心、自信がないから、「身の程に合わない優越感」をもっているのかもしれない)。
「ハンパな優等生」は、仕事の能力が伸びないだけでなく、周囲からも嫌われる。その主な理由を、私自身の三十余年の観察から4つ挙げてみよう。
「ハンパな優等生」が周りから嫌われる1つ目の理由は、自分にとって「余計なことはしたがらない」ことである。
とにかく「丸ごと」まねようとしてみる
【1】自分にとって「余計なこと」をしようとしない
「すごく偉い人は謙虚である」というのは、偉人のエピソードとしてよく聞かれる話だ。
松下幸之助さんが、新入社員の話にもノートとペンを持って耳を傾けていたというのは、有名な話だ。これは会社でも同じである。
謙虚というのは、単に物腰が丁寧だったり、控えめだったりするのをいうわけではない。学ぶことに貪欲だからこそ、「誰からでも」「すきあらば」「機あらば」学び取ろうとする。自分が持っていないもの、苦手なものを持っている人から、学び取ろうとする。その姿勢が「謙虚さ」となる。
今まで出会った「本当に優秀な人」に共通するのは、とにかく丸ごとまねようとすることだった。「学びはまねび」から来ているということを知っていた。
それに対して、「ハンパな優等生」にはそうした謙虚さはなく、ちょっとでも自分より下だと「そいつからは学ぶものはない」と決めてかかっているかのごとく、相手にしない。
そして、自分で決めた「特定のこと」以外は、「余計なこと」として受け付けない。自分より下の意見は聞かない。自分の決めた枠以外には見向きもしない。これでは仲間も仕事もどんどん離れていってしまう。
せっかくの情報も、自分の少ない経験に無理矢理あてはめようとしたり、フィルターをかけたりしたら、自分がわかっていること以上のことはわからない。
いったんは「丸ごと」そのままで受け入れる。批評は、そのあとでも十分間に合うのだ。
2つ目の理由は、「創造力」があっても「想像力」が欠けているからである。
仕事で大事なのは「創造力」より「想像力」
【2】「創造力」があっても「想像力」が欠けている
日本の今後の発展のためには、イノベーションを起こす「創造力」ある人材が必要だという声は聞くが、「想像力」についてはあまり聞かない。
「創造力」はゼロから何かを生み出すわけで生産性が高いが、「想像力」は別に何かを生み出すわけでもなく、すでにあるものをなぞるだけのことだと思われているからかもしれない。そのため、「創造力」は苦手だが「想像力」なら大丈夫と自信を持っている人が多いからかもしれない(わたしもそうだった)。
けれども実際、さまざまに仕事上の失敗を重ねていくなかで、少なくとも仕事の実務においては、「創造力」より「想像力」のほうがずっと大事だと思うようになった。
例えば、原稿が期日を過ぎても送られてこない、デザイナーが意図に合ったデザインを出してくれないなど、トラブルが起きたときだ。
その原因は、「それは、最初から予想できたんじゃない……?」「どうして、最初にひとこと、相手に言っておかなかったの?」と、ちょっと「想像力」を働かせれば、ドラブルを回避できたケースが実に多い。
それに対し、仕事が速い、それこそ「生産性の高い」人ほど、そのあたりに自然に気を配り、つねに「万一の場合」や「最悪の場合」に備えて、二の矢、三の矢を用意している。
トラブルも少ないし、万一うまくいかなかったときも、慌てず、すぐに次の手が打てる。つまり、的確に「想像力」を使っているのだ。
だが、「ハンパな優等生」には「想像力」が欠けている人が多いため、トラブルが起きても何もすることができない。「万一の場合」も「最悪の場合」も「想像」ができていないので、対応がすべて後手後手になってしまう。
その結果、トラブルの解決も長引き、周りへの迷惑もかかってしまう。仕事への影響は大きくなるばかりなのだ。
3つ目は、いま述べた「想像力」にもつながることだが、「ハンパな優等生」ほど、往々にして「自分ひとりでやることにこだわりがち」だ。
重要なのは「プロセス」より「アウトプット」
【3】周りに助けを求められず、自分で抱え込む
「自分ひとりでやることにこだわりがち」ということも、ハンパな優等生には多い傾向だ。
例えば、締め切り近くなっても担当させた仕事ができてこない。どうしたんだと聞くと、「よくわからなくて苦労している」とか「思ったよりハードでなかなか進まない」などという返答がくる。
「もっと早く言ってくれたら手を打つことができたのに……」と、結局チームメンバーや上司が尻ぬぐいすることになるわけだが、どうしてそうなってしまうかといえば、周りに助けを求められず、自分ひとりで抱え込んでしまいがちだからなのだ。
確かに、学校の勉強ならそうだったかもしれない。自分でやることに意味があった。お金を払って自分のために勉強していたのだから、当然だ。人に手伝ってもらっては力がつかない。
しかし、会社の仕事となると、状況は変わる。仕事は、お金をもらって、お客さまとの約束を果たすために会社としてやっているのだ。目的は、期日までに商品を納品することで、誰がどうやろうとお客さまにとっては関係ない。問われるのは「アウトプット」であって、「プロセス」ではない。
ところが、「ハンパな優等生」ほど、肝心の「アウトプット」より「プロセス」を重視してしまうことが多い。そこには、頭を下げて周りに助けを求められないという「プライドの高さ」もあれば、「自分ひとりでやり遂げることが偉い」という思い込みもあるだろう。
そして、「ひとりでやらないといけないという『学校の勉強の呪い』」から逃れられないでいるからという場合も多いのだが、これでは仕事にならない。
こんなことばかり続いてしまうと、結果的に仕事は任せられなくなってしまうのである。
最後は、「ハンパな優等生」ほど、「会議では『意見』を言わずに、ひたすら『解説』をする」ことが多いということだ。
【4】会議では「意見」を言わず、「解説」ばかりしている
会議などで自分の「意見」を言うと、必ず何らかの「反応」がある。
賞賛を受けたり、意見が採用されたり、同じ意見の知己を得ることもあるだろう。逆に反論されることもある。攻撃してくる人もいるだろう。会議では当然のことである。しかし、「ハンパな優等生」には、「意見」を言わずに、議論の「解説」に徹している人が多い。
反論の攻撃にあうくらいなら、黙っていたほうが無難だし、だいたい熱くギャーギャー意見を言う人より、ちょっと斜に構えて静かに解説したほうが、頭がよさそうに見える。上司の意見の後だと、上司からいい印象を持ってもらえるかもしれない――。
しかし、それは危険だ。最初は「意見はあるけれど、今は言わないでおこう」だったのが、それを重ねるうちに、自分の意見を考えなくなる。さらにそれが続くと、言いたくても意見がなくなってしまうのだ。
勘違いしてはいけない。「解説」するのはアウトプットではない、「意見」を言うのがアウトプットなのだ。
「自分の意見」を持つことは、「自分のビジョン」を持つことであり、「ミッション」を持つことであり、「さまざまな判断の基準」を持つことだ。それがあればこそ、さまざまな「アイデア」や「発想」が生まれる。
はじめはよくても、「解説」ばかりで新しいアイデアも発想も言えないままでいると、いずれは上司や仲間にも見透かされてしまう。どんどん信頼も薄らいでいってしまい、かくして、「ハンパな優等生」はハンパに終わってしまうのである。
「ハンパない優等生」か「ハンパないオタク」になれ
かつて、高度成長期は「ハンパな優等生」が大量にいればよかった。大量生産の時代は、前例に従い、そのとおりに迅速に、ミスなくできる人材がたくさんいればよかった。
しかし、イノベーションが求められる今は違う。「今ないもの」「今あるものから外れているもの」「今あるものを超えるもの」を夢想し、見つけ出し、創り出す力が求められている。そういうある意味、「異端の人材」が求められている。
これからは「ハンパな優等生」は必要ない。今、必要なのは、オールラウンドな「本当に優秀な、ハンパない優等生」か、そうでなければ、ある分野においてのみ知識と情熱が突出している「ハンパないオタク」のいずれかだ。
そういう人が、「今ないもの」「今あるものから外れているもの」「今あるものを超えるもの」を夢想し、見つけ出し、創り出していけるのだと思う。